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序章
どの世界にも、『光』と『闇』が存在する。
人間界――アースガルドにも、魔界――アスドガルドにも存在している。
だが、アースガルドとアスドガルドでは、考え方が違った。
それもそのはずだ。文化が違うように、考え方も同様に違うのだから。
でも、だからと言って、それを否定してはいけない。
例え、アースガルドでは『光』が善で、『闇』が悪だとしても。
アスドガルドでは、そうではないのだから。
そう思うようになったのは、アスドガルドでの暮らしが長くなったからなのか、それともまた別の要因か。よく分からないけれど、その考えは決して間違ってはいないはずだ。
「そうだろう? サターナ」
魔王城――最上階。殺風景な部屋に玉座しか置かれてない玉座の間にて。
王座の上で足を組み、退屈そうにしているサターナの前に座り、ヒーロはそう問いかけた。
「……間違ってはいないさ。その考えはヒーロにしか出来ないだろうけど」
「そうか? 魔族を嫌っていた俺がそう思えたんだ。お互いを理解し合えば、俺の考えに辿り着くよ」
「……本気で言っているのか? 本気で魔族と人間が分かり合えると?」
サターナの眉根が上がる。ヒーロの言っていることが理解しかねているようだ。
しかし、彼は彼女の顔を真っ直ぐに見ると、
「思ってるさ、俺、サターナのこと好きだし」
そんなことを口にした。
サターナはその言葉を受け流し、さも冷静を装っているかのように話を続ける。
「ヒーロが我のことを好いてくれようと、皆が皆好きになってくれるわけではあるまい」
「そりゃそうだ。……というか、そうなったら嫌だな」
「嫌? 何故だ? 人間が我を好きになれば、世の中はもっと平和になるだろう?」
「まあ……そうなんだが。俺は、サターナにとって特別な人間でいたいんだよ。もし、俺以外の人間がサターナのことが好きになれば、俺はサターナの特別ではなくなるからな」
ヒーロの予想外の言葉に、サターナは固まること、数秒後。
「くっ、くくくくく。そうか、そうか。我は嬉しいぞ、ヒーロ」
魔王にしては、可愛らしい笑みをヒーロに見せた。
すると、
「その顔可愛い! いつも、その顔でいたらモテモテだな!」
ヒーロはからかった。
その悪気の無い言葉にサターナの女心は傷付けられてしまい――
「――もう我の前に姿を現すな!」
ショックを受けたサターナは転移魔法でヒーロをどこかに飛ばした。
玉座の間に残された彼女は誰にも聞こえないことをいいことに胸の内にある秘めたる想いを声に乗せる。
「我が笑顔を見せるのは、ヒーロだけ! ヒーロ以外には見せないのに……。どうして、気付いてくれぬのだ? 我はヒーロのことが好きなのに……」
魔王としての覇気も、尊厳もないサターナは、どこからどう見ても、恋する乙女だった。
「はわ、はわわわわ! サターナ様がそんな……!」
偶然(?)、玉座の間に繋がる木製の扉の前にいた幹部――エナがショックを受けていた。
エナはサターナのことが大好きで、『サターナ様と結婚するのは私!』と魔王幹部によく言っている。それほどまでの大好き具合なので、サターナが好きなのは自分ではなく、よりによって人間であるヒーロという事実を本人の口から聞いてしまったのだから、それはもう立ち直れないほどのショックを――
「ヒーロ殺す。サターナ様の弱みを握って言わせたに違いない」
全く受けていなかった。むしろ、やる気に満ち満ちていた。
この場合、『やる気』ではなく、『殺る気』ではあるが。
「ヒーロ、覚悟―っ!」
扉を蹴破り、堂々と玉座の間に侵入。
「……あれ? ヒーロは?」
「エ、エナ! いつからそこに居た!」
「最初の方からですけど?」
「くっ、記憶よ、とべっ!」
「え?」
気付いたときには、時はすでに遅かった。
エナはサターナの転移魔法でアスドガルドではないどこか、しかも峡谷に飛ばされた挙句、重力に逆らえずに落下していた。
「どうしてこうなるのーーーーーっ!」
エナの叫びは誰にも届かない。ただ虚しく、反響するだけだった。
「全く、サターナのやつ。急に転移魔法使うことないのに」
