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ヴァルターは、紅茶を傾けながらため息をついた。
部屋には一人で、他に誰もいない。一人の時間は気楽だが、同時にどこか物足りなくもあった。
昼間はずっとアニカにへばりついているので、夜になると寂しく感じるのかもしれない。
「……どうすればいいんですか」
ため息交じりに、一人つぶやく。
アニカは最初、ヴァルターを愛することが出来れば子どもを作るのを承知すると言っていた。女性らしい発言にほほえましく思ったが、正直、誰かを自分に惚れさせるのは容易いと思った。この容姿を手に入れてからは引く手数多で、うっとうしく思うほどもてるからだ。
だから、そのうちアニカも自分に惚れてくれると思った。
けれど何もせずに惚れさせるのはさすがに無理だと察し、自分のことを彼女に話すことを思い至った。心を開くには、自分に隠し事があっては駄目だと判断したからだ。
アニカはテオフィールに同情しているようだったし、どれだけ自分が子どもを欲しているか話せば、彼女もまたヴァルターに同情してくれるのではないかとさえ思った。
けれど結果として、コリーナの存在は彼女の矜持を刺激してしまったらしい。
アニカは同族である前に一人の女性だ、ということをわかっていながらも失念していた。器用な自分に呆れる。
そろそろ寝ようか、と立ち上がったとき。
アニカが動き出す気配がした。部屋は二つ隣なだけなので、鋭すぎる聴覚でじゅうぶん彼女の動きは観察できた。
(どこへ行く……?)
アニカは窓を開いているようだ。
とっさに自分の部屋の窓を開いて、こっそりアニカの様子を観察する。身体を乗り出せば、窓枠に足をかけて出ていこうとするアニカの姿が見えた。
「どちらへ?」
決してふつうの人間には聞こえないだろう、小声で言う。金の腕輪の所有者であるアニカには、十分聞こえるはずだ。案の定、アニカは驚いた表情でこちらを見た。
驚いたのは一瞬だけで、アニカはすぐにいつもの無表情へ戻った。そういえば彼女が笑ったところを見たことがないな、と今頃になって気づく。
「出て行くの」
「テオフィール様を見捨てるということですか」
僅かばかり、アニカの表情に動揺が走る。
「……仕方がないじゃない」
「助けられる命を見過ごすのですか」
「全部助けてたらきりがないわ」
当然のように彼女はいう。
たしかにその通りだった。金の腕輪の所有者は長寿だ。貧富の差が激しいこの時代、目につく者すべてを助けることなど、出来はしない。今こうしているあいだにも、大通りから離れた路地裏では、餓死しようとする者たちが大勢いるのだ。完全な冬がやってくれば、凍死者の数も半端なく出るだろう。
寒さなど感じないヴァルターたちには、季節の脅威などまったくないのに、人間という生き物は不便だ。
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