想い人

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 彼女は携帯をいじるでもなくただ前をボーッと見ている。しかし、そこに俺が映っている様子はない。接点はあまり多いわけではないが、俺のことを知らないわけではないので、そんな風に前を見てても気づかない姿も可愛らしくて少し笑ってしまう。とても東條らしいと思う。そうやって、目の前を車が何台も通り過ぎながら見える彼女の姿を眺めていた。気づけば歩行者信号の待ち時間を知らせる小さい表示のカウントがあと一つになっていた。もう少しで東條とすれ違うことを意識したら、なんて声をかけようか少し焦りを感じてきた。しかし、その焦りは長くは続かなかった。視界の左端から一人の男が東條の方へ走ってくるのが映った。そして、何故かはわからないがその男の手に刃物が握られているのをすぐ気づいた。 「危ないっ。」 と声の限り叫んだが、その瞬間に東條は横からその男に刺された。 「東條ー。」 と叫ぶが、彼女は崩れ落ちていき丁度大型のトラックが目の前を通り、もう一度彼女が見えるようになった時には倒れていた。こちらからでも血の染みが広がっていっているのがわかった。その頃には信号は青になっていて、駆け出す。そんな訳ない。早く早く。と思いながら、彼女に駆け寄る。しかし、彼女の周りは赤く染まり、すでに意識はなかった。そんな彼女の横でゆっくりと屈み、彼女の頭をそっと抱きかかえることしかできなかった。怒りと悲しみのぐちゃぐちゃな感情のなか言葉にならない叫び声を上げ続けた。  その頃には、このあと見ようと思っていた番組のことなど頭にはなかった。
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