7人が本棚に入れています
本棚に追加
2・小娘は無知である。
だが、この町の歴史を知らない人間からしたら、ここは一見ゴーストタウンだろう。実際こうしている今だって外を出歩いている人影がない。事情をそこそこ知っているオレでさえ、ここの連中はいつ活動しているのか首をかしげてしまう。
それでも間違いなく人は住んでいた。その証拠に建物のいくつかには比較的新しめな看板がある――これも昔からあった看板の上に乱暴に重ね塗りしたような、ヘタすると文字が読めねえくらいなシロモノだったりするが。
とにかく、ほそぼそと道具屋~だの薬屋~だのは存在するんだ。
なぜかってぇと、ここは荒んでいるわりに旅人なら通る可能性が高い土地だからだ。理由は上げ出せばきりがない。
……とは言え本来なら、ここは避けて通るんだが。
わざわざここを通ろうとするのは、無知なまま旅をしているバカか、知っていても甘く見ているバカか、旅の途中で息切れして立ち寄るしかなくなったバカか、……教えてやっているのに大喜びで飛び込むようなバカか……
シャラがどれに当てはまるかって? 聞くまでもねえだろ。
そんでもってシャラは――やっぱり無知なんだ。
「そもそもおかしいのはお前じゃ、ラン」
両手を腰に当てて偉そうに、シャラはオレをまっすぐ見上げてくる。
「ここは“宿”の隣に“お食事処”と書いてあるだけではないか。わらわはこういう看板は初めて見るが、要するに軽食の出る宿であろう?」
……間違っちゃいない。
間違っちゃいない。確かにな、シャラ……
だが……だ。
「……お前、字が読めんなら、その“宿”の前にくっついてる文字も読め」
「ん?……どうはん……これがなんじゃ?」
「………」
「同伴。ただ二人連れ以上でということであろう。うむ、そう言えばそんな宿も初めて見た。ますます興味深いぞ、ラン!」
「………………」
「ええいまだ迷っているのか! この優柔不断者めが! 決めたら即行動じゃ!」
「! やめろ! シャラ!」
聞く耳持たず、シャラはとっととその建物に飛び込んでいった。こういうときのあの小娘の動きは、妙に素早い。異常に素早い。
オレは脱力して、深く深くため息をついた。
うつろな気分でその建物の看板を見上げる……
他の店の看板よりずっと綺麗で、目を引く淡いピンク色の――看板に並ぶ文字。
『同伴宿』
……珍しい施設なのはたしかだ。ああ認めてやるよ。オレだって、ここにこんなもんがあるなんて知っていたら、根性でシャラが進む道にこの店が現れないようにしていたさ。
……薄い宿の扉の向こうから、シャラが高い子供声で怒鳴っているのが聞こえてくる。
「なぜじゃ!」とか、「連れならおる!」とか。
――もう諦めるか……
しぶしぶ、オレは扉を開けた。
まっさきに振り向いた少女が、「遅いわ!」などと勝手なことを叫ぶのを無視して、まずシャラが口論していた相手を視線で探す。
いた。まっすぐ前のカウンター。
意外だった。女だ。
オレは少しだけ眉をしかめた。女も当惑顔のままオレを見て、
「こちらのお嬢様の保護者さまですか?」
「……あー……」
「申し訳ございませんが、当店はお子様は……」
「なぜじゃ! 子どもを断る宿など聞いたことがなむぐっ」
「ああ。分かってるよおネーサン」
オレは女に笑いかけてみせた。隣のうるさい口を力づくでふさぎながら、受付嬢に続けて、
「あのさ、おネーサンもこの商売やってたら、分かるよな?」
「え……」
「オレたちもさ、まあ自分の信じたものは貫こうとしてるわけだ。そんでもって、ここはそういう二人を歓迎してくれる宿だろ?」
「………」
素朴そうな女の目にますます困惑が浮かんだ。それが徐々に、信じられないものを見るような、かすかな引き攣りに変わっていく。
心の底から屈辱を感じながらも、笑顔でオレは続けた。
「オレたちが、兄妹とかに見える? なあシャラ? オレたちの関係ってなんだ?」
む? と口を開放されたシャラはいったん不思議そうな顔をしてから――やがてにっこり微笑み、胸を張って断言した。
「無論! 婚約者以外の何者でもあるまい」
「……とまあ、こういうワケだから」
そこまで言えば、さすがあちらも“良く分かって”くださったようで。最初に浮かんだどこか嫌悪感を孕んだ光を一瞬にして顔から消し去り、「かしこまりました」とにっこり微笑んだ。
「では、お部屋をひとつ、お取りしますね」
ではこちらへお名前を、と説明を始める受付嬢の説明を右から左へ流しながら、オレは、はあと思い切り息を吐き出して、灰色の前髪を無造作にかきあげる。
同伴宿……
――知っている者は知っている。男と女が『二人で泊まる』ための宿……
オレは心の中で訂正した。こんな土地に突っ込んでくる旅人はもう一種いる。
……わがままな連れの、どうしようもない行動を結局止められず、しかも付き合うハメになる、オレみたいなバカだ……
最初のコメントを投稿しよう!