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第七十二話 日常に異常が溶け出す
───書斎。室内に置かれた一つのソファーには三人の女性が並び座り。
彼女たちの視線は一点。書斎机にて真剣な表情と共に彫刻刀を握る、
黒の男へと注がれていた。
私は集中に集中を重ね。手にした人差し指程度の大きさの青い結晶体。
クリスタルと睨めっこをしている。何も本当にただ睨んでいる訳ではない。
「ねえ。彫刻刀片手にアンラさんは一体何してる訳?」
「あれはクリスタルに記録された魔法を視てますね。」
ソファーの方からリベルテと魔法研究者の会話が、微かに私の耳へ届く。
「ふーん。そんな事出来るんだ。え? 見てどうすんのよ?」
「ただ視てる訳では無いんです。中に記録された魔法へ手を加えているん
です。」
「へぇ?」
納得しきれていない返事を返すリベルテ。今魔法研究者のドロテアが説明した
通り、私はこのクリスタルに記録された魔法を視ては、記録された魔法に手を
加えている。
少し前まではクリスタルに魔法を記録した後、それの確認や手を加える等といっ
た事は出来なかった。しかし彼女から学んだ魔法。“仕組みを視る魔法”とでも
言おうか。それを用いてクリスタル内の魔法を視ては、イメージを籠めた魔力を
流し込み、記された魔法へ手を加えている。これがまた中々に辛い作業だ。
「はぁ。魔法に関する基礎がないと伝わり辛いと思いますが、魔法を使いながら
魔法に手を加え、魔力まで流し込んでいる。この同時作業は途方も無い技術なん
ですよ?」
「教団や国の高位神官並って事?」
「いえいえいえ! これはまさに人智を超えたそれっ! 生み出す事も知らぬ
お飾り神官様方にはとてもとても。」
「アンタ高位神官をお飾り呼びってどうなのよ。……人智ねぇ。」
実際にお飾りかは知らぬが、この作業がとてつもない事だけは分かる。
魔法を弄る間常に魔力を消費しては更に魔力を流し込んで魔法を書き
換え。どう手を加えるかを常に頭で考えねばならず。二重三重にと疲れ
るのだからな。しかしこれの解決作も考えてはある。その後の為に、今ク
リスタルを弄っている訳だ。
中の魔法に微調整を加え終えた私は、次にクリスタル自体へ彫り込みを加える。
記録された魔法は修正が効くが、本体への彫り込みは修正がほぼ不可能。なので
慎重に慎重を重ね彫り込んで行く。
「つまり。お父さんは凄いって事ですね。」
「ええ、ええそれはもうイリサ様のお父様は凄いおヒトですよ。ふひっ。」
「ドロテアさんは魔法の研究者なのですよね? そんな方でもお父さんと
魔法を研究出来る事は嬉しい事なのですか?」
「勿論! こんな夢の様な場所で研究出来る事には感謝しか無いっ!
今もアンラさんが何をしてるのか、予測はついても理解が追いつかない。
それがまた私の好奇心や探究心を刺激して止まないのですねぇ! ああ、
早くアレが何かを聞きたい、たいたいたいっ!」
「ふふ、そうですね。後で一緒に聞いてみましょう。」
「……イリサ良く普通に対応できるわね。」
「?」
彼女たちの会話が一段落したのと同時。私のクリスタルへの彫り込み作業も
終了。
私は彫り込んだクリスタルの表面を親指で一度拭い。見上げるように持ち上
げて確認。うむ、彫り込みは問題ないだろう。
「後はコレを試すだけだな。」
「実験! 実験ですかぁ!?」
「!? ……っくりしたぁ。アンタ急に大声出すのやめなさいよ。」
「失敬。それでアンラさん実験、実験ですよね? アレの!!!」
「……全然分かってないだろ。」
怪訝な表情のリベルテの隣で、テンションの高い魔法研究者が言う。
彼女が問うアレの実験で間違いない。しかし彼女の興奮も凄いものだ。
“アレ”がメンヒから納品されて来た日『使うのは? 使うのは何時で、
で、で?』等とやたら聞いて来た時を思い出す。……だが思えばその後は
甚く静かなものだったな?
