カラスとおいらの勝手でしょ。

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カラスとおいらの勝手でしょ。

 17:55分。 かつては酉の刻だのと呼んだそうだが、人が定義づけた言葉や常識にさしたる意味はないことはもう分かっていた。それは太陽が沈み、街が夜を迎える準備をする頃合い。カラスはようやく巣へ帰り、今日の出来事を思い出しながら、カァー、カァーと鳴き、あのごみ袋は当たりだったとか。クルミを効率よく割る方法でも考えているだろう頃合い。そして俺にとっては、いよいよ、あの妖怪に再び会う頃合い。  そろそろ約束の時間だとあの例の自動販売機の前まで来ていた。昨日、見たときは確かあの不思議な明滅の後、売り切れになって、─ない。あれも含めて化かされたということなのだろうか?辺りはブーンとうなる自販機の音のみが静かに響いていた。  たしかこの自販機から逃げて、右へ曲がり...。昨日の道順を思いだしながら歩き始めたのだが、昨日の大慌てでははじめに曲がった角など覚えているわけもなく、「まずは手始めに、曲がってみるか。」そう思いながら、カラスに荒らされたのか破けて中身があらわになったゴミ袋の少し先にある三番目の角を右へ折れて、まったくの勘で見事に当たりを引き当てた。右手からゆっくりと、左足、胴体の順でぬめりとこべりつくような圧力のようなものを感じて思わず目をつぶる。快苦では表すことのできない、異物として自覚を促されるような、気だるい空気感。目を開けるとそこはもう江戸の町だった。  昨日の光景と寸分たがわぬ江戸の町だった。だが、おそらくこの通りは来なかったような…。見覚えのない灯篭のようなものがいくつもあって、その先には赤く、しかし足の部分が欠け、空に浮かんでいる鳥居が見えた。その瞬間、昨日飲んだあの井戸の水が体を熱く駆け回った。目を鳥居から離せなくなって、呼吸が荒くなるのがわかり、近づいてはいけないと直感が告げてていたのにもかかわらず、右足が前に動こうとしていた。  とそこにあの女、あの妖怪の声が聞こえてきた。 「おや、まだ門を開けたつもりはなかったはずよ。それでも迷い混んだのね。あなたやっぱり面白いわ。少し探したかしら?」 その声で我に返ると、気を引き締めて 「いや、あの自販機から三つ目の角を曲がったらすぐに」 「そう」 背後から、正確には右耳の後ろから声が聞こえた。一瞬のうちに後ろへ回り込まれたのだ。 「ふふふ、びっくりした?」女の気配がより強まって、俺の背中にピッタリと体を沿わせた。妖怪の湿った香りが俺を包んだ。なぜかは知らないが、それは朝露のような、霞のような、生した苔のような新鮮さと血なまぐささを併せ持っていた。 「ち、近づくな。」 「怖いかしら?でも大丈夫これ以上は近づかないわ。穢れるといけないもの。」 ”穢れる”。自分が高貴な存在であることを俺にわざとらしく見せしめるように、そう言い放った。 「ここはね、私の領域、とある用事で罠を、この街を仕掛けたのよ。だから、ここでは私から逃げられないわよ。別にあなたを罠にかける気はなかったけど、ここならゆっくり話ができるわ。現世と違って憑りついている必要もないし。」 先ほど、一瞬で背中をとられたのはここが彼女の領域だからということだろう。どうやら、この江戸の町では、この妖怪は自由に動き、本来の力を出すことができるようだった。つまりそれは、いつでも人一人を殺すことができることを、弄べることを、存在を飲み込むことさえ造作もないことを意味していた。そう、たとえば、俺を喰らうことくらい。とはいえ、この妖怪の目的が皆目見当がつかず、ガリとの契約を果たすことが主目的だが、彼女の目的を確かめることにも興味があって来たのだ。  俺はおとなしく言われるがままに近くの茶屋であの女の支度ができるのを待っていた。誰もいない茶屋で、もちろん彼女の領域だからなのだろうが、 勝手にかまどを使い湯を沸かし、勝手に座敷に腰を下ろし、勝手なペースで話し始めた。 「ところで、今日も一人で来たんだね。あなた。お友達は?呼ぶように言っておいたはずだけれど。」 こちらを一瞥もせず、女は尋ねてきた。 「友達というのは?」 「とぼけるのは嫌よ、時間の無駄だわ。無駄は嫌いよ。意味がないもの。早く話してちょうだい。あなたの後ろにある黒い影のお友達。」  ここまで言われてしまったら、とぼける必要もないようだ。ズボンの裾をつかみ、意を決して女に向き直した。 「この黒い影は、ガリ。俺と契約している妖怪喰らいの悪魔だ。こいつが俺の中に閉じこもって出てこれないのは、契約を果たしていないから。