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「確かノトイ君、だったよな?」
近づいてきた騎士はノトイを見下ろしながらそう言った。しかしノトイはその人物を見る気も、その言葉にこたえる気もなく、無言のまま倒れているだけだった。
「このままだと俺は、お前を殺さなければならないんだけどな。いつまでそうしているつもりだ?」
そんな言葉に続き、シュリンッと剣を抜く音が聞こえた。その瞬間、ノトイの体はまたしても勝手に動き始め、地面に手をついて立ち上がる。
そして目の前にいる人物を見た途端、ノトイは少なからず驚きを覚えた。白銀の鎧に盾のマーク。これは騎士団の中でもトップに位置する白の騎士団に所属している証である。ついに白の騎士団の騎士までもが自分を捕まえるために動き始めたのだ。
(でもその方がいいかもしれないな。白の騎士だったら、いくらバロールだって簡単には勝てないだろうから……)
ノトイはうつろな目でそう考えると、剣を引き抜いた。
「お前……」
虚ろな目に力の入っていない姿勢。しかし剣をしっかりと握るノトイの違和感に白の騎士は少し何かに勘づいたようだった。しかし、それで剣を引くような様子は見せなかった。
「色々と事情があるようだが、お前が剣を引かない限り、俺も剣を引くことはないぞ」
「……」
ノトイは答える代わりに剣を構え、いつでも戦闘を始めることができると合図した。
「そうか、それは残念だな。だったら俺は、お前を殺す!」
そして二人の戦いは始まった。
ノトイは今や常人では捉えられないほどの速さで剣を振るうことができるようになっていた。初手から次々と鋭い一撃を放ち、騎士を追い詰めていった。
しかし相手も騎士団の中でも精鋭中の精鋭だけが所属することができる白の騎士団の騎士である。ノトイの攻撃を避けるか弾くかですべての攻撃を防御していった。
「ずいぶんと乱暴な戦い方をするんだな。前見たときには、もっと綺麗な剣の振り方だったと思うんだがな!」
ノトイの連撃を弾き、距離をとった騎士はそう言った。まるで以前にも会ったことがあるような、そんな言い方にノトイは疑問を覚える。
しかし、そんなことはもうどうでもいいことだった。今はただ白の騎士が自分を倒してくれるのを待つだけだ。
「ふん、俺と話す気はないってことか」
騎士はそう吐き捨てると、再びノトイとの距離を詰め、攻撃を放っていった。
それからのノトイと騎士の戦いは、まさに拮抗したものだった。ノトイの剣を騎士が弾き、騎士の剣をノトイが防ぐ。そんな繰り返しの中で、ノトイは次第に焦りを覚え始めていた。
(もしかして、白の騎士でもバロールの力に勝つことはできないのか……?)
いかにバロールの力が強かろうと、白の騎士であればその力に対抗し勝つことができるであろうと思っていたが、どうやらそれは楽観であったらしかった。バロールの力は、白の騎士でも敵わないほど強大になっていたのだ。
もし、ここでノトイが白の騎士を殺してしまえば、もうノトイに勝てるほどの人間はいなくなるだろう。国の象徴でもある白の騎士を殺したノトイを人々は憎むだろうからだ。そうなれば、ノトイは一生をこのバロールに支配されたまま生きなければならなくなる。
それだけは、絶対に嫌だった。
「……なにしてるんだよ白の騎士!僕に勝てないほどの力で、よくも白の騎士団に入れたな!僕くらい余裕にねじり伏せてみせろよ!じゃないと、じゃないと僕はあいつから離れることができないじゃないか!」
ノトイはついに内に秘めたる思いを対峙する騎士へ吐き出した。ノトイの焦りは、騎士への怒りとなって爆発したのだ。そんなノトイに白の騎士は一瞬呆気にとられていたが、すぐににやりと笑う。
「何をそんなに心配しているのかわからないがな、俺に勝ってほしいんだったら、まずはお前がやることがあるだろうが!」
騎士は攻撃を放つ手を止めることなくそう言った。その言葉が癪に障ったノトイもさらに負けじと言い返す。
「やること?なんだよそれ。もう体も自由に動かせない僕に、できることなんてないじゃないか!」
「お前がすぐそんな風に言い訳つけて諦めるような奴だから厄介なことになってんだろうがよ。お前も男だったら少しは抵抗してみせろ。端から諦めてたんじゃ何もできねえだろ!」
