成島 響

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成島 響

 春の日差しは出会いの兆し、暖気が伝える恋への期待。  代わり映えのない、土瀝青(アスファルト)の傍らで、陽光に白む桜咲き誇る。風に吹かれて花びらが散る、時の流れを伝えてくれる。 ーー私は生まれ育った街が好きだ。  都会に生まれ育ったにしては、田舎や旅への憧れがない。それは退屈な考えかもしれないが、少し出歩くだけでも案外楽しめてしまうのだ。  いつもどこかで工事中、日々少しずつ景色が移ろう。新しい綺麗な高層ビルやマンションの間に、小汚ない雑居ビルも混じっていて、不規則に立ち並ぶ無秩序な街並みの、統一感が無いというコンセプト。毎日街は少しずつ変わっていくけれど、変わってもいいし、変わらなくてもいい。そんな風景が好きだ。  日中は社会人で溢れ返り、彼らが帰ると途端に誰もいなくなる、港に近いオフィス街。閑静な住宅街というものよりも、かえって静かになるかもしれない。  それが休日の夜中ともなれば、街灯に照らされてオレンジ色に染まった国道には、車さえあまり通らない。広大な大通りのど真ん中に立てば、そびえ立つ巨大な壁に囲われて、どこまでも続いていくような四角い景色が、全て自分だけのモノになったような気分にさせてくれる。世界が自分だけになったようで、次第にそれが寂しくもなってきたなら、コンビニにでも入ればいい。夜勤の店員がいて、他にも人がいるのだと思い出せるーー  その青年は、自分の生まれ育った街について、自分語りのために、そのような世界観を用意していた。  もし今後、彼に恋人なるものが出来、お付き合いなるものとして、あるいは逢瀬というべきものを重ねていくとして、そうした情景を語れることは、情交に至る上で有用にもなりうると考えていた。  詩的に語る備えのために、車窓の枠から過ぎ去る街並みを眺めている。ワクワクしているのは、ムクムクの予感があるからだ。彼はその実、花より女子(オナゴ)という男子(オノコ)。  風景になどさほど関心はなく、絵を描くのならまず美人画にしか筆が乗らないような人間であった。 ーー二ヶ月前、彼が入試に向かう際のことだった。 「神頼みなど好かぬ、神の成果にされては困る、神よりもまず俺を信じろ」  彼の母親が必死に有名各社を回りかき集めた学業成就お守りの束、菅原道真のご利益集合体を、彼は頑なに受け取らないまま家を出た。そも貴族政治を反対した官僚が、賄賂などを許すものか。それを更にいくつも買うなど卑怯であろうと。  その一方で、こっそりと道端で拾った京都の縁結びお守りは、ちゃっかりと鞄に忍ばせていた。  すると、随分とツキが味方して、模試の結果からすれば記念受験のつもりで受けた大学への入学が叶った。  世界史で前日にヤマを張っていた範囲がドンピシャに出て、偶然やたらとマイナーな年号さえも覚えていてほぼ満点。  ほぼ、というのは、あまりにも全部わかってしまう興奮のあまり、小問を一つ埋め忘れたためだ。  なお、「安心こそが油断になる」などと嘯き、滑り止めは一切受けなかった。彼の受験校は、その全て記念というべきものだった。  彼はそういう人間であった。  随分と偉そうな学問の神を捨てて、みすぼらしい恋愛の神を拾った。すると神様は、どうやらこの阿呆に味方した。  彼自身、モテたいという原動力こそが男の成長の全てだという恋の信奉者であり、学問は実力で戦うべきだと考える一方で、出会いはやたらと運命論に結びつけるような愛の狂信者であった。 ーー間違いなく、あの学舎には運命の出会いが待っている。  彼の高校はそこそこ偏差値も倍率も低い中の下くらいの高校で、その中でなら一般入試合格実績はトップと言えるものだった。もともと成績は意外と良いタイプだったが、センター入試の願書を唯一出し忘れる最もコミカルな生徒でもあり、その思わぬ快挙に、教員も学友も沸き立って随分と持て囃されたものだった。  だというのに、彼が熱心に怪我や熱を作っては通っていた保健室の美人教諭がベッドに近寄ってくることはなく、それ目当てだけで在籍していた書道部の美人顧問が彼の筆を卸すこともなかった。まあアリかな、くらいの生物の教諭で妥協しようと考えたが、生物学の特別講義を受けることも叶わなかった。  彼は大体、年上の女性が好きだった。  とはいえ、年上でなければならないわけでもなく、顔さえ良ければ結局は一定の関心を抱いていた。しかしやはり、一番仲の良い女友達ともいえるあのコも、クラスは別で疎遠がちだった幼馴染みのあのコも、いつの間にか彼氏を作っていた。  彼としては、甚だ疑問であった。なぜ、自分に近しい人間が自分に惚れていないのかと。  なまじ中学では偶然が重なってちょっとモテたという事実が、彼の盲信に拍車をかけてしまっていた。当時は付き合っても何をしたら良いかわからず、そもそも男友達に自慢するために告白を受けただけで、特段興味もなく、結局男同士で肩パンをして遊ぶばかりのうちに、なんとなしに破局してしまった。  もうあの頃の自分とは違う、二度と女の子を悲しませない。そう決意を固めてあるというのに、高校では特にモテることもなかった。  もし偶然自分が休んで、誰かの告白する決意が鈍ってはならないと、彼は皆勤賞をとってきた。しかしその誰かという人は、決意をすることが出来なかったようである。  高校最後の日、ボタンを要求してくるコも当然いなかったので、通りすがりの話したこともない後輩女子生徒にボタンを託し、背中で語りながら思い出の校舎を振り返ることなく去った。  そうして、晴れてこの度大学に入学した彼だが、もちろん未だ童貞を卒業していないままである。  だからこそ、彼はこの大学に運命が待っているはずだと捉えていた。縁結びの神とやらが味方したというならば、ここで運命的ボーイミーツガールがあるのだろうと。  彼はナチュラルボーンのナルシストだが、ポジティブなタイプのそれであった。特に他者を僻むでもなく、自分の魅力に気づかなかったのは縁がなかったのだろうと、あるいはあまりにハンサム過ぎて萎縮してしまったのだろうと、勝手に申し訳なく思っていた。幸せにしてあげられなくてごめんな、と。  何の根拠もなく、自分の可能性を信じて疑わない。  そんな彼が、眩く彩られた世界で、"彼女"と出会った。
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