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結香は、右足の切断手術後、2か月後に退院し高校にも復帰した。
結香は松葉づえで高校に通うが、放課後の陸上部の練習にも顔を出していた。
私は朝はもちろん結香と一緒に高校に登校し、放課後も私の演劇部の部活が終わった後に陸上部の部室に立ち寄って結香を待って一緒に帰宅した。
「お姉ちゃん、私を待ってなくていいよ!
私ひとりで帰ることできるから…」
結香の気遣いに私は、
「私は大丈夫だよ!
一緒に帰ろう!」
と言葉を返した。
高校へは電車通学のため、帰りは高校から駅まで10分程度歩き、電車に20分程度乗車すると自宅の最寄り駅に到着する。
最寄駅からは、5分程度歩くと自宅がある。
こんな生活が続いたが、大学進学を目標にしていた私が受験のために高校に登校しない日は、結香はひとりで高校に登校した。
結香は、高校の陸上部を続けていて、足に陸上競技用の義足を着けて走っているようだった。
いつしか結香は、今まで以上に陸上に没頭するようになり、陸上に全てを懸けているのかと思うくらいに気迫に満ちていた。
私が福祉医療系の4年制の大学に進学すると、結香は高校2年生に進級し、この頃からパラ陸上競技選手権大会に出場するようになっていた。
私はできるだけ結香に付き添って高校の登下校をしたり、自宅では結香の身の回りの世話をしたりした。
私が大学3年生になると、結香は4年制の体育大学に進学し、ここでも陸上競技を続けていた。
結香はパラ陸上競技選手権大会に毎年出場し、年々成績が上がっていくようだった。
私が大学を卒業して市立病院に就職して看護師として働くようになると、結香は大学3年生になっていた。
この年は、オリンピックパラリンピックが開催される年で、結香はパラリンピックの標準記録突破期間中に陸上短距離100mの標準記録を突破している。
さらに結香は、世界パラ陸上競技選手権大会に選考された選手となっており、この大会での結果は2位で日本パラリン ピック委員会へパラリンピックの選手として推薦されている。
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