魔王城から数キロメートル地点に飛ばされたヒーロ。彼が飛ばされたのは、何も見えない場所。
アスドガルドは、常時雲に覆われているため、薄暗い場所は多い。
しかし、ここは霧にも覆われているため何も見えないのだ。
魔族はこの環境に適応しており、見えているが、彼はただの人間。そんな奴が放り出されたら……
「多いな。十、いや二十ぐらいか?」
魔物は餌を求めてやって来る。魔物にとって、ヒーロは食物でしかないからだ。
しかし、彼は人間であれど、そこら辺にいる魔物に喰われるようなやわな人間ではない。
「――『闇魔法』、【魔眼解放】」
魔族の持つ魔眼ほど強力なものではないが、暗闇の中でも見通せるようになる。簡単に言うと、【暗視】だ。何故、【魔眼解放】なんて名前つけたのかは、ヒーロが言うには、カッコいいからだそうだ。
「ブラッドウルフか。厄介だな」
ブラッドウルフは、人間の生き血が好きな魔物だ。アースガルドでは、人間の住む村を襲い、住民を喰い殺し、壊滅させたほど。単体ではさほど脅威というわけでもないが、群れをなしていると、危険度が跳ね上がる。
理由としては、ブラッドウルフ内で視界を共有しているため、死角がないことと、人間を喰らうためなら仲間を犠牲にする残忍さが予測できないからだ。
「まあ、攻略法はあるけどな。――『闇魔法』、【常世ノ闇】」
全てを闇に還し、時間を停止させる魔法。攻撃力は皆無だが、闇に支配された物体の時間がそこで停止し、術者が魔法を解くまで、二度と時間が進むことはない。
「ブラッドウルフ如きに【常世ノ闇】を使う意味はないが、殺すのめんどくさいしな」
ヒーロは今武器を持っていない。武器を創造するのは、【闇魔法】の範疇外。なので、ブラッドウルフを殴り殺さなければいけないのだ。
「さて、さっさと魔王城に戻ろう。――『闇魔法』、【闇ノ両翼】」
ヒーロは闇の翼をはばたかせ、魔王城が見える方向に飛ぶのだった。
「……よし、到着!」
魔王城の門前に着いたヒーロ。【闇ノ両翼】は魔力操作に難がある彼にとって、相性の悪い魔法。【魔眼解放】や【常世ノ闇】は、魔力を余分に使い、魔力の練り上げ不足を補える。 しかし、【闇ノ両翼】はそれが通用しない魔法のため、何度も墜落してしまい、身体中がボロボロだ。もう少し、魔力操作に慣れないと。
そう思う彼だったが、ふと騒がしいのに気づく。
「……? 何だ?」
魔王城は城下町の中心部にあるため、いつも喧騒に満ち溢れている。
だが、この騒がしいは、いつもの感じとは違う。
気になったヒーロは慌ただしく流れる人並みの中から、女を捕まえ聞く。
「何かあったのか? 騒がしいけど」
「ヒ、ヒーロ様⁉ 知らされていないんですか?」
「ごめん、聞かせてくれ」
「エナ様の魔力反応が消えたんです!」
「魔力反応が消えた? サターナはどうした?」
「分かりません。ですが、サターナ様が元凶のようでして……」
「分かった。サターナに直接聞いてくる」
ヒーロは門を潜り、魔王城に入る。
装飾品が飾られている廊下を渡り、小さな明かりで照らされる階段を上る。
魔王城は十階構造で、玉座の間は最上階のため、百段以上もの段を上らなければならない。
そのため、すぐに足が悲鳴を上げ始めたが、無視して最上階を目指す。
そして……
「遅かったな、ヒーロ」
玉座の間に入った途端、話しかけられたため、反応に遅れた。もし、ここが戦場なら、ヒーロは既に死んでいる。いつのまにか、慢心していたようだ。気を引き締めなくては。
彼はそう思い、サターナの前に佇む魔王軍幹部の中でも、最古参である二人のところに並ぶ。
「エヴァン将軍とソンアさんがここにいるってことは、エナのことと関係してるんですか?」
「知っていたか」
「街で騒ぎになってましたからね。……それで、状況は?」
「かなり危ない状況よ。あなたなら、既に死んでいてもおかしくないわ」
ヒーロの耳に届いたのは、聞きなれた凛々しいソンアの声ではなく、色々な感情が孕んだ声。表情もまた、様々な感情が入り混じって、美しい顔が台無しになっている。
もう一度、エヴァンに視線を戻すと、彼の表情もまた複雑なものだった。