興味が失せたか話さない私に諦めが付いたか。まあどっちでも良いか。
ふ、それにいざ試せると成ると私も少しばかり気分が高揚する。
「そうですね。アレを試しましょうか。」
「遂に遂に遂にっ!」
一層興奮を表した彼女は、一足先に書斎を出て行ってしまう。
「「「……。」」」
彼女が部屋を出て一呼吸ほどの間を置いては。
「あー……。それで、何でアタシとイリサも呼んだの?」
呆れ顔の消えきっていないリベルテが私に尋ねる。今回の魔法実験、
基アレの試運転には二人にも立ち会わせてた方が良いだろうと思い、
私は二人をこの書斎へ呼んだ。だがその詳細までは話していない。何故なら。
「それは見てのお楽しみ、ですかね。」
「えー……。」
「見てのお楽しみ……。楽しみですねリベルテ。」
「んーまあ確かに。でもアンラさんがクリスタルを持ってるって事は
魔法関係なのよね。んであのヒトの興奮して向かった先を考える
と……。」
推理を始めたリベルテにイリサが首を横へ振り。
「もう駄目ですよ? 楽しみは取って置かないと。」
「いやこうやって考えるのも楽しみの一つよ。で、イリサは何だと思う?」
「ええ、えーっと……。」
聞かれたイリサが楽しく悩む姿を見せる。二人の仲の良い様子は何時見ても
素晴らしい。良い、実に良い。私は暫し二人のやり取りを眺め、間を見ては
二人を連れ台所へと向かい。そのまま台所の裏口から外へ───
───自宅の裏手。其処には未だ雪が積もっているのだが、雪だけでは無く
今まで無かった物が増えている。
「うわ。やっぱりアレ関係なんだ。気にはなってたのよね~。」
「一体何でしょう?」
二人が察した物。それは裏口から除雪された道が伸びる先にある、小さな
建物。建物と言ってもそれほど立派な物ではなく、一見すると物置だ。
私は二人よりも先を歩きその物置らしきを目指す。後ろをイリサとベルテが
続き、除雪された道を通り建物の引き戸を開き中へ。
建物の中は少々手狭で、直ぐ見える所には奥へ続く扉が存在している。手前の
空間には用がないのでそのまま二人を連れ奥へ向かう。扉を開け中へ入ると。
「待ってましたよ。さあさあコレ、コレですよねコレ!」
ブロンド女性は部屋の奥に置かれた、子供の背丈ほどの石碑を指差し興奮
している。奥の部屋は人が四人入れる程度の広さで、壁にはランタンが
一つ。そして天井には少し大きなクリスタルが吊るされている。
その部屋の奥、ブロンド女性の隣には長方形へ綺麗に加工された人工物。
私は記号の様な文字が彫り込まれているそれへ近付き、眺め見ては中々の
出来栄えに歓心。
この心底格好良い石碑のような物。これは親交のあるメンヒ村に住む
ドワーフに頼み、加工してもらった品物だ。前にメンヒを訪ね依頼を取り
付けた私は早速彼に簡易な設計図を届け石材の加工を依頼。そして先日
メンヒからこれが届いた訳だ。
いやあこの建物の建築も間に合って良かった良かった。シンプルな作りの
物ならお手の物と、ゴブリンの頼もしさは凄い。等と石碑への感慨を胸に、
私は先程調整の終えたクリスタルを手に石碑の天辺。斜めにカットされた
表面、その端にある窪みへ。手にしていたクリスタルを“カチッ”っと嵌め込む。
そして魔力を籠めようとしては。
「……皆下がったほうが良い。」
「「はーい。」」
「………。」
近場で見て居た彼女たちを手振りで後ろ、手前の部屋まで下がらせる。
約一名離れる素振りを見せないが、忠告はした。なので私は彼女に構わず
魔力を石碑へと注ぐ。すると嵌め込んだクリスタルがうす青く光りだし、
石碑に刻まれた文字も一度だけ薄い光を放つ。よしよし。問題なく魔力を
供給出来た様子。次に私は石碑に刻まれた、縦の文字列一つを下から上へ
なぞり。文字列の中腹までなぞられた文字達が光を放ち。其処で視線を
天井に吊るされたクリスタルへ。
「うわわ!」
「まあ!」
天井に吊るされていたクリスタルは何時の間にかオレンジ色の光を放ち、
クリスタルの周りに渦を巻くように雲が回り。その雲からは温かな雨が
降り注ぐ。
お湯の雨が降る室内。私は天井のクリスタルから再び石碑へ視線を移す。
石碑に嵌め込まれたクリスタルが淡く青い光を明滅させ、刻まれた文字には
光。ふむふむ。これは成功と言えるだろう。
まさか爆発する。何て事は無いと分かっていたが、それでも少し不安では
あった。だがまあ上手く行って良かった。
「すごっ! これってもしかして冬の間オフロ代わりにって事?」
部屋の入口から手伸ばし、お湯の雨に手を濡らすリベルテが尋ねてくる。
「ええ。冬場はあのお風呂場も使えませんから。何か代わりを作ろうと
思ってこれを作ったんです。」
冬へ入り不規則に吹雪が降り出してからは、村の近くに作ったあの風呂場を
使用出来ていなかった。村から少し距離があるのと屋根や囲いが無いのでは
満足に使う事も難しいからだ。なので此処暫くはお湯で湿らせたタオルで体を
洗う等で我慢してもらっていた。だがそれも今日までだ。私は未だ目を驚きに
輝かせるイリサの方へ近付き。
「これは今日からでも使えるよ。」
