スマートフォンがない世界

2/26
前へ
/26ページ
次へ
 第二章 「つながり」  「佐藤はいつもここに来てるの?」と彼女に聞かれ、「ああ。学校が終わってからここで時間をつぶしてるんだ」と答える。「そうなんだ」と(つぶや)き、美花は黙り込んだ。  「篠原?」と俊一が声をかけると、「私、家にいたくない。うちは父子家庭なんだけど、父は最近仕事でトラブルが多くて帰りが遅いんだ。兄も大学のレポート作りで忙しくて、ほとんど家にいない。去年まで二人との会話はずっとLINEでやってた。今は公衆電話をよく使うから10円玉がすぐに減っちゃう」そう言ってため息をついた。  俊一は彼女に向かって静かに語りかける。「今は人とのつながりがすごく減ってると思うんだ、俺。スマートフォンは確かに便利だよ。電車の乗り換え検索や離れている相手といつでも話す、といったこともできる。でもそれを悪用した事件も多い。例えば、同級生の悪口をLINEで言ったり、ネット上で見ている人を不快にさせるような言葉や動画を投稿したり。ほかにも、さっき挙げたような『生徒同士の間で起きる事件』もある」俊一はそこで一度言葉を切り、息を吐きだす。そしてかすかに怒りのこもった声で、はっきりと言った。  「悪意っていうのは、人間がいるかぎりなくならないと思うんだ」    その言葉に美花は顔を上げて彼のほうを見た。俊一は続ける。「今年スマートフォンの使用と製造が禁止されるまで、みんな顔も本名も知らないたくさんの人とどんどんつながってた。お前が転校してくる前のことなんだけど、去年の四月に俺と同じクラスの葉村ジェーンっていう女子が国語の授業中に窓から飛び降りようとして足の骨を折ったんだ。後で理由を聞いてみたら、彼女も休み時間にスマートフォンを使って同級生の女子と毎日のようにやりとりをしていたことが分かった。  ある日、その子から『東京で開かれる声優のイベントに行こうよ』と誘われた。でもその日葉村は母親との用事があった。『今日はどうしても行けないからごめんね』ってLINEを送ったら、ひとこと『もう話しかけるな!』という返信が来たらしい。それがつらかったから、窓から飛び降りようとしたって言ってた。今は松葉づえを使いながら学校に来てる」  彼の言葉に、美花は思わず両手をこぶしにして強く握りしめていた。彼はゆっくりとした口調で再び話し始める。「昨日の朝、学校に行く途中で葉村に会ったことがあるんだけど、そのときに彼女は『佐藤、三ヶ月前に私に声をかけてくれたことあったよね。すごく驚いたけど、嬉しかった。Thank you very much!」って言われてさ。ちょっと照れくさかった。  話は変わるけど俺、中学二年の時に先生と一緒に横浜の寿町(ことぶきちょう)っていうところに行って、そこで彼らに炊き出しをする人たちの手伝いを少しさせてもらったことがあるんだ。お皿や(はし)を列に並ぶ人に渡すだけだったんだけど、その時に言われた『ありがとう』って言葉を聞いて、嬉しかった。すごく貴重な、いい経験になったよ」そう話す彼の前向きさに、美花は強く心を揺さぶられていた。いつのまにか空はアンズのような(だいだい)色に変わっていた。  「やばい!急いで帰らないと」自分の紺色のかばんをつかんであわてて立ち上がる彼女に、俊一が声をかけた。「篠原。お前の悩んでいることが聞けてよかった。ほっとしたよ」その言葉に、美花が驚いて目を丸くする。「本当?ありがとう!すごく(うれ)しい」にっこりと笑って立ち上がった彼女の背中に、俊一が声をかける。「気を付けて帰るんだぞ」「うん。佐藤も」自転車を押して公園から出る途中、こちらに向かって大きく手を振る美花の笑顔が見えた瞬間、俊一は思わず泣きそうになり、ハンカチで目元をふいた。
/26ページ

最初のコメントを投稿しよう!

5人が本棚に入れています
本棚に追加