そう言って騎士は一層強い攻撃を放つと、ノトイの体ごと強引に押し出した。思わず体勢を崩して尻もちをついてしまうノトイに、騎士はさらに続けた。
「俺にはよくお前の状況が理解できていないがな。もし何かを乗り越えようとしているなら、それを他人任せにしちゃだめだ。自分で必死に頑張って、死ぬほど頑張ってそれでもだめだったら俺たちは手を貸してやる。だからそうなるまでは自分で頑張ってみろよ」
騎士は尻もちをつくノトイを見下ろす形で言った。
「……僕は、必死に抵抗したんだ。もう誰も殺したくないって、誰にも剣を向けたくないって。でも駄目だったんだよ」
「だったらもう一回だけ頑張ってみろ。今回はうまくいくかもしれないじゃないか」
騎士のそんな言葉を聞いているうちにも、ノトイの腕は勝手に剣を握りしめ、立ち上がろうとしている。ノトイはそんな自分の体を見下ろしながら、ふとアリアとの会話が頭をよぎるのだった。
アリアはいつも、ノトイの魅力はどんなことがあっても努力を諦めないことだと言っていた。そして、どんなに結果がついてこなかったとしても、そこで努力を諦めてしまえば何も変わらないんだとも。
ノトイは今、バロールに支配されている自分がどれだけ愚かかを知っている。そしてこの状況を変えたいとも思っている。だったらアリアの言うように、変わりたいのであれば努力を諦めてはいけないのだ。
(アリア、僕はもう一度頑張ってみるよ……)
そう心に決めたノトイは、今まさに騎士の方へ向けていた剣を下におろすように体を動かした。もちろん、ノトイの体はすでにバロールに支配されているため実際には一ミリたりとも動いていない。しかしノトイは、それでも強引にバロールの支配に抵抗した。
「うぁああああ!」
そのうちノトイの体は騎士との距離を縮めるため走り始めるが、ノトイはそれに全力で抵抗する。全身からビリビリとした痛みが発生するが、それでも抵抗することをやめなかった。
ノトイは一瞬一瞬の、すべての時間においてノトイは自らの体と戦った。少しでも気を抜けばそのまま流されてしまいそうで怖かった。ノトイの足が踏み出す一歩も、今のノトイにはとてつもなく長く感じられる。
だがそれは自分が一瞬一瞬に神経を集中させているからだけではないことに気が付いた。
実際に、ノトイの走る速度は今までよりも格段に遅くなっていたのだ。
(このままいけば、バロールを止めることができる……!)
しかし、ノトイがそう思った瞬間、すでに騎士の姿は目の前にまで迫っていた。そしてノトイの体は走ることをやめ、剣を大きく振りかぶる体勢に入っていた。
(まずい!)
ノトイは瞬時に剣を振り下ろさんとしている腕に抵抗するが、駄目だった。多少は速度の削られた剣を持つ腕が、今まさに騎士に向かって振り下ろされ始めたのだ。
「残念だ、少年」
騎士はそう吐き捨てると、ノトイの放つ攻撃よりもさらに速い速度で剣を振るった。
ノトイは歯を食いしばる。もうすでにノトイの振るった剣は騎士の首と数ミリの距離しかないところまできてしまっていた。そして騎士の振るった剣もまた、ノトイに直撃する直前にまで迫っていた。
(駄目だったのか……。結局、僕の力じゃあバロールの力に抵抗することはできなかったのか……)
ノトイは思わず抵抗を緩めてしまう。あと少しのところで、ノトイはバロールの力に勝つことができなかったのだ。
(ごめん、アリア。僕は自分に勝つことができなかったよ……)
そしてノトイがすべてを諦めて目を瞑ろうとした時。背後から温かい何かがノトイを包み込んだ。
「まだ終わってないよ。さあもう一度自分を強くもって。大丈夫、ノトイならできるって、私は知ってるから」
温かさと一緒にノトイの耳元に聞こえたその声は、たしかにアリアの声だった。いつもノトイを励まし、支えてくれていた時と変わらぬ優しい声だった。そしてそのアリアの声を聴いた途端、ノトイの体はもう一度強く自分を取り戻した。
「はぁぁぁあああ!」
ノトイは目をカッと見開いて、今まさに騎士に触れようとしていた剣を引き戻した。腕の感覚がなくなるほどの強い激痛が走るが、それを無視して抵抗する。
するとノトイの腕はピクッと動き、その動きを止めた。間一髪、ほんの僅か騎士の体に剣が触れる前に、ノトイの剣は停止したのだった。
(止まった……のか?)
