スマートフォンがない世界

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 第八章 「母とのケンカ」  定期テストが終わった金曜日の午後、俊一は新しいノートを買うため、同じクラスの男子、二宮とデパートの六階にある雑貨店に来ていた。ノートや筆箱のコーナーを見ていると、ダークレッドのブレザーと茶色いスカート、黒いハイソックスを履いた五人の女子高校生たちが、「これかわいいよね~」と青いインコのチェーンマスコットを手に取って楽しそうに話している。俊一たちとは別の学校の生徒だ。  「あいつら、すげえ楽しそうだよな」紺色の筆箱を手に取り、中を見ながら俊一は二宮に話しかける。「うん。俺の家にも妹が二人いるんだけどさ、いとこの美奈ちゃんが来ると二人で長い時間話してるよ」と話す二宮に「にぎやかなんだろうな」と呟いて紺色の筆箱を元の場所に置く。  青い表紙のノートを取り、「俺、このノート買うわ。お前はどうする?」とたずねる。「俺はこれにするよ」と言って、二宮は黒い筆箱を手に取った。二人でレジの前に並び、順番が回ってくるのを待つ。  一〇分後、若い女性店員が「こちらにどうぞ」と手をあげてくれた。俊一は素早く会計を終え、他の客から少し離れたところで待っていた。二宮は千円札を二枚財布から出してレジの前に置き、筆箱が入った黒い袋を受け取った。「待っててくれてありがとう」という彼に、「メモ帳見てたんだけど、すげえたくさんある」と返す。  店を出た後、並んで歩きながら「その筆箱、使いやすそうだな。シャープペンシルや消しゴムもすぐ出せる」と市村が持っている袋を見て俊一が言うと、市村はにっこりと笑ってうなずいた。  駅の改札口の前で二宮と別れ、横須賀線のホームに向かう。「そろそろ文化祭の準備が始まるよな。忙しくなるけど、すげえ楽しみ」「うん」勢いよく走っていく彼の背中を見ながら、俊一は大きく手を振った。    その夜、家に帰って夕食を食べ終え、食器を洗剤のついたスポンジで洗ってから布でふいていた時、いつも炊飯器の上にかけておく布でお皿をふいてしまった。それを見ていた母に「布がびしょびしょになるじゃない!そんなことも分からないの!?」と怒鳴られる。「あんたにはがっかりした!当たり前のことが分からないし、あたしがいいと思ったのとは違う高校に通うし、てんかんの発作は起きるし!」母の言葉に怒りがこみ上げ、俊一は大声で叫んだ。  「俺は確かにそういう面もあるし、自分が知っていることも他のやつらにくらべたら少ない!だけど、高校生になってやっと同級生や担任の先生と少しずつ話せるようになって、いろんな人に助けてもらいながら前に進んでる!学校で、家ではできない経験をたくさんさせてもらって、少しずつ気持ちも前向きになってきてるんだよ!」  息子の言葉に、母親は黙り込んでしまった。しばらくして、「疲れたから、二階で寝るわ」と言って上へ上がっていった。  入浴と薬の服用を終えて布団に寝ころび、「経験が少ないから、うまくできねえんだよ」と呟く。CDプレイヤーにCDを入れ、スイッチを押す。静かな音楽を聴いていると、いつ来たのか彼の枕の上に純白の毛を持つ猫が座っていた。俊一の愛猫、フロイデである。小さな頭をそっとなでると、緑色の目を細めてうとうとしはじめた。電球を消し、体に夏用の薄いふとんをかける。彼にぴったりと体をくっつけるフロイデの静かな寝息に耳をすましているうちに眠ってしまった。    
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