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「で、行くのか? 元彼の個展」
「行きませんよ、買えないですし。今のこの人の絵、ぜったい高価いですもん」
「会うだけでも」
「課長、もしかして絵が欲しいんですか? 確かにいい絵を描きますけど、残念ですが元カノ割引はないですよ」
「いや、そういうわけじゃ……」
駅までの道のりでそんな話をして歩いていたら、ふと課長の雰囲気が変わった。
「そういえば噂になっているようだが……三枝さんは結婚するのか」
「あー、課長がそう言うんでしたら、噂の出処は佐々木くんの方ですね。しませんよ、彼氏だっていませんし。先週迎えに来たの、あれは義兄です。後部座席には姉と姪も居たんですよ」
「それ、は、見えなかったな。そうか、よかった」
よかった?
課長の顔を見上げれば、なんだか子どもみたいに嬉しそうな顔をして笑っていて、ちょっと鼓動が早くなった……気がした。
うん、気のせい。ほら駅に着いたし。私と課長の路線は別だし。
「課長は向こうでしたね。では、」
「これで安心して口説ける」
「はい?」
え、なんて言った。
聞き間違いかと振り返ると、苦笑いを貼り付けたような課長。
「この前の服、よく似合ってた。まあ、他の男の前では着て欲しくないし通勤はいつもの恰好でいいと思うが」
「え、は、」
「彼氏も婚約者もいないんなら俺でどうだ。とりあえず、連絡する。この週末は予定がないと言っていたな、そのまま空けておけ」
改札に押し込まれてじゃあまた、とされた私が我に返ったのは、降りる駅をひとつ乗り過ごしてからだった。
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