しかし次の瞬間、ノトイがバロールの力に抵抗できたということを完全に理解する前に、ノトイは見知らぬ場所に立たされていた。
そこは果てしなく暗い黒の世界だった。
(なんだこれは……?僕は白の騎士と戦っていたはずじゃ……)
ノトイは急に起きたことに理解が追い付かず、しばらくの間、脳を必死に動かし今の状況を把握しようとした。
しかし、それはノトイにかけられた声によって中断させられてしまう。
「我が世界へようこそ、契約者よ」
ノトイはそのよく聞きなれた、そして今一番聞きたくない声のした方向に顔を向ける。そこには人の形をした、紫色の肌の魔人が立っていた。
「ああ、この姿で会うのは初めてだな。俺はバロール。お前の持つ剣に宿っていた者だ」
魔人のその言葉をたっぷり数秒かけて理解したノトイは、途端に険しい顔をしてバロールを睨んだ。
「つまりお前が、僕をここまで貶めたバロールの本体だというのか!」
「貶めたと言われるのはいささか不本意ではあるが、まあそういうことだな」
バロールは一度フッと笑いを漏らす。
「何が不本意だ!お前は僕の体を操作して学校の人達や色んな人を傷つけた上に、僕の大切な存在さえも奪ったんだ。お前がいなければこんなことになることはなかった!」
「それは違うな。俺はお前が望んだことしかやっていないと前にも言っただろう?それに何を勘違いしているのか知らないが、俺の力が及ぶのはお前がこの剣を持っている時だけだ。他の剣で戦っている時に相手を傷つけたのだとしたら、それはすべてお前の行動だということだ」
バロールは手に握る、いつもバロールの意思を宿らせている剣を見て言った。
「なん、だって……?」
「まだわからないのか?結局お前は俺の力を言い訳に、その醜い復讐心を満たしていただけだったんだよ」
ノトイは自分の心臓がドクンと強く脈打つのを感じた。生徒たちを必要以上に痛めつけていたのも、校内最強の男を倒したのもすべてバロールの仕業だと思っていたが、実はそうではなかったのだ。ノトイは自分の意思で他の者を傷つけていたのだ。
「まさか……。僕がそんなことするわけないじゃないか!自分のしたことの責任を人に押し付けるなよ!」
しかしノトイはその事実を認めたくなかった。醜い復讐心にかられ、自分が最も嫌うことをそのまま相手にやり返したなどということを。
そんなノトイを見たバロールは、まるで囚人を見るかのような目でノトイを嘲った。
「お前もなかなかに強情なやつだな。今まさにお前は言ったな。自分の責任を押し付けるなと。そっくりそのまま返そう。お前が復讐のために人を傷つけた責任を、俺に擦り付けるな」
「……ッ!」
この言葉には、ノトイも反論の言葉が思い浮かばなかった。そして自分の意思で人を傷つけていたのだと認めざるを得なかった。
(僕は結局、手にした力で自分が嫌ったことをやり返すことしかできない弱小者だったんだ……)
ノトイは初めて目の当たりにした自分の正体に自己嫌悪を感じた。そして同時に自分の弱さを改めて実感していた。
「……僕はどうすればいい?」
ノトイはすがるような口調でバロールに問うた。
「お前は強くなりたいのだろう?だとすれば今すぐ無駄な抵抗をやめることだな。お前が剣を向けるべきは、俺ではなくあの白い騎士だろう?」
その言葉に、ノトイはもう一度自分のなすべきことを考えた。強さを求め失敗した自分と、バロールの意思に屈してしまった自分。どちらもノトイの弱さが招いた結果だ。だとすれば、バロールの言うように、強くなるために白の騎士へ剣を向けた方がいいのだろうか。
いつものノトイであれば、あるいはバロールの言葉に従い、また自らの罪を重ねていたかもしれない。しかし今のノトイは違った。今のノトイには、まだアリアの残した温かさと言葉が残っていたのだ。
「確かに、僕は強くなりたい。それは今でも変わることのない僕の望みだ。だけど力が強いってだけが人間の強さじゃないんだ。僕は力が強いだけの強さなんて望まない。だから僕は、お前を倒す。そして本当の強さを手に入れて見せるんだ!」
ノトイはきつく拳を握りしめてそう言った。力だけを求める道から外れ、真の強さを手に入れる道を選んだのだ。
「そうか。いいだろう、ならばかかってこい契約者よ。実力の差を見せつけて、その体をもらってやろう」
