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第六十九話 情操の芽生え
───物の少ない部屋。ベッドで上体を起しているのは、薄暗い中で
も金色の輝きを見せる髪の少女。傍らには黒の男。
「今日は何を話そうか。」
ベッドの横で椅子に腰掛けた父が言う。自分の部屋に父の声が響く
事に喜びを感じつつ私は。
「この前の。お父様のお話はしっかり覚えているのですが……。違う方々。
そちらの話をもう一度聞きたいです。その。あの時は私、眠ってしまっ
たので……。」
お話を聞きたいと父にせがむ。眠ってしまった事を思い出すと、恥ず
かしさと申し訳無さがこみ上げて来て自分の頬や耳が熱い。
あの時、私は寝る積りは勿論眠気だって無かったのです。でも、父の
あの優しい声色に包まれると感じる、安心感と温かさ。それに絆され、
私は私が気が付かぬうちに夢心地へ。そうして次に目が覚めた時は
お父さんの膝枕で……。うう、思い出すとより一層頬の熱量が高まって
しまいます。ああ自分の頬が熟れたトマトの様に真っ赤ではないかと心配。
けれど頬に手なんて当てたら、それこそ父に恥ずかしい姿を晒してしまい
ますよね。
「……そんなに申し訳なさそうにしなくても良いよ。」
「!」
「何度でも話せる話なのだから。」
どうしましょうと悩む私に、父は口元を軽く釣り上げそのような言葉を此方に
飛ばしてくれた。父の気遣いにはそれまでの感情全てを押し退け、私に只々嬉し
さだけを感じさせてくれる。ですが気を使わせてしまった事には申し訳ないと思
うのです……。いえ、これ以上気を使わせてはそれこそ良くないですよね。私は
申し訳無さを押さえ、代わりに私を思ってくれた父に感謝の笑みを送る事に。
するとお父さんは一度柔らかな笑みを浮かべては。
「確か神話か伝説の話しだったね。」
「はい。」
「ふむ。これはギ、いや遠い遠い場所での話しなのだけど───」
父が話しくれたのは恐ろしくも魅力的な神話。それはきっとお父様ご自身が生き
た時代の、元居た世界でのお話。話される内容は余りにも壮大で、私では理解の
難しい事も。けれどそう感じる度に父は分かり辛いと感じた箇所を、分かり
やすく丁寧に教え聞かせてくれる。思いやりと強さに溢れた自慢のお父さん。
「そうして生まれた子供がまた───」
「あの。」
「うん?」
「お父様にも、その様な神話があるのですか?」
心地よい時間を噛み締め。父の話に耳を傾けていた私は、お父様とは違う神々
の話。その話を聞きながら、私は父にも同様の神話があるのでしょうか? と、
それが気になりつい話を遮ってしまう。父の話を遮るなど余り行儀の良い事とは
言えないでしょう。けれどそれでも、私は父の、お父様の神話があるのだとした
ら、聞いてみたいと思うのです。
「あー……。」
父は何処か遠くを見詰め。可愛らしい表情で声を零しては。
「うん。まあ、あるにはある、ね。……聞きたいかい?」
「是非っ。」
「それじゃあ。そうだなぁ───」
父はご自身の神話を私に聞かせてくれました。何処か恥ずかしそうにして
いらしたのは、余り神と扱われるのが好みじゃないからなのでしょう。それに
しても、お父様が話してくれる神々と言う存在はとても自由で、考え方や物の
見方の違いには驚く事ばかり。けれどそれがとても興味深くて面白いのです。
「───とまあこの位かな。前にも話したけど、生憎私自身。自分がどの様に
語られているかを詳しく知らなくてね。」
困ったような、照れたような表情のお父さん。語られた話では悪の神として
在ったお父様。悪神としてヒト々に語れる父。
「試練をお与えに成る悪神。……今人間に味方する神は、善神なのでしょうか。」
私の住まうこの世界。此処にも勿論神は居る。人間を守護し、魔王と魔族を打ち
