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魔人の玩具
ガチャンッと大きな音が食堂中に響き渡り、器の上に乗せられていた大量の食べ物が床に散りばめられる。
「またやったのか、お前。まったくいつになったらこんな簡単な仕事ができるようになるんだ」
元々小さな体をさらに縮こまらせつつ顔をしかめるノトイに、厨房の長と呼ばれる巨漢の中年はややあきれ顔で怒鳴りつけた。
「……ごめんなさい」
「はあ、もういい。早く床の掃除をしてくれ」
これ以上怒っても無駄だということをよく理解している厨房の長は、今しがたノトイがダメにした料理を再び調理し始める。
せっせと掃除を済ませ次の料理を運んでいくノトイを横目に、今度は大丈夫だろうと安心する厨房の長だったが、しかしまたすぐに聞こえてくる大きな音とノトイの悲鳴に、たまらず大きなため息をつくのだった。
朝の食堂での勤めを終えて数時間後、ノトイの姿は近隣の養兵学校の中にあった。
昨今、隣国との戦争を始めた我が国は、優秀な兵士を育成するため早い段階から兵士になりうる可能性をもった子供を集め、教育している。子供のころから剣の扱いに慣れさせ、立派な騎士を作り上げるための訓練をしているのだ。
そんな養兵学校が位置するのは戦争中の隣国と接する町の中だった。卒業者をすぐに戦力にするためである。他にも、常に戦争の雰囲気を生徒たちに感じさせることによってより向上心を高めるという狙いも込められている。
だがもちろん、養兵学校に通うのは次男以降だ。農家の家に生まれた者なんかは、すべての子供を兵士として送り出してしまっては家を継ぐ者がいなくなってしまうからだ。
ノトイは田舎に住む農家の次男として生を受けたため、家を出て隣国と接するこの町へやってきたのだ。
「ノトイ、いつも朝来るの遅いよな?」
「あー、確かに。何してんだ?毎日寝坊か?」
「い、いや、違うよ。お金ないから働いてるんだ。食堂で」
学校の生徒が集められた教室で、ノトイを囲んで笑いあう男子たちにノトイは弁解をするかのような口調でそう答えた。
「うわー、それ仕事になんのかよ。お前絶対迷惑かけに行っているだろ」
「だな。ノトイって何をやらしても無理そうだもんな」
再び男子たちは笑いに包まれるが、ノトイはそんな男子たちの中で朝と同じように身を縮めていた。
養兵学校でノトイに話しかけてくる人間のほとんどは、この男子たちのようにノトイを小馬鹿にしてくる者ばかりだった。
ノトイからすれば不愉快極まりない話なのだが、残念ながら男子たちの言うことは間違いではないためノトイも言い返せないでいるのだ。
「おら、ノトイ。次は剣の稽古の時間だぜ。サボったりすんなよ」
そう言い残すと、ノトイを囲んでいた男子たちは稽古場へと移動していった。
(僕がサボることなんてできないって知ってるくせに……)
少しの間、本当に剣の稽古を休んでやろうかと考えたが、結局そんな勇気は出てこなかった。
仕方なく、ノトイは自らもゆらゆらと稽古場へ足を動かしたのだった。
室内に用意された稽古場で、ノトイたちは剣の稽古を始めていた。
ノトイの通う養兵学校での剣の稽古は、決まって素振りから始まる。
剣というものは金属の塊であるため想像以上に重量があり、剣を自在に扱おうと思えばまずは筋力を鍛えなければならないからだ。
最初は腕が無くなったかと錯覚するほど厳しい訓練の素振りも、慣れた者からすればさほど苦でもないらしいのだが、言うまでもなくノトイは慣れているはずもないので、いつもこの段階で腕が限界を迎えてしまうのだ。
「よし次!グループに分かれて模擬試合だ!」
そしてノトイが最も嫌う時間がやってくる。模擬試合は日ごろの訓練の成果を試すものなのだが、それ故に実力の差が明瞭となる。何をしても上手くいかないノトイにとって、模擬試合は自分の弱さを周囲に晒し、笑いものにされるだけの苦痛の時間であった。
実際、ノトイは養兵学校に入学して以来、今まで一度も勝ったためしがない。
「今日はノトイと同じグループか。ラッキーだな」
ノトイと同じグループになった男子が、にやにやしながらそう声をかけてくる。
「......」