そしてバロールは持っていた剣を構え、剣先をノトイに向けた。
バロールが武器を構えた見て、ノトイも剣を引き抜く。ノトイの手中にあるのは養兵学校で試合をするときにいつも使っている訓練用の剣だった。
「ここはお前の体内だと思え、契約者よ。今見えているお前と俺は、つまりお互いの意思を具現化させたものだ。もしお前が真の強さを望むのであれば、その意志の強さを証明して見せろ!」
そう言うと、バロールは剣をノトイに向ける。ノトイはごくりと唾を飲み込むと、自らもバロールへ全意識を集中させていった。
そしてノトイはバロールへ打ちかかった。ノトイの剣とバロールの剣がぶつかり合い、激しく火花を散らす。それから二人は何度も何度も剣を打ち合わせた。
今思えば、バロールと出会い契約を結んだその瞬間からノトイの生活は変わってしまった。ノトイの弱さと愚かさが、バロールの付け込む隙をつくってしまったのだ。そして様々な人を傷つけ、自分の隠された醜い復讐心をも増大させてしまった。
だけど今、もう一度バロールを退ける機会が巡ってきている。ここでバロールに勝利することができれば完全に自分を取り戻すことができるのだ。
だが、自分を取り戻したからと言って今まで殺めてきた人々が生き返ることはないし、ノトイの罪が消えるわけでもない。しかし自分の罪を償うためにも、まずは自分自身を取り戻さなければならないのだ。
「だから、僕は絶対にお前に負けるわけにはいかないんだ!」
ノトイは雄たけびを上げながらバロールに剣を振るう。バロールは最初こそその攻撃を防いでいたが、だんだんとノトイの攻撃がバロールの体に届くようになっていった。
「バカな!お前のような弱虫に俺が圧されているだと……?」
「そうだ。僕はもう、お前のようなやつの存在を許すような弱虫じゃなくなったんだ。だから大人しく、僕の中から出ていけ!」
そしてノトイは渾身の力を込めて剣を前へ突き出した。その剣はバロールの体を貫通し、根元まで深々と突き刺さる。
静寂が辺りを支配した。時が止まったかのような錯覚を覚えるほど静かな時間が過ぎた後、ぽつりとバロールが呟いた。
「見事だ契約者よ。これで俺はお前の体から消え、力を失うだろう」
そしてゆっくりと顔を持ち上げ、ノトイを正面から見て続ける。その顔には以外にも愉快そうな笑みが浮かんでいた。
「しかし忘れるな。俺は再びどこか別の場所で再生し、力を得るだろう。結局ここでお前が俺を倒したところで、俺はまた力をつけることができるのだ。残念だったな!」
そう言って大きな声で笑いながら、バロールの意思は空気に溶けるようにノトイの体から消滅していったのだった。
白の騎士アザルは、燃えるように赤かったノトイの目がきれいな青色に変化したのを一瞬のうちに見て取った。
(やり遂げたか……)
アザルは振るっていた剣の軌道を変えると、そのままノトイの首に突きつけた。
行動の意味を理解できずじっとアザルの目を凝視するノトイに、アザルは言う。
「人間は一度大きな過ちを犯してしまったとしても、やり直すことができると思うか?」
ノトイは少し考える素振りを見せるが、それも束の間、今度は真剣な眼差を浮かべる。
「……わからない。でも僕はやり直したい。今度は力だけを求めるのではなく、真の強さを手に入れるために生きてみたい」
「……そうか」
アザルはそう言うとノトイの首に突きつけていた剣を戻し、鞘に納める。
「去れ、少年。お前にもう用はない」
「え……?」
今度は驚きの声を上げてしまうノトイに、アザルは笑みを浮かべる。
「真の強さを手に入れるのだろう?ならば早く行けと言ってるんだ。今やお前は立派な大罪人だ。これから先、いつ何時でもお前は罪人として追われることになるだろう。だがお前がもし本当に真の強さを求めているのであれば、それくらい乗り切ることができるだろう?」
その言葉にノトイはこくりと頷いた。
そしてずいぶんと質素になった剣を鞘に納め、その場を立ち去って行った。
(頑張れよ、少年)
その後ろ姿に、アザルは少しばかりのエールを送るのだった。
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