赤帯の男

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赤帯の男

 その枯れ木の様な老人は、いつも穏やかな顔をしていた。  朝、小学校へ集団登校する子供たちの見守り隊としてボランティア活動をしている男の老人がいる。  年齢は86歳。温厚で礼儀正しく子供たちからも慕われていた。  昨今、世間では、弱い子供を狙った通り魔による殺傷事件が起きている。そんな中で、不審な人物の目撃情報もあり、それに危機感を抱いた親たちが学校に通わせる子供たちの安全を確保するため警備員をつけるよう学校や市の教育委員会に強く要請した。  ところが、市には予算がなく、仕方なく町内の大人が輪番制で見守り隊を務めることになった。  しかし、多くの家庭は共働きで家計を支えており、ちょうど仕事へ出勤する時間と通学時間が重なることから、定年退職して年金生活をしている男のお年寄りたちが見守り隊をすることになった。  その老人たち、口は達者だが足元もおぼつかない弱弱しい人ばかりで、親たちから頼りなく思われていた。 「あんなヨボヨボな年寄りが付いていてもねぇー。もし通り魔が襲ってきたら、自分がやられて、子供たちを守るどころじゃないわよね・・・」  親たちはみな、口々にそう陰口を叩いていた。  そんな親たちの心ない噂が、渋々見守り隊をしている老人たちの耳に入り、 「そんなこと言われてまでやっておれんわな」  と、次々と見守り隊を辞めていく者が相次ぎ、最後に一人だけ残ったのが、この老人であった。この老人だけは、どんなに陰口を叩かれようが一向に気にする様子もなく黙々と毎日、見守り隊のボランティア活動を続けていたのであった。 「やはり、もっとしっかりと子供たちを守ってくれる警備員を付けるべきよ!で、なければ子供たちを安心して学校に通わせれないわ!」  親たちは多くの署名を集め、その嘆願書を市議会へと提出した。これには市議会も動き、予算を組むことを決定し、ついに学校は屈強な警備員を付けることになった。  警備員は、防弾チョッキにヘルメット、腰には特殊警棒を下げた如何にも頼りがいのありそうな感じであった。 「これで安心だわ」  親たちは口々にそう言った。  こうして、警備員が付き必要がなくなった見守り隊ではあったが、この老人はそれでも子供たちに付き添うことをやめなかった。 「まぁ、あの年寄りの唯一の趣味だからしようがないわよ」 「本人としては、役に立っているつもりなのね」 「多少、認知症が入っているのかもよ」 「子供たちも懐いているようだし、子供たちが老人の面倒を見ているようだわね。まぁ、害もないし放っておきましょう」  そんな風に親たちはこの老人のことを冷ややかな目でしか見ていなかった。  そんな時であった。  親たちが恐れていたことが現実に起きてしまったのだ。  子供たちが、いつものように朝、通学路を集団登校していると、背後から黒いキャップ、黒いジャンパー、黒いズボンを履いた黒ずくめの男が背後から刺身包丁を片手に子供たちめがけて襲い掛ってきたのだ。 「あ、危ない!」  それに気が付いた警備員が特殊警棒をかざし子供たちの前に立ちはだかった。  それでも犯人はひるむことなく警備員めがけ刺身包丁を振り回した。  日頃、護身術の訓練を受けている警備員が特殊警棒で犯人の刺身包丁を落とすため、刺身包丁を持っている右手を何回も打ち叩き恐らく骨折しているであろうが、犯人は興奮してアドレナリンが出まくっているせいか、痛みを全く感じない様子でびくともしない。  最初は、犯人による刺身包丁の攻撃をかわしていた警備員であったが、犯人のあまりにも激しい勢いに押され、無防備になっている太もも辺りを斬られ出血しその場に倒れこんだ。  その隙に犯人は、ターゲットとしていた子供たちの方へ向かって走り出した。  そして、逃げ遅れた一人の子供が、犯人に刺されそうになった瞬間であった。  あの老人が、犯人に前にすぅーと立ち塞がり、いとも簡単に足払いをかけ犯人を前のめりに倒した。 「てめぇ!ぶっ殺してやる!」  逆上した犯人が、この老人めがけて刺身包丁を正面に向け突進を始めた。  普段は足元もおぼつかない老人であるが、この時は眼光鋭く、ひらり、ひらりと俊敏に右左と自在に体をかわし、犯人の背後に回り、払い腰をかけ犯人を投げ飛ばし地面に叩きつけた。それは、枯れ木の様な老人がやっているとは思えないほど俊敏な動きであった。  周りには騒ぎを聞きつけた大人が大勢いたが、恐怖のあまり立ちすくんでいるだけであった。 「このくそじぃじぃ、舐めやがって!」  犯人が渾身の力を込めて老人に襲い掛った。  周りにいた者たちは、この老人が犯人に刺された、と目を伏せたその瞬間であった。 「やぁー!」  老人は、左手で刺身包丁を持った犯人の右手首を素早く取り、気合を込めた一本背負いをかけた。  まさにほんの一瞬の出来事であった。犯人の体は空中高く飛び地面に思い切り叩きつけられた。今度ばかりはさすが犯人も気絶した。  この老人の驚異的な強さに周りいた人々は驚き、思わず、「おぉーっ!」と叫びながら拍手喝さいを贈っていた。  ちょうど、そこへ通報を受けた警察官が雪崩を打ってやって来て犯人を取り押さえた。 「いやー、ご協力ありがとうございました。それにしてもお一人で刃物を持った犯人に立ち向かうとは大したものですなぁ」  年配の警察官がその老人に声をかけ、その老人の顔を見た瞬間、 「あ、あなたは三浦新八先生でいらっしゃいますか?」  突然、直立になり敬礼をした。  なんと、この老人、元警視庁柔道師範で、「鬼の新八」と言われた、三浦新八という柔道の達人であった。  柔道の最高段位である十段で、この世に3人しか存在しないという、「赤帯」を授けられた、柔道の神様的存在であるのだ。  本来、有段者と言うのは柔道着に「黒帯」を締めるのであるが、「赤帯」を締める者は、柔道の有段者の中でも、九段と十段の者に限られている最高、最強の色の帯である。  この年配警察官の話によると、昔、この老人は柔道界では負け知らずの最強の猛者で、山籠もりの修行中、熊と出くわし、その熊を巴投げで撃退したこともあるという恐ろしいほど強い柔道家であったそうだ。    86歳とはいえ、そんな柔道の達人にかかっては刃物を持った犯人でもひとたまりもない。  とにかく、あれだけ親たちがバカにしていたこの老人のお蔭で子供たちは難を逃れることができた。  そして、老人は普段の穏やかな顔に戻り、 「子供は国の宝じゃ、大人が命を懸けて守らないかん」  そう言い残すと、その老人は何事もなかったようにヨタヨタしながらその場を去って行った。  子供たちの親は皆、あんな枯れ木の様なヨボヨボの老人が、赤帯を締めるほど最強の柔道の達人だったとは、「人を見かけや年齢だけで判断してはいけないな」と、反省と同時に子供たちの命を救ってくれたことに感謝の気持ちを抱いたのであった。                 完  
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