「本当ですかっ!?」
「ああ。イリサは湯浴みが好きだったから、本当はもっと早く作りたかったん
だけど……。ごめんね。」
魔法創作が今までとガラリと変わり、作業感覚を掴むのに難儀してしまった。
そんな謝罪に。
「そんなっ、謝らないでくださいお父さん! 私、私とっても嬉しい
です!」
余程嬉しかったのか此方へ抱きつくイリサ。私は濡れぬよう庇いながら、
その頭を軽く一度だけ撫で。満足気に離れたイリサへ笑みを送り。
石碑の前へと戻っては、光を放つ文字列を下へとするとなぞる。すると
光が消え、同時に降り注いでいた湯の雨も徐々に弱まり、やがてピタリと
止んだ。それを確認した私は二人の下へ戻り。
「これの使い方を教えよう。」
「何だか難しそうね。」
リベルテが、少し濡れたイリサの頬を服の袖で拭きながら言う。
「いえ、実はそれほど難しい物じゃありませんよ。石碑のクリスタルに
軽く魔力を一度籠めて起動、そして温度と雨量の文字列をなぞるだけです。
今止める時も複雑な事はしなかったでしょう?」
「え? そんだけ? なんかエルフ文字とか書いてあるのに、案外簡単な
仕組みなのね。」
リベルテがそう呟いた途端。
「簡単っ!? コレが!?」
突然声を上げたのは勿論ブロンド女性。それまでびしょ濡れで石碑を
舐め回すように見ていた彼女が此方へ歩み寄り。
「こここ、これに使われたモノの価値がお分かりで無い!?」
「え、いや───」
「良いですか良いですか良いですかっ! この石碑に描かれたエルフ文字に
似て非なるモノ。それに石碑へ嵌め込まれたクリスタルの意味! そのどれ
もが今ある魔法技術の全てを凌駕しているのですよ!」
「ああそう───」
「しかしそれが分かってもそれ以上が分からない! だから是非是非詳細
をですねぇ!」
ブロンド女性は引き気味のリベルテから私へ顔を向け。
「最近の私は───とても静かに待っていたと思いませんか?」
全然そうとは思えない、が。そう言えば此処暫くは静かだったように思う。
後テンションの上げ下げが怖いな。この女性。
「なので詳しい話をですね、ね。ね、ね?」
成る程。静かだった理由を把握した私は。
「イリサ、リベルテ。使い方は分かるね?」
「はいっ。」
「何~となく。前に使ったクリスタルと一緒よね?」
「ええ大部分は。あれに魔力が籠められるなら問題ありません。
これは前ほど魔力を籠める必要はありませんから。なので分から
なければ適当に弄って貰っても大丈夫ですよ。」
二人へ簡単に『雨雲発生式シャワー(温)』の方使い方の説明し。
早速使いたいと言う二人を連れて一度自宅へ戻り。液体の入った
小瓶や着替えを手にシャワー小屋へ向かうイリサとリベルテを見送る。
あの小屋には窓があるが、覗けるほど低い位置には無いので心配ない
だろう。
二人を見送った私は濡れた服を着替え、先に着替えて興奮気味に待っ
て居たブロンド女性を連れ立っては、書斎にて相手をする事に。
「アレの目的は湯浴みだけじゃありませんよね?」
「ほう?」
ソファーに腰掛けた彼女が言う。実際大部分はイリサの為のシャワーで
間違い無いのだが、彼女は一割に籠められた物に気が付いたらしい。
「可愛いお嬢さんの為が大半でしょうが。あれにはこの前話していた
送受信の技術が使われてました。」
やはり鋭い。
「あの石碑を操作すると、天井に設置されたクリスタルへ特別な魔力が伝播し、
記録された魔法が再生される。恐らく夢魔が見せた魔法の仕組みを使って
ます?」
「ええ。仰る通りですよ。」
サキュバスの夢へ入る魔法。その仕組みを使っての試作品なのだが、よく気が
付いた物だ。試作故にまだまだ座標指定や距離などの問題が山積みだがな。
「ふ、ふふふ。ふふふふふふふふ。こうして話すのは実に簡単な事です。
ですが実際にそれを実現出来るかは全くの別問題。なのに貴方は……ふひ、
すばらしいぃ……。」
不気味な笑みと呟きを零す彼女。褒めてくれているらしいが全然喜べんな。
「尤も、私の目指すモノはもっと良いモノですよ。」
「ふひ?」
返事と笑いが同時に出たらしい彼女へ、私は二つのクリスタルを手に
取って見せ。
「この二つ。例えば片方をリビング、もう一方をゴブリンの居住区へ置き、
双方へ会話を届ける、何て事が私はしたいのです。」
「ひひっ!?」
「だがそれには今のままの作業だけでは難しい。もっと複雑で、長時間
の作業を熟すためには今ある魔法の見直しと、クリスタルを用いた新たな
作業設備が必要でしょう。」
「ひー……ひー……。」
今現在魔法を視て弄るのは大変な労力を要する。何をどうするにせよ、まずは
その負担軽減を考えねばならない。今まで一人でその作業を熟すのはと思っ
ていたが、幸いにも此処には魔法知識もった優秀な助手が居る。
「さあ。その為の準備を始めましょう。」
「は、はひぃ。」
……優秀か不安になりながら、私は魔法技術の向上のため禁忌を犯す。
既存魔法へ更に手を加えるのだ───
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