ある条件を果たすと、ガリは俺の体を借りて動けるようになる。」 「あら、あなた、勇気があるのね。そんなちんけな悪魔に体を預けるなんて。」 「これはお互いWIN-WINの、つまりお互い利益のある契約のためだ。割り切っているさ。」 「そうなのね。面白いわ、あなたの思いきり。そしてかわいいわ。」 そう言うと、ようやくこの女も興味のある話になってきたのか、こちらに目を向け始めたが、それはじっくり睨むような目つきで時折舌なめずりをするのだった。 「今日ここに来てくれたってことは、私のお話聞いてくれるってことでいいのね?」 おれは慎重に頷いた。 「本当はお話だけと思ってたんだけど、その前に悪魔との契約ってのは何かしら?興味が湧いちゃったのよ。教えて頂戴。」 ちょうどその時、しゅーと音をたてて土間が騒がしくなった。お湯が沸いたようだった。こっちも沸いたようね。うふふ、と口に手を当てて、また目を細めた。この女の不気味なところは、口調や表情に淀みや変化がないことだった。そしてその異質さが警戒と居心地の悪さを引き出していた。  女が茶の支度をはじめたのをきっかけに、 「あまり契約について、当事者以外にベラベラしゃべるのはご法度でね。」  何とか返答した。もし、女が目の前にいたならば難しかったかもしれないし、弱気に何でも喋ってしまったかもしれない。「喋って楽になりたい」と思わせるような、ベテラン刑事の様な?いや、母性?父性?懺悔を誘う様な雰囲気を醸し出すのだった。とにかくこの完全アウェーの状況の中で騙し騙しやっていくしかない。しかしながら思うのは、今後契りを交わすことになったら交渉に苦労するだろうということだ。  「それは、教えてくれないってことね?」 ここが勝負どころだった。飲まれ気味の状況下でも対等に話せるよう力を尽くさなければならない、声にも力が入る。 「ここは、交換質問といこう。こちらも聞きたいことがたくさんあるんでね。質問はお互いに3つずつまで。」 「面白そうだわ。知恵比べね。どちらが欲しい情報を引き出せるか。これについても契る必要があるかしら?あ、この質問も3つの内に含まれるの?」 「いえ、そんな悪徳ではないさ。あえて契るのはよそう。そうした方がお互いの誠意を確認できるから。」  支度ができたようで、彼女は盆の上に湯飲みを3つ並べて持ってきて、 「毒なんて入ってないわよ。毒なんて飲ませなくたってこの世界では、あなたは私の手のひらの上よ。もし誠意と言うものがあるのなら、飲んで見せてちょうだい、信頼の証に。」 次々と突きつけられる要求、問いかけ、揺さぶり、確実に試されているのだ。 無理に笑いを見せる必要も、余裕を見せる必要もない。ただ勇気をだしてひと飲みすればいい。くそ、手が震える。びびってんじゃねえ。左手を右手を湯飲みに伸ばした。 「怖がっちゃって、かわいい。昨日みたいに追いかけっこする?そうすれば昨日みたいに美味しく飲めるかもしれないわよ?」  心臓が跳ねた。そうか、すべてお見通しだったのか。昨日、隠れていた場所がわかったのも全て彼女の領域だからだ。如実に重い知らされた事実に乾いた笑いが生まれ、意を決して茶を飲み込んだ。熱く焼けきるような青い気配が昨日と同じように体中を駆け巡った。青い炎が心に灯った気がした。いいぜ。腹がようやく決まった。 「では、こちらから質問させてもらおう。」十分に間をとってから、「あなたの名前は?」 「え、ふ、ふふふふふ。」 一瞬、彼女は戸惑いを見せ、一時停止したように固まった。ゆらゆらと掴み所のない笑みが止まったと思ったら、一転、今度は大笑いを始めた。 「わたしの名前でいいのね、ほんとに面白いわ、あなた。名前なんか知ってどうするつもり?もしかして名前で縛って封印でも?あるいは恋文でも書いてくれるのかしら。でも残念ね、私自身、俗名しか知らないわ。聞かされたことがないの。記憶の限りではね。」 「へへ、そんな面白い質問をした覚えはないぜ。ようやくわかってきた。あんたはかなり身分の高い妖怪、あるいは神に近い存在で強い力を持っている。一応、お名前を伺っておこうと思ってね。俗名でもいい。教えてほしい。」 「答えはシュリ。そう呼ばれているわ。でも私自身には力はないの。少しお力をお借りしているだけ。ある用があってね。」  シュリは質問に答えると、茶を飲み喉を潤わせてから言った。 「では今度は私の番。あなた何者?青い気配がする。あなた、妖怪の血が流れているみたいだけれど。」
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