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「お前、いつまでそうしているつもりだ?」
ノトイがいつまでたっても泣きながらアリアの体を抱きしめているのを見て、バロールはやや呆れたような声調でそう言った。
その声にノトイはビクンと体を震わせ、ようやくアリアの体をそっと地面に手放した。おそらくバロールが声をかけなければ、何分経ってもこのままでいただろう。
「なんで……。なんでアリアを殺したんだ!」
ノトイはバロールの剣に背を向けたまま、低い声で言った。
「何を言う。確かにその女を斬ったのは俺だが、剣を抜いたのはお前だろう?俺はお前が望むことしかやっていないつもりなんだがな」
「なんだと……?僕が、アリアの死を望んだとでも言うつもりか!」
ノトイは激昂し、カッと真っ赤に腫れた目を見開いた。もしこの怒りの対象が人間であったならば、今すぐにでも胸ぐらをつかんでいただろう。しかし相手は剣だ。剣を殴ることもできず、ノトイは怒りの感情を強く拳で握りつぶした。
「そうとしか考えられないな。殺す目的以外で、どんな用件で人に剣を向けるやつがいるんだ?本当に大切な相手であるならば、剣を向けるなんてことは絶対にしないはずだからな」
「くそっ……!」
そのバロールの言葉にノトイは反論することができず、思わずバロールの宿る剣を強く握りしめた。
そして自分の中の様々な感情をぶつけるかのように、その剣を剣の腹からへし折るかのような勢いで地面へ叩きつけた。
甲高い音が響き、剣が何度か地面を跳ねるとピタリと静止する。剣の腹は薄く弱いため普通の剣であれば折れていてもおかしくない状況であったが、バロールの宿るその剣は折れていないどころか傷一つついていなかった。
「……ッ!」
そんな剣を見てノトイは気づく。この剣は自分ではもう壊すことはできないのだと。そして剣を壊せないということは、ノトイがこの剣を手放さない限り、再び自分の手で誰かを殺めてしまうことになるということに。
バロールと契約して以来、ノトイは強大な力を手に入れたがその代償として人を傷つける際に感じる罪悪感の類の感覚が麻痺してしまったのかもしれない。しかしその感覚を取り戻した今、ノトイは初めてこの剣を素直に怖いと実感するのだった。
そしてバロールはまるでそんなノトイの姿を嘲わらうかのように、怪しい光をゆらゆらと剣に纏わせていた。
初めて感じる剣への恐怖で体が硬直してしまったノトイだったが、それはすぐに解消されることとなった。何故なら、背後から何者かがノトイ達のほうへ近づいてきたからだ。
「えっ……!人が、死んでる……?」
ノトイの後ろから近付いてきた人間は、血まみれで倒れるアリアを見てそう言った。そして同時に振り向いたノトイを見て、目を見開く。
(まずい……!)
