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4、
窓の鍵は開いていた。
アニカは闇夜に紛れてそっとヴァルターの部屋に降り立つ。眠っているらしく、寝台に横になっている姿を見て苦笑した。
気配を殺してはいるが、完全とは言い難い。同族なら、侵入したことに気づいて起きてもいいはずだった。それがないということは、ヴァルターはアニカの気配に慣れてきているということだろう。
(もっと警戒しなさいよね)
心の中で文句を言いながら、寝台に近付いた。
寝顔も綺麗なヴァルターのうえ、ちょうど腰の辺りに、布団越しに跨る。
さすがに目が覚めたヴァルターは、驚いて身体を起こそうとした。それを肩に両手をかけて、押し返す。
「……夜這いですか」
余裕の笑顔で、ヴァルターが言う。
アニカは薄く笑って、首を横に振った。
「聞きたいことがあってきたの」
「明日ではいけませんか。こんな夜中に忍んでくるとは、あまり感心しませんよ」
「そうね、わかってる」
ヴァルターは眉をひそめた。
アニカの言動から、ただならぬ何かを感じ取ったようだった。
「なんですか。答えられる範囲なら、なんでもお答えしますけれど」
「テオフィールが病気っていうの、嘘だってあんた知ってたの?」
ヴァルターは軽く目を見張った。
知っていたからアニカに問われて驚いたのか、それとも知らなかったからこその驚きか、アニカには判断がつかない。
ヴァルターは寝台に横になったまま、痛ましげに目を細めた。
「……知ってましたよ」
「知ってて騙してたのね」
「すみません」
ぐ、と奥歯を噛みしめた。
心から申し訳なさそうな声を出されて、怒りがますます沸騰するのを感じる。
「テオフィール様は、私が勘付いていることを知りません。私も、騙されているふりをしていました」
「……なんで」
「あなたを引き留めるために」
ヴァルターが手のひらを向けてきた。
嘘はついていない、と証明するために、意識を読み取らせようとしているのだ。けれど、アニカは軽く首を振り、その手をつっぱねた。
彼の言葉が本当か嘘かが問題なのではない。
アニカにとって重要なのは、テオフィールが病気ではなかったことだ。
それはよいことなのだろうが、彼の野心の一端を担うことに、アニカは少なからず抵抗がある。正直に「出世目的です」と言われたら殴っていたかもしれないので、嘘から固めてきた気持ちがわからくもないが、だからといって、騙すなんて。
「私は子どもが欲しかった。テオフィール様とは利害の一致で動いています。だから、彼が病気であってもそうでなくても、私にはどうでもよかった。……けれど、あなたには違うんですね」
「当たり前でしょ! 病気だって、言うから。死ぬかもしれないって。……同じくらいの歳なのに、生きれないって、聞いたから」
言葉と共に、身体を這う熱は激しさを増す。そしてそれらは、信じられないことに目から溢れた。
泣いたのなんて何年ぶりだろうか。
いや、何百年ぶりだろう。
泣くことがこんなに苦しさを伴うなんて、ずっと忘れていた。胸が痛い。呼吸さえ苦しくて、どん、とヴァルターの胸を叩いた。
ヴァルターはただ固まっていた。
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