払った神が。悪と善。私達は───
「───正しさ。」
「?」
「善と悪は相反するモノだけど、其処に在る正しさとは決して一意の物じゃない。
悪が成せぬ事を善が為し。善が成せぬ事を悪が為す。そうして世の調和が取られ
るんだと、私は思うよ。」
今、私はお父様の視点。その一端に触れられた気がする。それまで語られたお話
が嘘とは思わない。けれど今の言葉は何処か違う、本当の、父自身の言葉だと何
故か感じられたのです。真に尊い物を聞けた事への感慨が身の内から溢れ、零れ
ては身を一度震わせる。
寝る間に、こんなにも幸福な一時を味わえるだなんて。出来る事なら何時までで
もこの素晴らしい時間を過ごして居たい。なのに。
「ふあ……っ!」
「今日はこの辺りにして置こうか。続きはまた今度。」
「………はぃ。」
私はつい欠伸を零してしまった。ああ、ああ私は何時から眠気に等負けてしまう
様な事に? ……いえ仕方がありません。だって側にお父さんが居てくれるのです
から。その安心感に包まれては仕方が無い事なんです。でも、口を開けて欠伸を
晒してしまった事は、ちょっとだけ恥ずかしいです……。
「お父さん。」
「うん?」
「私とお父さんは家族で、この家には家族が沢山ですね。」
「……。」
私は少しの気恥ずかしさから、最初に父から聞いた話をそのまま私達に当て
はめ。父と私だけだったモノが、何時の間にか大きくなりましてねと。そう
呟いた。
何気ない呟き。けれど父は私の呟きに身動きを止め、上げていた腰を椅子に
降ろし。
「イリサ。」
真剣な表情で此方を見詰め。
「今は寂しくないかい?」
不安気に揺れる紫の瞳で持って。私に聞くのです。
「ええ。少しも寂しくなんてありません。リベルテやタニアが側に居てくれ
ますし。」
何処か、何処か独り寂しそうな父の。その温かで大きな手を取り。
「何よりもお父さんが側に居てくれますから。不安も寂しさも私にはありません。
お父さんは……どうですか?」
あれ程偉大な父が不安など、寂しさなど感じるのかしら? 疑問に思う。でも
私は確かに父から寂しさの様な物を感じた。もしも父が寂しいと感じ、それを
私が側に居るだけでは埋められないとしたら。そうだとしたらとても───
「私も。イリサが側にいてくれるお陰で、寂しさとは無縁だよ。」
触れた手で私の手を優しく握ってくれるお父さん。強く感じる幸福感。
とても嬉しさの笑みを押さえられそうにない。溢れ零れる笑みを父が笑みで
掬い上げ。幸せを、暖かな幸せを心で確かに感じるのです。もっともっと長く、
この一時を味わいたい。けれど何時までもと、お父さんに縋るのは良くない。
良き娘として。
私はベッドから、椅子に腰掛ける父へと抱きつき。一度深く抱きしめては身を
離して。
「……お休みなさい。お父さん。」
「ああお休みイリサ。」
父は笑顔でそう言っては立ち上がり、部屋のランプの火を消し。扉をゆっくり
と閉じて行く。
父の居なくなった、暗い部屋の中。私は布団を被り目を閉じる。難なく閉じら
れる瞼。この瞬間感じていた恐怖や不安は、一体何時から消えたのでしょうか。
それすら思い出せない程に今の私は幸せに満たされた時間を過ごしている。何て
幸せなのでしょう。過去の私はきっと嗤う。
「ゴブリンの友達が居るなどと。」
きっと過去の私は驚く。
「人間と共に暮らして居るなどと。」
沢山のヒトが側に居て、愛すべき至上の父が居てくれる事を。きっと過去の
私は信じられないでしょう。閉じた闇の中。微睡みながら。
「それにしても、お父様方の恋愛って凄いなぁ……。」
私は自分の肩を抱きながら。今日父が話してくれたお話を一から思い出す。
眠る少女の、その顔に浮かぶ笑みは何処か───
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