ノトイの意思に反しバロールが勝手にアリアを斬ったことはもはや確定しつつある事実だったが、赤の他人からすれば、アリアを斬ったのは紛いもなくノトイであり、そうすれば犯人として吊し上げられるのはおそらくバロールではないだろう。
そのことを瞬時に理解したノトイは、アリアの死体を発見したその人物が周囲の人間を呼ぶよりも早くその場から立ち去ろうとした。
ノトイはバロールの剣をその場に置き去りにしたまま、一目散に下宿先の方へ走り去ったのだった。
結局、ノトイが逃げ去った場所は前と同じく下宿のそばの森だった。後ろを振り向く余裕もないほど全力で走ったノトイは、森の中に入ると速度を落とし、荒い息を整えていった。
おそらくアリアの死体を見た人間に自分の顔も見られてしまったので、警備兵に捕まえられるのも時間の問題だろう。
だがもし警備兵に捕まることがあれば、ノトイは甘んじてその罰を受けようと考えていた。自分の無力さが過ちを招き、そしてアリアを死なせてしまったのだ。せめてもの償いとして多少の罰は受けるべきなのだ。
しかし頭の中ではそう考えていても、やはり実行に移すのは難しかった。森へ逃げてきてしまったのもその場で警備兵に取り押さえられるのを回避するためであるし、今も無意識のうちに森の奥へ足を進めてしまっている。結局、ノトイは自分から罪を申告するだけの勇気を持ち合わせていなかったのだ。
(だけどそれももうすぐ終わりだ。バロールの宿る剣をあの場所に置いてきたから、今の僕には武器がない。僕を追いかけてきた警備兵にすぐに取り押さえられるだろう)
ノトイはそう考えていた。確かにこの場にあの剣はなく、ゆえにノトイの戦闘能力は格段に下がっている。今の状態で警備兵に抵抗するのはほぼ不可能だろう。
しかし、そんなノトイにまたしても魔の手が差し伸べられた。
目の前に、バロールの意思、すなわちバロールの宿った剣が転がっていたのだ。ノトイはそれに気づかず、剣を思いきり蹴って転んでしまう。そして自分を転倒させた犯人を見たとき、驚愕にみまわれた。
「なんで、ここにあるんだ……」
バロールの宿る剣は、確かにあの路地裏に置いてきたはずだった。自分の目でも確認したし、なにより先ほどまでその剣の姿はどこにでもなかったのだ。
しかし、ノトイは今目の前にある剣がそれではないということも考えられなかった。だったらなぜ、このような場所にバロールの剣は落ちているのだろうか。
そんなノトイの困惑を見透かしたように剣は言う。
「忘れるな。俺とお前は契約を結んでいるのだ。常にお前のそばにある。それが俺だ」
「くそっ!せっかく手放せたと思ったのに……」
そしてノトイの腕はノトイの意思に反してバロールの剣へ伸びていき、その剣の鞘をガシッとつかんだ。
「さて。もうすぐ警備兵やお前の養兵学校の教師たちが来るが、どうする?おとなしく捕縛されるか、抵抗するか……」
「見損なうな!自分の犯した罪くらい、自分で償って見せる。僕はおとなしく捕まるつもりだ」
「ほう?お前にしてはなかなか勇気があるじゃないか。だが言っておくが、人を殺した罪は重いぞ。最悪死刑だな。それも神官と関係のある人物を殺めたのであればなおさらな」
バロールは何気なく言うが、その言葉は多少なりともノトイに衝撃を与えた。
「死刑、だって……?」
「ああ、死刑だ。まさかお前、ちょっと牢に入って終わりだとか思っちゃいないだろうな?」
ノトイは呆然とする。バロールの言う通り、決して人殺しの罪を軽くみていたわけではないが、せいぜい人生の半分ほどを牢獄で過ごす程度だと思っていた。しかし今死刑と聞いて、先ほどまで固まっていた気持ちがぐらりと揺れる。
「フン、そんなに心配するな。今の俺とお前であれば、警備兵やそこらの剣士なんて簡単に打ち負かすことができるだろう?お前が剣を抜き放ちさえすればな」
そしてバロールの言う通り、山の下から数人の男がこちらへ向かってきているのが見えた。全員が武装しており、今にこちらへ追いつき、剣を抜き放って打ちかかってくるだろう。
ノトイはその男たちがすぐ目の前に来るまで、棒立ちのまま立っていた。剣を抜くか、抜かないかで迷っているのだ。
おそらく正解の道を行くのだとすれば、たとえ死刑になるのだとしてもここで大人しく捕まるのを待つという選択を選ばなくてはならないだろう。
