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昼食を終えてしばらくしたころ、その来客はやってきた。
「よっぽど暇なのね」
アニカは開いたドアの手前で、腕を組んでヴァルターを見上げた。
「入れていただけませんか」
「乙女の部屋に男一人通すと思うの?」
「お菓子をお持ちしました」
「……菓子で頷くほど子どもじゃないんだけど。でも、どうぞ。話くらいなら聞くわ」
ちょうど暇だったし、と告げて、ドアを大きく開く。
向かい合わせのソファに座ると、ヴァルターは机のうえに持ってきた菓子類を置いた。辺りを見回して茶器を見つけるとすぐに立ち上がり、紅茶を煎れ始める。
そういえば、使用人が毎朝湯の入れ替えをしてたっけ、と思い至る。茶器なんて使うことはないだろうと思っていただけに、明日湯を変えにきた使用人は、使った形跡があることに歓喜するだろう。
ヴァルターが煎れた紅茶を目の前に、アニカは足を組んで相手を睨みつけた。アニカの視線を受けてもヴァルターは涼しい顔を崩さず、ちまっとした菓子をつまみ、口へ放りこんでいる。
「こうしてゆったり紅茶をいただくのもいいですね」
「……そう?」
手をつけてやるつもりはなかったが、紅茶のいい香りに食欲を刺激されて、仕方がなく紅茶を口に運ぶ。ここ数日、きちんと食事をとっているせいか、ずっと忘れていた腹がすくという行為を思い出しつつあった。
紅茶は上品な葉を使用しているらしく、ふわりと懐かしさが胸を過ぎる。
まだ貴族であった日々を、自然と思い出した。
何も知らず、ただ遊んでいればよかったころは、まさか自分が不老長寿の化け物になるなんて、思ってはいなかった。
「ねぇ、ヴァルター」
「はい、なんでしょう?」
「本気で子どもが欲しいって思ってるの?」
「もちろんです」
「……そう」
それ以上は聞かなかった。もっと問い詰められると思ったのか、拍子抜けしたような顔をするヴァルターに、軽く笑ってやる。
「なに?」
「……聞かないのですか?」
「なにを」
「わたしが子どもを欲しがる理由です」
「自分で、退屈だからって言ったじゃない。あれ、嘘だって認めるのね」
「……そんな酷い言い方しましたか? 私」
「似たようなものでしょ」
紅茶カップを受け皿に戻しながら、アニカは菓子に手を伸ばした。形さまざまなクッキーを前に、一瞬だけどれにしようか迷ったが、結局一番手前のクッキーをつまむ。
口どけのいいクッキーは、とてもおいしかった。
アニカが嚥下するのを待って、ヴァルターが口を開く。
「私に腕輪を託したのは、義母でした。彼女の望みだったのです、子どもを産むのは」
「……だから、叶えたいって?」
「ええ」
ヴァルターは、アニカに向けて両の手のひらを向けてきた。促されるようにして、アニカはその手に自分の手を重ねる。
その瞬間、脳裏に淡い金髪をした美しい女の顔が浮かんだ。名は、コリーナ。見た目の年齢は三十くらいだろうか。
女の両手には、金の腕輪がはめられている。
アニカはもっと鮮明に映像が見たくて、目を閉じた。
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