わざわざそれを目の前で言わなくてもいいだろう、とノトイは思ったが、それに反論できる程の度胸もないのでノトイはその男子に作り笑いを浮かべるだけだった。
「俺はリウって名前だ。ああ、お前のことは知ってるから自己紹介はいらないぜ。なんたってお前は有名人だからな」
そう言って笑いだすリウに、ノトイは手短に「よろしく」とだけ告げると、試合が行われる位置に移動する。
しばらくして各グループ全員が試合の位置につくと、審判が両者の間に立ち、準備完了の合図を送る。
「各グループ、模擬試合一回戦始め!」
試合の開始合図がなると、ノトイと相手は一礼し、試合に移った。
そして剣を構えるリウを見た途端、ノトイは手足が震え始めるのを感じた。
ノトイは剣が怖かった。剣は人を簡単に傷つけることができるからだ。本物の剣であれば、一歩間違えれば一瞬で人の命を奪うことさえできてしまう。
今ノトイが扱っているのは訓練用の剣で、殺傷能力を低下させるために刃が丸くなっているが、それでも今までノトイが受けてきた怪我の数々はどれも侮ることのできないものだ。
自分が剣で幾度となくケガを負ってきたからこそ、ノトイは剣で攻撃されることが、そして自分で扱うことが怖いのだ。
「時間もったいないから、すぐ終わらせてもらうぜ」
そんなノトイを見てリウは面倒くさそうに吐き捨てると、正面からノトイへ疾走する。そして初手から鋭い攻撃を放った。
「うぐぅ!」
さすがのノトイでも、このような馬鹿正直な攻撃は防ぐことが出来た。
だが力が足りなかった。リウの攻撃の衝撃で、ノトイは尻もちをついてしまう。
「ほらよ」
リウはすかさずノトイの首元へ剣の腹をたたきつける。
「えぐっ……」
リウに喉を強打され、しばらくの間声が出せないどころか、呼吸すらも苦しくなる。苦しさのあまり地面にうずくまって喉を抑えていると、遠くから試合終了の合図が響く。
「へへっ」
うずくまるノトイを見てへらへらと笑っているリウを、ノトイは精いっぱい睨みつけた。
「なんで最後に僕の喉を殴ったんだ。試合を終わらせるなら剣を突きつければいいだけじゃないか」
「なんで、だって?そんなの簡単さ。俺が派手に勝ちたかったからさ。相手に降参させて勝つなんて、ノトイと勝負するなら当たり前だからな。俺は他を圧倒するほどの力があるって示したかったんだよ」
「お前……!」
ノトイは怒りが体中を駆け巡るのを感じた。
「おっと、そう熱くなんなよ。稽古で怪我を負うことなんて日常茶飯事だろ?ノトイにとっては尚更な。それに、怪我をするのが嫌なら強くなればいいんだ。結局ノトイが弱いからこんなことになるんだぜ」
一寸も悪びれた様子もないリウ。
「あいつ容赦ねえな」
「でも言ってることは正しいかもな。強くなりさえすれば怪我を負うこともないよな」
「まあ、確かに。結局はノトイがいつも通り弱かったってだけだな」
しかし、周囲の者たちもリウを非難するどころか、ノトイが自分のせいで怪我を負ったのだと言うリウの意見に同意し、ノトイを嘲笑い始める。
「くそっ……!」
ノトイは悔しさのあまり、こぶしを地面にたたきつけた。しかしそれでも一向に腹立たしさは収まらず。
一度、心を落ち着かせるために深く深呼吸をする。
(別に、こんなことはいつものことだ……)
そう自分に言い聞かせなんとか怒りを抑え込むと、無言のまま立ち上がり、稽古場を後にした。
そのまま養兵学校を抜け出したノトイは、ふらふらと家のある方へ歩いていた。
家と言ってもノトイの実家ではなく、居候している食堂のことだ。養兵学校の寮での生活に耐えられなくなったノトイが、寮を抜け出して行く先がない時に厨房の長に拾ってもらったのだ。
もちろんタダで住ませてもらうのは忍びないので、今は食堂の仕事の手伝いをしている。
「あれ、ノトイ?」
ふと、背後から声を掛けられる。
ノトイが振り返ると、そこには可憐な少女が立っていた。
この少女の名はアリア。
ノトイと同じく辺境からこの町へ移ってきた者で、今では神官の見習いとして毎日修行に励んでいる。
「アリア!久しぶり!」
ノトイはアリアを見つけた途端、自分の心に嬉しさが溢れるのを感じた。
アリアと出会ったのはノトイが養兵学校に通い始めてすぐの頃だったが、その日から今日にいたるまで、アリアはノトイをバカにするような言葉を一度たりとも口にしたことがないのだ。