しかしノトイの心中には、バロールの剣があればここにいる全員を倒すことができ、自分も逃げ延びることができるのではないか、という考えもあった。
ふたつの思考は脳の中で激しくぶつかり合い、ノトイの心を揺さぶった。しかしついに武装した警備兵たちが迫ってきたのを見て、ノトイは剣の柄に手をかけてしまった。
その瞬間、バロールの剣がにやりと光る。
「フハ、そうだとおもったぞ我が契約者よ。さあ存分に暴れようではないか」
その声を聴いて、すぐにノトイは後悔した。そして自分自身のことを強く恨む。結局、このような判断しかできないからアリアをも殺めてしまったのだ。
そしてそんなことがあったすぐ後であるにもかかわらず、またノトイは剣を握ってしまったのだ。
しかし、すでに体はバロールのものになってしまっていた。ノトイがどれだけ剣の柄から手を放そうとしても、その腕はピクリとも動かなかった。
「犯罪者ノトイ。今からお前を捕縛する。そちらが抵抗の意を示せば、我らも武力を用いてお前を捕らえるだろう」
やがてノトイの目の前に数人の男が現れそう言った。ノトイはもちろん抵抗などしないつもりだったが、腕が勝手に動いてしまう。ノトイは必死に自分の腕を抑え込むが、抵抗むなしく腕はひとりでに剣の柄へと伸び、そしてその剣を鞘から抜き放ってしまった。
「……それは抵抗の意思があるとみなしていいということなのだな?」
目を細めてそう言う警備兵に、ノトイは絶望する。これではもう戦闘を避けることはできないだろう。もし戦闘になれば、ノトイの意に反し、バロールに操られた体はためらうことなく目の前の警備兵を引き裂いてしまうだろう。そんなことだけは絶対に避けなければならない。
しかしやはりノトイの体はびくとも動かず、痺れを切らした警備兵はついに剣を引き抜いた。
「ここで斬られて死んで後悔しても、もう遅いぞ!」
そう吠えながら突っ込んでくる警備兵を、ノトイは内心でやめてくれ、と叫びながら見ていた。警備兵が今すぐここを立ち去れば、おそらくノトイは警備兵を斬ってしまうこともないのだ。
だがそんなことがあるはずもなく、警備兵は見る間にノトイとの距離を縮め、そしてノトイへ向けて剣を振り下ろした。
しかしノトイの体を操るバロールはその攻撃をいとも簡単に弾き返し、その警備兵の攻撃などとは比でもないほどの速度で剣を振るった。
バロールの操作によってノトイが振るった剣は警備兵の鎧をも貫通し、その男の前半身を切り裂いた。
「ぐあぁぁ!」
悲鳴を上げて転がる男を見て、ノトイは思わず一歩後ずさった。自分の一撃が、警備兵が装備する鎧すらも貫通したのだ。一撃で鎧を無力化する力をもつ人間など、ほかにどこに存在するだろうか。
間違いなく、バロールの力は強くなっていた。それももう、通常の人間では太刀打ちできないほどの強さに。
ノトイは恐ろしくなって、その場から逃げようと考えた。しかし体はノトイの逃げようとしている真反対の方へ動いてしまっていた。
すなわち、駆け付けた警備兵達が武器を構え立つ場所へと。
数十分後、ノトイの周りにはいくつもの死体が転がっていた。返り血を浴びたノトイとバロールの剣は人血で赤黒く染まり、まるで悪鬼のようだった。
ノトイは呆然と立ち尽くしながら、今自分がしていたことを半ば他人事のように回想していた。
自分の手が、自分の意思に反して人の命を次々と奪ていったのだ。その凄惨な現場を見続けることはできず、目を瞑りひたすらこの悲劇が終わるのを待っていた。
ノトイはガクリと膝から崩れ落ちた。もう何もかもが終わってしまったかのような、そんな気がした。
唯一の理解者であったアリアを失い、帰る場所を失い、そして自分自身を失った。ノトイにはもう、何も残っていないのだ。この恐ろしいまでに力を強大にさせた剣以外は。
ノトイはそのまま地面に寝転がった。立ち上がるだけの気力が残っていなかった。このままずっと、死が訪れるまでここで倒れていようと思った。
しかし、そんなノトイに近づく影があった。その人物はガチャガチャと音を立てながら、堂々とした足音を鳴らしてノトイの方に歩いてきた。
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