撫子~純粋な愛をあなたに~

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明里(あけさと)~、お待たせー」 「すっごい待ったわよ、もう一人で始めてるから」  みなみと一緒に小ジャレた居酒屋に入ると、明里がすでに席についてお酒を浴びるほど飲んでいた。  同じ高校に通っていた友人の一人で、以前は私やみなみと同じIT関係の大手企業にエンジニアとして就職していた。今は独立して、ベンチャー企業を経営している女社長。持ち前の行動力と鋭い感覚、時代の流れにうまく乗り、経営は順調なようだ。  毒舌は相変わらず。 「明里、久しぶり」 「みなみが慌てて連絡してきたから飛んできたのよ。朝海、仕事辞めるんだって?」 「うん」  席に着くと、若い店員がすぐにオーダーを取りに来る。私がウーロン茶を頼むと、みなみも同じものを頼んだ。 「酔ってる場合じゃないのよねぇ」 「勤め人は忙しいわねぇ」 「明里は忙しいはずなのに、そんな風に見えないのがすごいわぁ」 「忙しくしてどうするのよ、定時の仕事をするのが嫌で独立したのよ。やりたいときに集中して仕事して、やりたくないときはぱっと辞めちゃうの」 「明里らしいわ」  運ばれてきたウーロン茶で乾杯していると、店員が次々に料理を運んでくる。明里が前もって頼んでいてくれたのだろう。  私は目の前にあった冷ややっこに手を付ける。今日はこれくらいしか食べられそうにない。 「辞めたらどっかで働くの?」 「まだ考えてない」 「ふーん」 「じゃあさ、うちで働いてよ。事業拡大したいなって思ってるけど、人手不足なのよ。私、無能な部下はいらないからなかなか人手が集まらなくて困ってたんだぁ、朝海なら合格」 「それいいね! 明里のところなら勤務時間もフレキシブルだし、オンラインでの仕事もできるって言ってたよね? 最悪在宅でもできるんじゃない?」 「そ、みなみも引き抜きたいけど、なかなか首を縦に振ってくれないのよねぇ」 「私、今の会社でもう少し頑張りたいから」  目の前で展開されていく話に、当の私はなかなかついていけずにいた。あれよあれよと私は明里の会社で働く話になっていく。 「朝海、私たちさ、それなりにわかってるつもりだから。つらいときは相談してよ、のんべいの朝海がウーロン茶、仕事も急に辞めちゃってさ」  「みなみ……」 「言えないんでしょう? だから誰にも言わずに一人になろうとしてるんでしょう? でもさ、一人ではできることも限られてるからさ、甘えられる人見つけて甘えなよ。私も明里もさ、朝海の味方だから」 「そうそう、あんたの一人や二人ヨユーだから。私が雇って養ってあげる」  みなみと明里のむき出しの優しさが乾いた心に沁み込んでくる。悪者の私は、一人で耐えなければいけないと思ってた。いや、今でもその気持ちは変わらない。だから、余計に沁みてしまう。 「朝海、一人で頑張るのやめなさいよ」 「ごめん、ありがとう明里、でも私……」 「でも、じゃないでしょ。働くの? 働かないの? 言っとくけど、産休育休ちゃんとつけてあげるから。給料は四割カットで我慢しなさいよ」 「至れり尽くせりじゃん……そんなうまい話あるの?」 「あんのよ、ここに、ほら、わっと泣いてから頷きなさい」  明里の言葉に、私は年甲斐もなく大泣きをした。がやがやとした居酒屋の中で、私が泣いていることを気にしている人など、きっと誰もいない。  ある程度泣いてしまうと、すっきりとした。これから、新しい人生を歩いていく覚悟を決める。 「明里、私のこと雇ってくれる?」 「ちゃんと働きなさいよ」 「成果だします」 「よろしい! さぁ、飲もう飲もうって、酒は私だけかぁ、朝海はわかるけど、みなみはなんでウーロン? 結婚前にオメデタ?」 「いやいや、まさか。明日大事な仕事抱えてるから、においが残ったら嫌なのよ。営業は大変なんです」 「外面大事だもんねぇ。私も気に入らない営業来たら門前払いしてるわ」 「でた、営業泣かせ」  三人で話していると、高校時代の空気が戻ってくる。いくつになっても変わらないこの関係が心地よい。  この飲み会から三か月後、私は会社を退社して、明里の会社で仕事をすることになった。お腹はまだ目立ってきてはいない。ここで三か月働いて、産休に入るという好待遇だが、周りのスタッフもすんなりと迎え入れてくれた。明里の話だと、みんな他人には興味のないタイプだと言っていたっけ? はっきり言ってありがたい。  
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