Day.4 彼は笑わずに僕を見つめる

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Day.4 彼は笑わずに僕を見つめる

 またあの夢だ。僕はいつものように階段を上がる。空は暗く重く、湿り気を帯びた空気と一緒に僕の上にのしかかって来る。折り畳み傘は、ランドセルに入れてていただろうか?と考えている間に、ポツポツと雨が降り始め、歩道橋のペンキのひび割れや剥がれた部分に染み込んでいった。  階段を上りきっても彼の姿は見当たらなかった。妙だなと思いながら、橋を渡り、下りの階段に差し掛かった所でようやく彼を見つけた。彼は階段のずっと下の方でこちらに背中を向けた状態で座り込んでいた。僕が近くまで来ても、両手を頬に当て、どこか遠くを見たまま微動だにしなかった。いつもは僕が来た途端に花が咲いたような笑顔になるのに、変だ。前に彼の誘いを断ったから、その事を怒っているのだろうか。僕は恐る恐る彼の隣に並んで腰掛けた。雨は弱く、すぐに傘を差すほどではないけれど、少しずつ彼と僕の服を濡らしていた。  彼は相変わらず、黙ったままで僕の方を見向きもしなかった。彼の顔をそっと盗み見る。そこに表情は無く、ずっと先を見つめる目は、澄み切っているのに、何が映っているのかまるで解らなかった。彼らしくない態度の理由が分からなかった僕は、彼が喜ぶであろう僕の最近の学校生活について話した。 「この前、図書室で声かけて来た子がいたんだ。その子も本が好きでさ。僕の読んでた本も読んだことがあるんだって。」 僕が話し始めても、彼は一向にこちらを見ようとしなかった。図書室で出会った友達やこの前のテストで満点を取れた事などを次々と話してみるが、彼の表情は変わらない。まるで冷たい氷でできた彫刻に話しているみたいだと思いながら、僕はあれこれと話題を変えて、しゃべった。どの話も彼の興味を引くことはできないようで、僕の頭の中の『最近の出来事』の引き出しも、喉もカラカラに乾いてきた時、一台の車が僕らの横を走り去っていた。その車に目を奪われたのは、あの車と色や形が似ていたからだろうか。  僕は夏休みに入る2週間前に交通事故に遭っていた。原因は居眠り運転による車側の信号無視。おかげで僕は生まれて初めて骨折を経験し、夏休みのほとんどを病院のベットの上で過ごす事になった。医者からは骨折で済んだのが不幸中の幸いだと言われたけど、ベットで過ごす夏休みは、酷い思い出になった。  風が僕の頬を撫でて、車の後を追っていった。ふと視線を戻すと、彼と目が合った。僕の姿を映した彼の眼は、湖畔のような不思議な静謐さを持っており、その視線は僕の身体を貫いて、心の奥底まで見られているようだった。 「君は、僕が一緒に帰らなかった事を怒っているのかい?」 生唾を無理に飲み込んで、僕は彼に問いかけた。 「いいや、怒ってはいないよ」 彼は、ゆっくりと首を振る。 「じゃあ、なんで…」 「その理由は、君自身が知っているはずさ」  彼が僕の目を覗き込むように見つめる。僕は、その静かな彼の瞳の中に囚われて、動けなくなっている自分の姿を見つけた。
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