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子供が生まれてからの日々は、私が想像していたよりもずっと過酷で、忙しくて、そして――充実していた。子育ては初めてのことばかり。
薄情だと思わず苦笑いしてしまう。あんなにも焦がれた梛君のことを考える暇なんてなかった。
「撫子ちゃん元気ぃ? そろそろ寝返りの練習し始めたんじゃない?」
「昨日もおんなじこと言いながら見に来たじゃない」
明里は暇があればちょくちょく顔を出してくれる。今日はみなみも一緒だ。
「うっわぁ、可愛い! 前見たときよりもちょっとしっかりしてきたね」
「あのときはまだ人間になりたてほやほやだったから」
「撫子かぁ、可愛い名前つけたねぇ」
私は子供に『撫子』と名前を付けた。いろいろ本やネットの海を泳いでみてピンときた。撫子という可愛らしい花の形にも惹かれたし、なによりその花言葉が素敵だった。
純粋な愛――私が梛君に抱いていたのは、やはり純粋な愛情だと思う。打算も、嫉妬もなく、ただただ梛君のことを愛していた。愚かな私の抱いた、純粋な恋心だったのだ。
「素敵な名前つけちゃったよねぇ」
「なんで残念そうに言うのよ」
「いやいや、残念じゃぁないよ。朝海はすごいなぁって思ってるのよ」
「明里が人のこと褒めるなんて明日は雪だわ」
「ひどい言われようねぇ。育休は三年必要?」
「三年取りたいけど、正直家計が厳しいから一年で復帰する」
「あんたのこと待っちゃいるけどあんまり無理しなさんなよ」
明里の気配りに感謝しつつも、うかうか休んではいられない。私は母親であり、父親でもあるのだ。一人二役、きっちりこなしてやろうではないか!
「私、短時間なら撫子ちゃん見られると思うから、買い物とか行きたいときは呼んで、基本日曜は休み」
「ありがとうみなみ、時々お願いするかも」
「泣かしたらごめん」
親友二人を見送ると、すっかり眠りについた我が子の顔を見つめる。たれ目の目元は私に似ている気がするけれど、高い鼻は梛君に似てしまったかもしれない。健やかな寝顔を見ていると、なぜか涙が込み上げてきた。
「だめだ、泣いてる暇なんかないでしょ、私」
ぐっと涙を飲み込んで、たまっていた洗濯物をたたむ。今はただ、日々を過ごすだけ――。
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