親子の距離  (没18)

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    『親 子 の 距 離』    (没18)  子供が独り立ちするまでは当然親子は一つ屋根の下で暮らすけど、子供が巣立ちをしてからは果たして、どれくらいの距離が理想的なのだろうか?  親子の距離は、『スープの冷めない』程度がいい、と以前聞いた事がある。これを実行しようと思えば今流行りの二世帯住宅が思い浮かぶものの、いかに入り口を変えても台所を別にしても(上か下にいる・・)と思う時点で精神的には同居と変わらないだろう。  あるいは仮に極めて近い距離に住むとしても、お互いが自分の気ままで(大方は子供の方からだろうが)事あるごとに行き交えば、折角の一緒にスープを飲みたい気分も殺がれるかも知れない。つまり、独立した家庭を持つ者にはそれぞれの時間と守りたい領域があり、いかに親子といえども相手の都合で自ら行いかけていた用事の変更を余儀なくされるのは快いものではない。  ところが親に不測の事態が起こる事も想定しておかなければならない年齢になった時、とにかく現状を自分の目で確かめたいという気持ちを抑え続けるのに七時間も掛かる距離は何とも歯痒いものだ。  子供が自分の人生を歩き始めてようやく、親は子育ての責任を完遂したと安堵する。そしてここまでの道程を振り返って、自分もこうして育てられたのだと気づいて両親への感謝と恩返しを考える。が、没価値息子に出来るのはせいぜい声を聞かせる事ぐらいだ。  いつの電話も遥かに自分の健康を気遣わなくてはいけない年齢の親が子の体を案じる。いくつになっても親は親・・と思いつつ母との他愛ない長話の後で必ず父に代わるけど、一転して父との会話は「元気か?」「うん」「仕事はどーだ?」「ボチボチね」と、実に簡素で淡白。だがそれで充分心が通い合う。寡黙でお互いの意図が分かるのも、父と息子という絆のせいか・・。  父が倒れて容体が芳しくないという連絡を受けて、飛びだそうと思っても列車はすぐになく、更に乗った列車も特急とは名ばかりのもどかしさに、若い頃には思いもしなかった『距離』を恨んだ。残念ながら私が東京に辿り着いた時は、父の心臓は鼓動し続けていたけれども脳はすでに活動を停止していた。私は横たわる父の側でなす術もなく父を見つめていた。そして最後に一言交わしたかったという思いを私は田舎に帰ってからもしばらく引きずっていたが、ある日ふと父に話しかけてその思いは瞬く間に消え失せた。  私の問いかけに確かに父は答えてくれた。それから不思議と心が落ち着いたのは、心が通い合ったせいに違いない。私が話しかけると父はいつも私の傍らに来て、愚図な私に適切な助言を与えてくれる。  大切なのは都会と田舎という距離ではなく心の距離かも知れない・・。ところで父さん、今回のコラムのコメントは?
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