1、

1/4
前へ
/27ページ
次へ

1、

「あの屋敷、昔に大量殺人があったらしいぜ」 「噂だろ、それ。だいたい、昔なんとかーっていうのは、たいてい嘘なんだぜ」 「だったら、肝試し行こうじゃねぇか」 「いいぜ、行ってやろうじゃん」  少年たち三人組みがそんな話をしている傍を、アニカは外套の胸元を引き寄せながら通り過ぎた。  冬に入って間もないこの季節に肝試しとは、子どもの考えることはよくわからない。 「でも、大量殺人があったのは本当だってオヤジが言ってた。もう二百年以上も昔に、この屋敷の主人が罪を犯して、一家皆殺しの命令が下ったんだってさ」 「一家が死んだだけで大量殺人って、大げさじゃね? あ、使用人とかも含めてか」 「もちろん一家も使用人もだけど、それだけじゃなくてさ。命令されて屋敷に突撃した兵士も全員、殺されたって話」 「……誰に?」 「さぁ。とにかく、ここでは多くの人が死んで、それからは誰も足を踏み入れない廃墟になったんだと」 「やっぱり嘘くせぇよ」  はは、と笑う少年たちの会話が聞こえなくなったころ足を止める。吐き出す白い息の向こうに、子どもたちが話題にしていた廃墟があった。  かろうじてそこにあることがわかる、ぼろぼろに崩れた塀の向こう。壁のほとんどが脆く壊れ、骨組が露わとなった滑稽な屋敷は、朽ちるがままに放置されている。  それでもアニカには懐かしく、鼻の奥がじんと痛んだ。正直なところ、まだ自分に懐かしいと思う心が残っていたなど驚きだった。 (……二百年、か)  その時間の長さに眩暈を起こしかけたが、軽く髪を掻き上げることで誤魔化した。けれど、ふいに手首にきっちりはまった金の腕輪が目に入って、眉をひそめる。  アニカの両の手首には、あの日からずっと、金の腕輪がはめられている。細かな装飾が施された、手首に薄い板を巻きつけたような大きな腕輪だった。 (なにが、助けてやる、よ)  久しぶりにロイを思い出して、アニカはひきつった笑みを浮かべた。  あの男のせいで、アニカは死ねない身体になってしまった。死ねない身体、というのは控え目な表現だ。正確には、化け物になってしまった、と言った方がいい。  アニカはもう、二百年ものあいだ、街から街へふらふらと旅を続けている。食べなくても死なないので、食事はもうずっと取ってない。一か所に留まると歳を取らないために不審に思われるのと、何もすることがないので、ただ旅を続けている。 (恨んでは、いないんだけどね)  もっとも、命は永遠ではない。  この腕輪を引き継いだとき、それは知識としてアニカのなかに足跡を残した。  いくら身体が強靭になろうとも、命の終末はやがてくる。それまで、アニカはただ一人、寂しく何百年のときを過ごすしかないのだ。  アニカはすっと目を細めた。 (つけられてる)  背後を、誰かがついてくる気配がする。  盗賊だろうか、とも思ったが、それにしては身のこなしが随分と大人しい。気配もうまく断っているようだから、アニカが普通の人間ならば気づきはしなかっただろう。  何者だろう、と思いながらも、そっと壁を曲がった瞬間、アニカはひと目を避けて地面を蹴った。とん、と真上の屋根に飛び移り、すぐさまさらに隣の屋根に飛び移る。  屋根は隣から隣へ鱗のように繋がっており、人より数倍も跳躍力に優れたアニカにとって、移動するのは容易かった。  目立たないよう腰をかがめながら屋根を移動していたアニカは、ふと、連なる屋根の先に立つ人影に気づいて足を止めた。  人影は、本当に人影だった。すらりと細長い体躯をしていることはわかるが、まるで姿を誤魔化すように頭からすっぽり白い布を被っている。  じり、と足元の砂利を踏みしめた。  人影の異彩を放つ姿も怪しいが、人影は近づきたくないある種の緊張を放っている。  只者ではない、と勘が訴えていた。 「……誰」  低く呟いた。
/27ページ

最初のコメントを投稿しよう!

56人が本棚に入れています
本棚に追加