紫露草~これは、恋ではない~

34/39

874人が本棚に入れています
本棚に追加
/94ページ
「じゃぁな」  梛君は私の住むマンションの前で車を止めた。そして、振り向いて私の唇に噛みついてくる。絡み合う舌、息を奪われて、私は少し意識が朦朧とし始める。梛君は、私を離した。  私は思わず手を伸ばしてしまう。気付けば梛君の服の裾を掴んでいた。 「朝海……」  梛君は私の心を潰してしまいそうなほど優しい声で名前を呼んでくれる。 「ごめんなさい、ちゃんとする。もう、大丈夫だから……」  そう言いながら、往生際の悪い私は、なかなか手を放すことができない。 「逃げるか? このまま、俺と」  梛君はいつになく思いつめたような顔で私の頬に手をあててくる。このまま、逃げてしまえる――  私は、首を横に振った。 「ごめんなさい、それは、ダメ。梛君は帰らないとさ、奥さんのもとに。私も、帰らないと、現実に……」  不器用に微笑んで、私はそう吐き出す。梛君は扉を開けようとする私の手を掴んだ。 「そこのパーキング入れてくる。先に部屋に上がってろ」 「ダメでしょう? もう帰らないと、明日も仕事」 「今夜が、最後だからさ。最後だから、もう一度おまえに刻み付けたい、おまえは、俺のものだって証を――」  最後――そう言葉にされると、覚悟が緩んで涙がこみ上げてくる。この手を、まだ離したくない。  私は、コクンと小さくうなずいた。 「いい子だ、五分で行くからエントランスの鍵開けろよ」  梛君はそう言い残して、アクセルを踏み込んだ。
/94ページ

最初のコメントを投稿しよう!

874人が本棚に入れています
本棚に追加