56人が本棚に入れています
本棚に追加
*
「どう? 決めてくれたかな」
テオフィールに呼ばれたアニカは、彼の前のソファに腰を下ろしながらむっつりとしていた。
窓からは橙色の夕陽が、蜜のように地面を照らしている。
「ここに来てもらってそろそろ十日だけど。ふふ、最近ヴァルターとずいぶん仲がいいそうじゃないか。好きになった?」
「……悪いやつじゃないってことはわかったわ」
「そう、それはよかった」
鷹揚に微笑んたテオフィールは、ゆっくりとソファから背を離した。机に置かれた紅茶を手に取り、そっと喉に流し込む。
部屋には他に、法術師の二人とテオフィールの従者が一人いるだけで、ヴァルターの姿はない。ついさっきまで一緒に中庭にいたのだが、テオフィールが呼んでいると聞いてヴァルターをその場に残してやってきたのだから当然だった。
「それで、どう?」
「……まだわからない」
「わからない、か。考えが変わってきてくれてるみたいで、よかったよ」
微笑まれて、思わず頬に熱がのぼる。
子どもをつくるということは、つまり、そういうことなのだ。それに、ヴァルターはあれから、アニカをもう、道具のようには扱わなくなった。
となれば、現実的にそういうことを考えてしまうようになり、頬に熱があがる。
なんだかんだ歳は食っているが、自分はまだ十分乙女の立場にあるらしい。仕方がないという事情をとっぱらってしまえば、純粋に愛されるかもしれないという事実だけが残る。そしたらなんか、恥ずかしくて死にそうになる。
(……へんだわ)
ぱたぱたと手で顔を仰ぐアニカを、テオフィールはにんまりと見ていた。
「順調そうでよかった」
「……と、ところで」
誤魔化すように、アニカは口を開く。
「あなたって何者なの? ちらっと聞いたんだけど、貴族じゃないそうね。でも随分な財力があるみたいだし」
「ああ、僕は商人だよ」
商人、とアニカは口の中で小さく繰り返した。
使用人たちはあるじの噂をすることを固く禁じられているのか、商人などという話を聞いたことはなかった。そもそも商人について詳しくないため、気づきさえしなかったが、なるほど、と納得する。
大商人ならば、この財力にも納得ができる。
最初のコメントを投稿しよう!