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「……おい」
「殺さないで!」
「おい、こっちだ」
「え」
その低い重低音は、目の前から発されていた。
薄暗い、蝋燭の明かりさえ届かない格子の奥――そこに、誰かいる。
「お前、死にたくないのか」
男は軽く笑いながら言った。
「死にたくないなら、その札をはがせ」
「……札?」
じゃり、と地面を踏みしめる音がして、ぬっと格子の向こうに男の顔が現れた。それが予想外に若い男だったために、驚いて目を瞬く。まだ二十五歳ほどの青年は、綺麗な金の目をアニカに向けた。
どうしてこんなところに人がいるのだろう。父が罪人として、彼をここに閉じ込めたのだろうか。いや、まさか、そんな。
「はがせ」
「そ、そしたら、助けてくれるの?」
「ああ。お前を守ってやる――一生な」
そのとき、アニカは藁にもすがる思いだった。だから、青年の言った言葉の重さなど、わずかも気づかなかったし、あとになって後悔するなど、考えもしなかった。
けれど、あのときは死にたくなかった。
ただ、生きたかった。
わずか十四歳で人生の幕が閉じるなんて、信じたくなかったのだ。
アニカは近づいてくる足音に怯えながら、一気に札を引きはがした。
「きゃ!」
ぴりっ、という軽快な音とともにはがれた札は、アニカの手のなかで小さな炎のあげながら一瞬で燃え尽きた。
僅かな間もなく、格子が一斉に脆く崩れ去る。
「……ありがとな」
もぞ、と牢屋から出てきた青年は、うーんと大きく伸びをしながらにっこり笑った。
燭台のもとで見たのは、長い黒髪をした青年だった。背はさほど高くないが、鼻梁の通った端正な顔立ちをしている。
「約束通り、助けてやるよ。手をだしな」
「手?」
「ほら早くしろ。追いつかれっぞ」
言われるまま、両の手のひらを上向きにして差し出した。
そのうえに、青年が手を重ねる。
ふと、青年の両の手首に、金色の腕輪がはめられていることに気がついた。薄い板をぐるりと回したような大きなもので、一流の職人が施したのだろう細かな細工が、縁を華麗に飾り立てていた。
「……お前、名前は?」
「アニカ」
「アニカか。俺は、ロイ」
「ロイ? 素敵な名前ね」
「そうか? すぐに憎くてたまらくなるぜ」
「に……。どういう意味?」
「ごめんな、アニカ」
そう言って、ロイはにっこり笑った。
刹那、重ねられた両手が燃えるように熱くなり、驚いて手を離そうとした。けれど、きっちり握り込まれていて、離せない。
「なに、なにが起きてるの!」
ロイは答えなかった。
アニカは、手のひらの熱が、腕を通り、身体全体に広がるのを感じた。それが心臓に達した瞬間、どくん、とひときわ大きな鼓動を聞く。
「ああ――やっと、自由になれる。ありがとな、アニカ。それから、ごめんな」
ロイの言葉を聞いたが最後。
アニカの意識は、熱に浮かされるがごとく遠くなっていった。
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