重苦しい雰囲気が、玉座の間を支配する中、ヒーロは口を開く。
「エナに……何があったんですか?」
「心して聴け」
エヴァンの発する雰囲気がより一層重たいものになり、ヒーロは喉を鳴らした。
魔王軍の古参として、多くの死線を潜り抜けてきたエヴァンが言うのだ。
今、エナが置かれている状況は、かなり危険なもののはずだ。
ヒーロは一度深呼吸をすると、エヴァンに首肯をして、続きを促す。
「――エナは勇者と接触してしまった」
「……は?」
エヴァンが何を言っているのか、ヒーロには理解できなかった。理解できるはずもない。
だって、魔族が勇者と鉢合わせるということは、死を意味していて……
「エヴァン将軍、冗談はよしてください。エナが勇者と……? そんなもの信じられるわけが……」
「事実だ」
「もし、本当に事実だと言うのなら……何してるんですか。何で、サターナに続く戦闘力を誇る二人がここでのんびりしてるんですか。早く助けに行かないと……」
「駄目だ。もうエナは助からん」
「……そんなものだったんですか? あなたたちは同族を最も大事にする種族じゃなかったんですか? 何が仲間は絶対に見捨てない魔王軍なんだよ……見捨てているじゃないか」
ヒーロの声は震えていた。魔王軍に尊敬の念を抱いていた彼にとって、この裏切りはとても重たい。だから、心に刺さる。研ぎ澄まされた刃が、心を抉る。
「もういいです。俺が助けます。絶対に連れて帰ってきます」
「……待て。お前じゃ、勇者に殺されて終わりだ」
「サターナ、俺をエナがいる座標に飛ばしてくれ」
エヴァンを無視して、今まで玉座で膝を抱えていたサターナに声をかけた。その声に肩を震わせ、顔を上げる彼女だが、いつもと違うヒーロの顔に怯え、再び俯く。
「早くしてくれ。一刻も早く、エナを助けないと――」
「……我のせいだ。我がもっと勇気があれば、こんなことにはならなかった。皆、我のせいで死にゆく。エナも、ヒーロも、エヴァンも、ソンアも……我が弱いから……」
「いい加減にしろ! エナが危ない目に遭ってるのは、お前が弱いからじゃない。お前が何もしないからだ。それで、今までよくもまあ魔王を務められたな。お前は魔王の器じゃない。……お前は、俺の好きなサターナじゃない」
「我は……ヒーロのことが好きだ。全てを犠牲にしても、ヒーロが笑っていられるなら、それでいい。だから、我はヒーロにエナを助けさせない。ヒーロを危険な目に遭わせるぐらいなら、エナを――」
「――その先を言ってみろ。殺すぞ」
「おい、ヒーロ。今何と言った!」
「外野は黙ってろ。俺はサターナと話してる」
殺気。
有無を言わせぬ、圧倒的な殺気を放つ今のヒーロは、サターナよりも魔王らしい。
「どうして、分かってくれぬのだ? 我はこんなにもヒーロが好きなのに。どうして、他の女のことを考えるの? ねえ、どうして?」
「話にならない。俺は行く。ここには戻ってこない。エナも嫌だろうしな」
「待って、我より、エナの方がいいの? どうして? エナは鈍臭いし、ケチだし、いろんな男に愛嬌を振りまくような人なんだよ? そんな人より、一途な我の方が――」
「――何言ってんだ? そこがエナのいいところだろう? じゃあな、クズ女」
サターナに背を向け、玉座の間を出るヒーロ。エヴァンも、ソンアも、今までとは明らかに違うヒーロに戸惑っていて、話しかけることも出来なかった。
ただ、これだけはわかる。
「あなたは優しい子なのね。あなたと過ごせた時間、楽しかったわ。――絶対に、エナを幸せにしてあげて」
ヒーロは、紛れもない魔族だということを。
【闇ノ両翼】で、空中を翔ること数時間。ようやっと、アースガルドに繋がる裂け目を見つけた。
サターナに転移魔法で飛ばしてもらっていたならば、この手間は省けたが、あの状況だとただ時間を無駄にしていただけだろう。
「……五年前か」
ヒーロは今から五年前、アースガルドからアスドガルドに連れて来られた。『闇魔法』に適性のあった彼は異端者の烙印を押され、処刑されそうになっていたところ、魔王軍に助けてもらい、魔界で暮らすようになったのだ。魔王軍には感謝してもしきれない恩を感じているが、先程の件で、一緒に暮らしたいとは思えなくなった。
