スマートフォンがない世界

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 第十四章 「美花の家と福丸」  9月14日。俊一は横須賀線に乗って横浜にある美花の家に向かっていた。 朝の気温が20度だったので、紺の長袖シャツと白のウインドブレーカーを 着て家を出た。しょっている黒のリュックにはビニール袋と小さなちりとり、ほうき、そしてラップに包んだサンドイッチが入っている。腕時計を見ると、 8時40分だった。時間が早いため車内は空いている席が多い。  電車が保土ヶ谷駅を通過していた時、突然急停車した。『お客様にお知らせいたします。ただいま人身事故の影響により、遅れが出ております』という男性運転士のアナウンスが繰り返される。  それから10分後、電車は再び動き出した。俊一は横浜駅に着くとすぐに 公衆電話を探して10円を入れ、美花に電話をかけた。『はい!』「篠原、佐藤だ。ちょっと電車が遅れたから、そっちに着くのも少し遅くなるかもしれない。南口の改札口で待っててくれないか」『了解!連絡ありがとう』  電話を切った後、俊一はすぐに南口に向かった。あたりには外国人やサラリーマン、学生などが階段を上り下りしながら行き来している。  10分後、後ろから軽く肩をたたかれて「佐藤!」と呼ばれた。振り向くと、青いブラウスに白いスカート、黒いハイソックス姿の美花が立っていた。  「今日はよろしくな」と言って手を差しだすと「よろしく。人が多いね」と 呟いてから握り返してきた。彼女の家はここから15分ほど歩いたところにある。  「福丸とは毎日どんなふうに過ごしてるんだ?」と聞くと、「朝と夕方、夜の三回散歩に連れて行ってる。その間に部屋の掃除や食器洗いするから、忙しいかな」と言って美花はにっこり笑う。「たまに私のほうを見ることがあるよ。その時の顔がかわいいんだ」「おおー」そんな話をしながら歩いて行くと、バス停留所が見えてきた。その周りに大きなマンションや一軒家などが並んで建てられている。  「ここだよ」と言って、美花は青い屋根瓦が屋根にきっちり積み重ねられた白い家を指差した。駐車場には紺色の車が停まっている。  「ただいま」と美花が黒いドアを開けると、茶色い柴犬が玄関の前にやってきた。「福丸、はじめまして」と言って俊一がそっとやわらかい毛に触れると、彼の顔をぺろぺろとなめた。  「いつから飼ってるんだ?」と聞くと、「中学三年になったころだからちょうど一年前だね」と彼女は答え、キッチンに向かった。俊一も福丸を抱いて 中に入る。大きな鍋やまな板などが、きちんと洗われて茶色い棚にしまわれていた。福丸を床におろし、二人は洗面所で手を洗う。  「今日はちょっと気温が低いから、昼食はミネストローネにしようと思って。昨日あまったものだけど、よかったら一緒に食べよう」美花の言葉に うなずいて、俊一はリュックからラップに包んだサンドイッチを取り出してテーブルの上に置いた。「これ、俺が作ったハムサンド。ミネストローネと一緒に食べると、おいしいと思う」美花は「ありがとう」と言ってからテーブルをふき始めた。俊一も反対側をふきながら食器を棚から出して並べていく。  10分後、昼食の用意を終えた二人は火を通したミネストローネをスープ皿に移して食べていた。福丸が彼らの正面にある椅子に座って、水色の皿に入ったビーフジャーキーを食べながら二人をじっと見ている。「おいしいな」と俊一が言うと、美花も「今日は風が冷たいから、こういうものがいいよね」とうなずいた。  静かな部屋の中で、ゆるやかに二人と一匹の時間が流れていく。会話は途切れることなく続き、気付くと午後の2時になっていた。テーブルの上におかれていたミネストローネの鍋ととハムサンドイッチの皿はあっというまに空になってしまった。    
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