それだけでなく、ノトイの溜まりに溜まった日々の鬱憤を嫌な顔一つせず聞いてくれるのはアリアだけだった。
間違いなく、ノトイがこの町で出会った中で一番心を許すことのできる人物だった。
「どうしたの?こんな早くに。今日は養兵学校は休みなの?」
アリアは優しい微笑みを浮かべて首をかしげる。アリアの長い黒髪が風に流れ、それを見ただけでノトイは心が安らいでいく気がした。
「実は、嫌なことがあって抜け出してきちゃったんだ……」
「そっか。よければどんなことがあったのか聞かせてほしいな」
アリアは土手の斜面に腰を下ろす。
ノトイはアリアの隣に座り込むと、アリアの優しい笑みにつられるかのように今日起こった出来事を語っていった。
ノトイは普段は意気地なしで感情を押し殺して過ごしているが、アリアの前でだけはその限りではなかった。
アリアといるときはいつもと違い、自分の感情を押しとどめることなく吐き出していくのだ。心の底に溜まった感情を唯一暴露できるのがアリアなのだ。
「それで、そいつは僕の喉を思いきり剣で叩いたんだ。なのにそれは僕が悪いからだって……!」
ノトイは怒りのこもった口調でそう吐き捨てると、再びよみがえった悔しさを、拳に乗せて地面にぶつける。
そんなノトイに、微笑みを崩さずアリアは言う。
「ノトイがそんな風に悔しく感じる必要なんてないよ。いつも言ってるけど、ノトイは強いよ、十分。少なくともそんな風に自分の強さを見せびらかして喜ぶ人なんかよりもずっとね」
「そう、なのかな?でも僕、何をやってもだめだし、今日だってこうやってつらいことから逃げてきてる」
「私はね、力が強いだけが人間の強さじゃないと思うんだ。自分が気づいていないだけで、ノトイはほかの誰よりも強くてすばらしい魅力を持ってるんだよ。だから努力し続けてたら、きっと報われるよ」
ノトイは徐々に自分の中の怒りが薄れていくのを感じた。これも神官になるために必要な能力なのだろうか、アリアの言葉は同情や慰めといった風には聞こえず、すっと心に溶けていくような心地よさがあった。
「そっか……。ありがとうアリア、アリアに話して気が楽になった気がするよ」
「どういたしまして。私もノトイの力になれてうれしいよ。頑張ってね」
最後に笑顔でそう言うと、アリアは立ち上がって汚れた服を手で払っていく。
「私はこれからまた教会に戻らなくちゃだから、もう行くね」
ひらひらと手を振って去っていったアリアを、ノトイは名残惜しそうにしばらく眺めていたが、アリアの姿が見えなくなるとようやく家に向かって歩き始めたのだった。
それからノトイは下宿先に着くなり一本の木刀を持ち出し、素振りをし始めた。
ノトイはまだ、他の者に勝つということをあきらめてはいなかったのだ。
いつも自分をバカにするやつらを有無を言わさぬ実力で見返してやりたい。弱いのが悪いといったやつに圧勝してやりたい。そんな思いはまだ捨てていなかった。
そして先のアリアの言葉で、それは行動という形に発展した。同じ練習量でダメなのであれば、他の二倍の練習量で差をつけてやろうと思ったのだ。
だが素振りが百を超えたあたりで腕が鉛のように重くなり、木刀を地面から持ち上げることさえ困難な状態になってしまう。
木刀は本物の剣よりは軽いが、それでもノトイにとっては十分重たかった。それに今日はすでに養兵学校で筋肉が悲鳴を上げるほどの素振りをしてしまっていたので、短時間で限界を迎えてしまうことは仕方ないことだ。
(だけど、いつまで経ってもこんなのじゃあ、みんなに勝てない!)
しかしノトイは、そう心の中でつぶやくと再び木刀を持ち上げた。プルプルと腕が震えているがお構いなしに素振りを再開する。
今ノトイを突き動かしているのは、人を必要以上に傷つけておきながら悪びれた様子もないリウに勝利したいという気持ちと、アリアがくれた言葉の数々だ。
たとえこの気持ちが短期的なものだとしても、だからこそ今すぐに行動しようとノトイは思ったのだ。
そしてすぐにやめてしまうだろうと思っていた独自の訓練は、様々な幸運とノトイの意思の強さのおかげで存外長く続くこととなったのである。
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