幻炎

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左大臣邸の琥珀の話は、幸いにも、美しい童、だという程度にしか広まらなかった…。  揃って男色の貴族達が訪れることもなく、(左大臣邸ゆえ当然だが) 一度左大臣家の門までの屋敷内を覚えると、琥珀は、一人ででも遣いに出た。 秋の夜風は、心地よい。  遣いを終えて、川にいると、なにやら騒がしいのに気づき、琥珀は橋のそばへ行った。 一人の貴族が、酔っているらしく、動けないようだ。  …庶民の迷惑だな。木のそばでうずくまり、具合悪そうに肩で息をしている。 「お加減でも悪いのですか?」 「…誰だ?」 「…左大臣家、牛飼い童・琥珀と申します」 「…こはく?」 「拝見しましたところ、ご気分でも?」 「…酒は、飲んでいない。…飲めないんだ、私は、…発作だよ」 「え?」 「心配はいらん…。流行病ではないからな…」 「あまりお話なさらぬ方が…」 「…大丈夫、だ…。じき落ち着く…」 放っておくのも出来ず、しばらく琥珀は、そのままそこにいた。 「気がつかれましたか…? ご気分は?」 「…。悪い…。ずっといたのか」 「放って屋敷へ帰る方が、主人に叱られますゆえ」 「…ほう」 「もう帰れますか、私は屋敷に帰ります。お大事に」 それが琥珀、という少年と、式部卿宮(右京の宮)の出会いだった…。 琥珀のいた場所には、匂い袋が1つ。 「…匂い袋…」 上品なそれは、明らかに女物であった。 「私のお招きを受けて下さるとは嬉しく思いますよ、右京の宮?」 「なに、先日こちらの牛飼い童に世話になったのだ」 「当家の牛飼い童に?」 「…名を、琥珀という」 「ああ、あの子ですか…」 「知っておられるのか?」 「ええ、一度すれ違っただけですが…」 「よい子だな…」 「聞くところによると、他の牛飼い童より少し大人びて、若君のようにも見えるとか」 「左京の宮は、会われたのか…」 「一度だけ。夜に」 「夜?」 「琥珀は、桜姫付きの童でして姫の御用がある時以外はどこにも出ません」「変わった童だな…」 「桜姫自体、当家に来られたのは最近です」 「君の、従姉妹君なのだろう?」 「…父の姉の子で、生き別れになっていたそうです」 「ほお」 「姫の乳母の君が、父と再び出会ったそうで、ひと月前こちらに…」 「なるほど…」 「これまで何とか、成長してきたようなんですが。実際に従姉妹とはいえ、話したことはないんです」 「……」 「宮? …桜姫にご関心でも?」 「いや」 「ところで、宮、今日はよい香りが漂いますが?」 「ああ、これか…」 「匂い袋ですか」 「拾ったのだ…。琥珀といるときに」 「女物ですね。…母君のでしょうか?」 「どうであろう…」 「それで今日は、おいで下さったんですね」 「私は、受けた恩は返すのだよ」 「初耳です」 「桜姫…。私の学友で、右京の宮でいらっしゃいます」 「お見知りおきを…」 「では宮、私はこれにて」 「また」 「わたくしに、ご用とは…?」 御簾ごしだが、やわらかい女人の声だ。 それなりの教養も感じられた。 「牛飼い童…琥珀、をご存知ですね」 「…琥珀は、わたくし付きの童ですが?」 「お会いしたいのですが、…」 「まあ、あいにく琥珀は、遣いに出ております…」 「そうですか…。実は、先日助けて頂いた折、匂い袋を拾いまして…是非お渡し頂きたく」 「わかりました…」 すっと御簾が少し上がり、匂い袋を受け取ろうと姫の白い手が出される…。 匂い袋を渡すと、右京の宮は、桜姫の手を取った。 「な、何を…お戯れは、」 「何もいたしません…。琥珀に、お伝え下さい。今宵また会いたい、と…」「…じき帰りましょう。琥珀に申し上げては…」 姫は、手を握られていることに、動揺の色を感じさせた。 「あなたでなければ意味がない…。場所は、伝えればわかります」 「……」 右京の宮は、にっこり笑い何事もなかったかのように左大臣の屋敷を後にした。 「姫様…」 御簾のそばで桐乃がいた。 「…大事ありません」
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