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私には、運命の赤い糸が見える。
物心ついた時には既に、世界が糸で溢れていた。
赤だけじゃない。黄色や紫、緑に青にエトセトラ。それぞれの色にはちゃんと意味があって、そのなかでも1番ロマンティックなのがこの運命の赤い糸である。
誰が言いだしたものかは知らないが、確かにこの糸は所謂『運命の人』と繋がっているようで、誰しもがその糸を持っている。
そしてこの糸で繋がれた2人は理不尽なほどに惹かれ合うようにできていて、しかも、この世界はどういうわけか、糸を手繰り寄せるみたいにうまく運命の相手と出会えるようになっているらしい。
テレビでよく見るおしどり夫婦や近所の老夫婦、うちの芝犬と隣のチワワなんかも、赤い赤いこの糸で結ばれていた。
「いい加減にしてよ!!」
リビングにいる母の悲鳴が私の部屋にまで届く。
やれやれと肩を落として、私は母を宥めるためにベットから腰を上げた。
私は先ほど運命の人同士は惹かれ合うと言ったけれど、それならば誰もが運命の相手と結ばれるのかと言われればそうじゃあない。
たとえ運命の相手に出会っていても、様々な理由から結ばれない人たちもいる。
私の両親がその典型だ。
「私はあなたの召使いじゃないわ!」
「うるさいな…喚くなよ、みっともない」
「こんな遅くに帰ってきたと思えばただいまの一言も言わないで文句ばっかり!私の名前はフロでもメシでもオイでもないのよ!」
「なんだよ仕事で疲れて帰ってきた旦那に対してその態度は!お前なんか仕事もろくにしたこともないくせに、誰のおかげでこんないい暮らしができてると思ってんだ!」
2人分の怒鳴り声が狭い家の中で反響する。
私は割れそうな頭を押さえて、運命から外れてしまった2人を哀れに思った。
私の父も母も悪い人ではないのだ。
父は真面目すぎるくらいな人で、仕事でもなんでも手を抜くことが出来ない不器用な人だ。ただ、他人にも同じことを求めすぎてしまうから、自分だけが損をしてると勘違いしてしまうところがある。
母はとても愛情深い人で、私や父に惜しみなく愛情を与えてくれる優しい人。ただ、ひどく寂しがり屋で、不安を抱えてしまうようなところがあるので、素っ気ない父の態度に何度も深く傷ついてしまうのだ。
きっと父には、軽く肩を叩いて気の抜き方を教えてくれるような相手がよかったのだろう。
きっと母には、もっと言葉と行動で愛を伝えて安心させてくれるような相手がよかったのだろう。
きっと父も母も、それぞれの赤い糸の先には、そんな相手がいたんだろう。
荒々しい足音と共に父が寝室に消えて、私は鼻をすする母の肩を抱いた。
これが運命に反した者の末路だと、頭の冷たいところで誰かの声がする。
ごめんねと涙を流す母の濡れた指では、赤い糸が蜘蛛の糸みたいにふわふわ揺れていて、それは誘うように窓の外へ伸びているのだった。
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───……
「運命の相手がいるなら、その人と結ばれるべきだと思わない?」
「さすがキューピットさん。ロマンあるなぁ~」
教室の窓際。席替え戦争のくじで勝ち取ったその特等席で、思わずため息をついた。
「だってそうでしょ?馬鹿らしいじゃない。わざわざ自分に合う最高の相手が運命で決まっているのに別の人と、なんて…時間の無駄よ」
「まあ我々は百発百中相性占い名人のキューピットさんと違って運命ってのがよくわかんないからね~」
「別に私相性占いしてるわけじゃないんだけど」
「またまたぁ~!キューピットさんの慧眼にはいつもお世話になってますからぁ。主に紹介料とかで」
「人を使って金儲けしてんじゃないわよ」
お調子者の友人の額を指で弾き、窓の外に視線をやる。相変わらず、世界は煩わしいほど糸で溢れている。
『キューピットさん』というのはもちろんあだ名だ。
いつからかそう呼ばれたのか、誰から言いだしたのかも知らないけれど、私はどうやら周りからは恋愛相談のプロと思われているらしい。実際には見えているままを伝えているだけなので、あまり囃し立てられると気が引けてしまうのだけれど。
しかし、あまり悪い気はしない。むしろ使命感のようなものを感じている。
この特別な力を有効活用しなければならない。誰もが運命と巡り合い結ばれるように、間違っても他の誰かを自分の運命だと思い込まないように。
私の両親のような犠牲をこれ以上増やしてはならない。私はきっと、そのために生まれてきたのだろう。
「キューピットさん」
トリップしていた意識を呼び戻される。
友人がウィンクをしてちょいちょいと指で窓とは反対の方を指す。指された方に顔を向けると、何度か話したことがある程度の男の子が立っていた。
「相談が、あるんだけど」
不機嫌そうに眉を寄せ、落ち着きなく視線を下に彷徨わせている。怒っているのかと思ったけれど、耳が赤くなっているところを見ると恥ずかしいのを我慢しているだけのようだ。
「いいよ。放課後、中庭で待ってて」
ひらひらと、周囲の目を散らしたくて軽く手を振る。
男の子は私の言葉に一度だけ頷いて、足早に廊下に帰っていった。
そりゃあ恥ずかしいか。他人が私に持ちかける相談なんてのは、『恋』の話以外にないんだから。
わやわやと色めき立った周囲の噂話を遮るように予鈴が鳴る。私は次の授業の教科書を用意して姿勢を正した。
学生の本分は勉強なので、キューピットは放課後まで休業である。
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