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「周」
足早な足音が聞こえ、怒ったような兄の声が聞こえる。
扉一枚だけを隔てたその向こう側で、俺は息を潜めた。心臓が大きく脈打つ。
「鍵が開いていた。どういうことだ」
兄が周を問い詰める。
全身が心臓になったかのようにどくんどくんと煩い。
周がもし何かされたら、自分のせいなんじゃないか。
今さら、周の言葉に従って戻っておくのがよかったのではと後悔する。
「昨日、掛け忘れたんじゃないの」
周は静かにそう言った。
「俺はここの鍵を掛け忘れたことなんかない」
兄がそんなミスをするわけがないのは、弟の俺にだって分かる。周も苦しい言い逃れだと分かっていて言ったのだろう。それ以上は何も答えなかった。
「それに、家に瑞樹がいなかった」
兄が俺に話題を変えた瞬間、心臓が縮み上がる。
開いていた鍵と、家にいない弟。兄が何を言わんとしているのか。分かるから心臓が痛い。
「瑞樹が?」
「お前、知らないな?」
周はすぐには答えなかった。
沈黙が流れる。
周が追い詰められているのは、直接見なくても分かる。
そして次の瞬間、ガシャンガシャンと何かが倒れる音がした。
──何?
けたたましい音に驚く。
扉の向こう側で何が起こっているんだ?
焦りだけが一人歩きをして、扉を開けてしまいそうになる。
「海、待って、いっ……」
鎖を引き摺るような音の後に、乾いた破裂音のような音が何度も部屋に響く。
周の右足首がよく赤く腫れていたのを思い出す。あれは鎖ごと引き摺られていたから?
「ごめんなさい、海、ごめん……っごめんなさい」
周はひたすら謝っていた。
しかし頬を打つような音は止まない。
──周は、今、兄に殴られているのだ。
どうしても受け入れがたい現実を、やっと頭が呑み込んだ。
周がいくら出るなと言ったとはいえ、我慢の限界だった。
「周!!」
洗面所から飛び出して、目を疑った。
周は倒れた家具の下でぐったりして、ただでさえ腫れていた頬が叩かれて真っ赤になっている。
どうしてこんなに酷いことをされて逃げ出さないのか。俺が協力すれば逃げられたのに。こんなに痛い思いをせずに済んだのに。
俺が周の体を覆うように庇うと、兄の暴行はぴたりと止まった。
「瑞樹、こんなところにいたのか」
「兄さん……」
兄に冷ややかな目で見下ろされ、体が奥底まで冷える。
こんな兄は見たことがない。
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