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Day.5 僕と彼は未来の話をする(終)
顔を上げるとあの歩道橋があった。息を整えてから、「よし」と呟いて、一段目の階段に足を掛ける。一段上がるごとに頭の中の霧が晴れていくようだった。
前回の夢を見てから、ずっと考えていたのだ。彼の態度が変わった理由を、そして、彼は何者なのかを。
階段を上がりきって、左を向くと橋の真ん中に辺りで彼が立っていた。橋の下を眺めて、僕を待っている。歩み寄って、並んで道路を眺める。車は一台も走っていなかった。立って並んでみて分かったが、彼の身長は僕より低く、僕から彼の頭のてっぺんを見る事が出来た。彼の容姿は、まるで小さな子供だった。座って話すことが多かったから気付かなかったのだろうか__。いや、違うな。僕は少し考えてから、否定した。彼が子供に見えたのは、彼に初めて会った時から僕の背が伸びたからだろう。変わらない彼と対照に、あの頃から少しずつだけど、僕は成長していたのだ。
おもむろに僕は口を開いた。
「今日は、学校でね__。」
その言葉を始めに、僕は日常の話をした。毎年、彼にしていたように自分のペースで話したい事を取りとめもなく。
「そうか、君はもう大丈夫なんだね」
僕が話し終えた時、彼は喜びとも悲しみともつかない表情で僕を見上げた。彼の言葉に僕は小さく頷いた。それを見た彼は、「よいしょ」という掛け声と共に手すりを足場にして、欄干の上に腰を下ろした。小さな身体なのによく登れるなと感心していたから、僕は彼に「危ないよ」と声を掛けるタイミングを失った。
「君の事はね、ずっと見ていたんだよ。本当は小学校に上がるまでにしようと思っていたんだけど。君の事が心配でね。ついつい引き延ばしてしまっていたんだよ」
彼は橋の外に投げ出した足をプラプラと遊ばせながら、言葉を続けた。
「君が悩んで苦しそうだったから、あっちに連れていこうとした事もあったけど、君は自分から断ったね。辛そうなのに何でだろう、って考えていたんだけど、考えている間にも君はどんどんいろんな事を吸収して、大きくなって、変わっていった。それが分かった時、もう君と一緒にいる事はできないと思ったよ」
彼は小さく息をついて、日が傾き、色が変わってきた空を見上げた。それから、足を欄干の上に乗せ、立ち上がった。バランスを取りながら、僕の方へ向き直る。
「お別れだね」
夕日を背にした彼の顔は、影になってよく見えなかったけれど、微笑んでいたような気もした。
「君がこれからも、君の道を進んでいけますように」
そう言って、彼は背中側に倒れていった。落ちていく彼と目が合った。
「ありがとう」
そして、彼の姿は僕の目の前から消えていった。僕は、橋の上でしばらく立ち尽していた。気が付くと頬を温かいものが伝っていた。それが涙だと気付き、慌てて、服の袖で拭った。彼がいなくなった。僕の中から、大切なものが消えてしまった。それを理解すればするほど、涙はあふれた。
置いていたランドセルを背負い直して、僕は来た道を戻る。塗装が剥げて、所々赤茶けた錆の見える歩道橋。この夢を見るのもきっとこれが最後だろう。もうあの子に会うこともない。夏に取り残された蝉の鳴き声が遠くに聞こえた。僕は一人、あの子がいなくなった道を歩き始める。
ー完ー
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