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数日後の大安の日曜日、マスターの喫茶店に彼の姿があった。それも、一人ではない。いかにも育ちの良さそうな上品でエレガントな美しい女性が一緒である。恐らく、お見合い相手に違いない。彼の顔にそう書いてある。
「こんなお店で良かったのかな。」
「とんでもない。こんなレトロで雰囲気がある喫茶店は初めてです。コーヒーの香りもとっても素敵で、楽しみです。」
彼の嬉しそうな顔が、憎い程だ。
「悪かったな、こんな店で。注文は。」
お水をテーブルの上にドンと置いたマスターが意地悪く、彼に絡む。
「いつもの極上のコーヒーを二つお願いします。」
彼も心得たもので冷静に対処したが、それが却ってマスターの悪戯心を煽る結果となってしまった。
「かしこ参りました。一杯、一万円のコーヒーをお持ちします。暫く、お待ち下さい。」
『そんなものあったのか、初めて聞いたぞ。』
冷や汗が流れる彼の横顔を楽しみながら、マスターは早速、準備を始めた。
なんだか、体全体で華麗にリズムをとっているように見えるのは気のせいだろうか。
「ねえ、一杯、一万円のコーヒーってどんなお味かしら。とっても、楽しみだわ。」
「そう言ってもらえると、僕も嬉しいよ。」
本当は飲んだことないのに、彼はそう言わざるを得ない。ハメられている。
「お待たせしました。どうぞ、お楽しみ下さい。」
マスターは、フランスの貴族に給仕する執事のように恭しく、二杯のコーヒーをテーブルまで運び、そっと置いた。
「こ、これは。」
お見合い相手の瞳が、クワッと見開く。
「ほう、流石ですね。わかりますか。この朴念仁とは違いますね。」
「マスター、今日はやけに絡むね。」
「いいや、いつもの通りだけど。」
マスターと彼の漫才もどきをスルーしたお見合い相手が、コーヒーカップをじっと愛でてから、瞳を閉じて一口飲んだ。
「フランスのかの有名なマリーアントワネットが愛用したと言われるコーヒーカップと同じ型、確か一セット一千万円だったかしら。海の青、空の青とも言える綺麗な下地に描かれた優雅な金色の模様。これは、もう芸術品ね。そのコーヒーカップに決して負けていないこのコーヒー。豆が違うわ。きっと、シャープ兄弟のブルーマウンテンに違いない。薫り高く、スウッ~と鼻を駆け抜ける。豊潤でコクがあり、それでいて口あたりが優しく、のど越しが滑らか。これは、もはや魔法の産物。最高のヒーリング効果よ。」
「・・・・・・・」「・・・・・・・」
マスターと彼は、親子そろってあっけにとられていた。このお見合い相手のお嬢様、見かけと違って、ちょっと不思議ちゃんだ。
「ごめんなさい。私、いつもこんなんで、付き合っている彼にドン引きされるんです。彼に嫌われちゃうんです。」
「・・・・・・・」
「あのう、お見合い断ってもらっていんですよ。そもそも、あなたほどのイケメンで素敵な男性が私なんかとお見合いをすること自体オカシイんです。」
「とんでもない。僕の方こそ、あなたのように美しく不思議な魅力を兼ね添えた素敵な女性とお見合い出来て、嬉しく思っています。」
熱く見つめ合う若い二人を邪魔するのは野暮だ、粋じゃないと判断したマスターはカウンターに引き上げた。そして、高級コーヒー豆、ブルーマウンテンのボトルに窒素ガスを入れて封印し、丁寧にしまった。
「これで酸化は防げるぞっと。さて、これからどうなるやら。」
マスターの視線の先には、変装して何食わぬ顔して、彼たちの様子を伺っている私がいたのである。
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