結局、人間も魔族も、醜いところは一緒だったのだと思い知らされたのだ。
「行くか……」
ヒーロは意を決し、裂け目に飛び込んだ。すると、謎の浮遊感と波に呑まれる様な感覚に見合わされた。そう思うと、何かに引き寄せられるような感覚が身体を支配して……
「……眩し」
目を焼いたのは、久しぶりの太陽だ。まだ太陽は昇りきっていないため、午前だということがわかる。魔界には一切差し掛からなかった太陽を浴びて、少し眩暈がしたが、すぐに立ち上がり、移動を開始した。
「――『闇魔法』、【闇ノ共鳴】」
対象者の位置がわかるだけでなく、距離が近くなるほど、お互いの位置情報を知らせる。
「……遠いな。間に合うか?」
西の方角に数十キロ。人の足では到底一日ではたどり着けない場所にいるエナ。
恐らく、どこかの国に捕らわれているのだろう。移動の気配はない。
「エナの生命力を考慮して……ギリ間に合うか」
そうは言っても、危ない状況。のんびりしている暇はない。
「――『闇魔法』、【闇ノ両翼】、【気配遮断】」
気配を遮断しつつ、黒い翼で天を翔る。
魔力の使い過ぎで、少し頭が痛いが、無理をすれば飛べないこともない。
今は、自分の身体より、エナの身柄を確保することが最優先。
「待ってろ、絶対に助けてやるからな」
そう意気込むヒーロは、更に加速して、先を急いだ。
「いい加減に吐け! お前は何をしに来た!」
暗い地下通路が続く先で、怒号が響いた。地下通路の先には、明かりのついた部屋があり、そこに一人の少女とナイスガイが何やら話している。
「だから、何もしないって。アースガルドに来たのは、たまたま運が悪かっただけなんだって」
「嘘をつくな! そんな嘘が通じると思うな」
「ぐぅっ!」
両手両足を枷で拘束され、腹部に蹴りを入れられた青髪の少女は呻きを漏らした。
「早く言え! お前は何をしに来た!」
「……あえて言うなら、知り合いのいた世界を見に来た」
「魔族に人間の知り合いがいるわけないだろ!」
「いるよ。そんなことより、早く私を始末した方がいいんじゃない? 特定されちゃうよ?」
「くっくくくっ! 何を言うかと思えば、また嘘か。万が一、お前に人間の知り合いがいたとしても、特定できまい」
「……もう、知らないよ? あたしは忠告したからね」
少女――エナは肩をすくめた。その際、枷から金属の音が鳴る。本当のところ、こんな枷、余裕で壊せる。だが、その後が厄介。何故なら、勇者がいるからだ。魔王軍幹部の彼女からしても、勇者は規格外。まともにやりあったならば、瞬殺される。だから、容易には動けない。
「馬鹿だな、本当。放っておけばよかったのに」
エナはポツリと呟いた。彼女の表情は嬉しそうなのに、悲しそう。それもそのはず。今、彼女の掴んでいる気配は人間の少年――ヒーロだけ。愛してやまない魔王は助けに来てくれていない。そのことがとてもショックなのだ。
「見捨てられたのかな、私」
「さっきから何ぶつぶつ言ってんだ? 気が狂ったか?」
「狂ってないよ、失礼な。そうだ、後、五秒で来るよ?」
「何の話をしてる」
「――五、四、三、二、一、零」
「助けに来たぜ? ――エナ?」
衝突音と土煙が立ち込める中、そんな声が響いた。
エナは一つ、溜息を吐くと
「遅い。もっと早く来てよ」
軽口を叩く。
「うるさい。これでも、飛ばしてきたんだぞ?」
「それでも、遅いの!」
「……エナ、逃げるぞ。勇者となんか戦ってられるか!」
「そうね。全速力で逃げましょう」
エナはそう言うと、四肢に力を込め、枷を壊すとヒーロが壊した穴から外に出る。辺りを見渡しても、魔王はいない。そのことに肩を落としつつも、逃げる足は止めない。
「エナ、遅い。こんなんじゃ追い付かれる」
「うるさい! わかってる」
「わかってるなら、急ぐぞ」
「急ぐってどこに?」
「さあ? 取り敢えず、安全なところに?」
曖昧な言葉で濁すヒーロに苦笑しながら、彼の隣に並ぶエナはこう言うのだった。
「助けに来てくれてありがとう、ヒーロ」
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