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瓢箪のような下に広がった顔から、白い粉が吹いている。いかにも、描きましたというような丸い濃い眉毛だった。しっかり化粧をしてるのに、鼻の下には産毛が生えていて剃ればいいのにと川崎は思った。
しかし、この図々しい厚化粧の年増女はそれ故にどこか、どっしり構えているように見えた。同性からよく相談を持ちかけられるタイプかもしれない。思わず立ち止まり彼女と向き合って、相手に気を許して話しをする自分の行動から、川崎はそんな風に推測した。
「ふーん、ストーカーみたいに、つきまとってるのはそう言うことかぁ。向こうが根負けするまで、やるつもり?でも、このジムであなたなんて言われてるか知ってる?」
「え?」
女が内緒話をしようと、川崎の耳に口を近づけて来る。女の首すじから、ずいぶん昔に嗅いだことのある古臭い香水の匂いがした。箪笥の中から、若い頃着ていた懐かしい服を他人に引っ張り出されたような気がしたが、俺に懐古趣味はなかった。
告げ口はどこか楽しいものなのだろう、唇の端に笑みが浮かんでいる。こんな口の軽い女が、人生相談に向いていると思うなんて俺も焼きが回ったようだ。
「あなたのこと、みんな蛇みたいだって言ってるわ。目をギョロつかせて狙った獲物に、どこまでも執念深くついて行く達の悪い毒ヘビ。あー、あなたは実日子さんがいない時は良くプールで泳いでるから海蛇かしら?でも、そんなことしてるより新しい出会いを探した方が建設的だと思わない?」
その新しい出会いの相手と言うのは、どうやらこの女のことらしい。川崎は取り付く島もないような冷たい表情をした。
「新しい出会いか…。悪いけど君は俺の好みじゃない。面食いなんでね」
俺が蛇ならおまえは、暑化粧のおかめだなとでも言ってやろうかと思ったがやめた。泥仕合は御免だ。これだけ言えば充分だった。
そう思ったが、もうすでに言い過ぎているのかもしれない。女性にデリカシーがないと、昔実日子によく言われていたことを、川崎は思い出す。
「何よ!いろいろ教えてあげたのに!」
女は憤慨して、足早に更衣室の方へ去って行った。
自分が誰かの恋愛対象になる年齢ではないということに、人はいつ気づくのだろうか?目の前の女性はおばさんもいいところで、老女に差しかかっていた。いや、そんなことには気づかないのかもしれない。
そう言う俺は、五十歳になった夏に二十歳の女性と不倫をした。それが、実日子にバレて離婚のきっかけになってしまったのだった。男はいくつになっても恋愛の可能性があるように思っている。そして、高齢で同じようなことをする女性には厳しい。男なんて勝手なものだと髪が薄くなり、後退した広い額を撫でながら、人ごとのように川崎は思った。
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