スマートフォンがない世界

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 第十章 「図書室で」  それから一週間後の木曜日。俊一は休み時間に図書室に来て、新刊が入っているかチェックしていた。この高校では月に二回、利用者の要望に応える形で 日本や海外の小説、児童書やその他の本を購入している。  カウンターには3年6組の先輩、正樹(まさき)が座り、あくびをしながら英語の教科書に線を引いている。彼の名字は「土佐」だが、正樹は父親のものであるそれを嫌っており、後輩たちには「正樹先輩」と呼ばせている。近くにある机には同じクラスの清水みどりが座って、パソコンを使って12月に教会に置いてもらうチラシの色とフレーズを考えている。彼らは授業の後、ボランティアで街頭募金や絵本の読み聞かせなども行っており、とても忙しいのだ。  テスト範囲の復習を終えた正樹が教科書を閉じて「来週の三限は最後のテストだー。寝るヒマもねえよ」と呟く。みどりもパソコンの電源を切ってから元の場所に戻し、大きく伸びをする。「進路のことも決めなきゃいけないしね。ほんと、疲れちゃうな」「お前、チラシのデザイン決まったのかよ」  「うん。色は黄緑で、フレーズは『クリスマス、神とともに過ごす夜』にした。あとは印刷するだけ」彼女は椅子から立ち上がり、「お昼買ってくるねー」と言って図書室を出て行った。あとには俊一と正樹が残される。  「あいつまた塩ラーメンとスパイスチキン食うつもりか。塩分控えろって 医者に言われてんのに」とぶつぶつ言いながら、正樹はカウンターから出て 俊一の方を振り返る。  「俺も昼飯買ってくるから、佐藤、本の返却をしたいっていう人がきたら少し待っててもらうよう伝えてくれ。十五分ぐらいで戻ってくるから」先輩の言葉に「了解しました」と答え、俊一はカウンターの中に入る。正樹はアイポッドを手の中でくるくると回しながら階段を降りて一階へと向かっていった。  人の気配がなくなった図書室の中で、俊一はひとり、ボールペンと返却カードを用意して待っていた。  ふいに「こんにちはー」と女性の声が聞こえてそちらを向くと、美花が両手に抱えた三冊の本をカウンターに置いた。「あれ、佐藤。正樹先輩は?」 「今、お昼買いに行ってる。本でも読みながら少し待っててくれ」俊一の言葉に「分かった。これ、今日が返却期限の本。あとで先輩に渡しておいて」と言って、彼女は児童書を一冊棚から取り出し、席に座って読み始めた。  美花の短く切られた髪に、目が釘付けになる。七月に公園で会った時よりも 活発な印象になっていると感じ、心拍数が上がる。返却カードにボールペンで 彼女が置いた本のタイトルと日にちを記入する間も、心拍数は上がったままだった。  その時、「ただいま~」という声とともにドアがガラガラと開けられ、レジ袋を手に持った正樹が戻ってきた。「おかえりなさい」と俊一と美花が声をそろえて言うと、「おお篠原も来てたのか」とにっこり笑った。  「先輩、これ彼女が返しに来た本です。返却カードにタイトルと日にちを記入しました」と正樹の前に持っていくと、「字がきれいだな、お前」とほめられた。恥ずかしくなって「先生に丁寧に書けって言われてから、意識してるんです」と呟く。「助かったよ。ありがとな佐藤」満面の笑みで俊一の肩をたたきながら、正樹はレジ袋からお菓子を取り出す。「これはお礼だ。持ってってくれ」二人はお礼を言って受け取り、保冷剤月のバッグの中にしまった。 「もうひとつの袋には何が入ってるんですか?」俊一が聞くと、「野菜たっぷりのスープはるさめだ。俺と清水の分が入ってる」と返された。「あいつ、コンビニに行くといつも塩ラーメンかチキンしか買わねえから、野菜が足りん。推薦で大学行く前に倒れでもしたら不安になっちまうからな」そう言って窓のほうを見る彼の顔は、ほのかに赤くなっていた。  「正樹先輩、清水先輩のことをいつも気にしてるんですね」「中学ん時の同級生だからな。その時から成績はすごく良かったんだよ。ただ、人と一緒に物事をやるのは苦手だった。  休み時間は図書室で時間を過ごしてた。あいつは母親と一〇歳の弟と一軒家に住んでるんだ。でもここのところ、母親と進路のことでもめてるみたいで、表情が暗いな」俊一と美花は相づちを打たずに、じっと正樹の話を聞いていた。  五限の授業開始のチャイムが鳴り、俊一と美花は急いで自分たちの教室へ向かう。彼らの後ろから正樹が手を振りながら「来てくれてありがとう。息抜きもしたほうがいいぞ」と大声で呼びかけていた。  
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