理想狂

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 初めに言っておくと、私は赤に支配された変人だ。生きることに貪欲な私は、血や肉、危険、生命、心臓、愛、太陽、マグマ、そして情熱など、赤色のイメージが強いものに、何故だかわからないが、とてつもなく魅力を感じる。 自分が「ちょっと人と違うのかも・・・」と思い始めたのは高校生の頃だった。 今になって思うと、きっかけとなった出来事が一つだけあった。  忘れもしない高校二年の夏、部活で帰りが遅くなった私は、バスターミナルで最終バスを待っていた。田舎だったせいか、その時間は人が少なく、待合室に一人なんてことは珍しくなかった。室内に響く自販機の音が妙に耳障りで、とにかく早くバスが来ないかと、ふと外を見た私は思わず息をのんだ。 真っ赤なワンピースに真っ赤な口紅をした三十代〜四十代とおぼしき女が、晴れていたにも関わらず真っ赤な傘を差し、こちらをじっと見ていたのである。怖くなった私はすぐに目を逸らし、やっと来たバスに飛び乗った。ドアが閉まりバスが発車した時、恐怖と好奇心とよくわからない感情が湧いてきて、後ろを振り返ってしまった。けれど、その姿はもうどこにもなかった。そして家に帰った私は、母の一言に凍り付く。  「どうしたの?その顔」そう言われ、すぐに鏡を覗いた。そこに映っていたのは真っ赤な口紅をした自分の顔だった。私はとっさに「えっと・・・友達が奮発して買った口紅試してみてよって言うから」と、ごまかした。母は「そうだったの。でも、あんたにはまだ少し早い色ね」と笑った。部屋に戻った私はもう一度鏡を覗いた。すると、不思議なことに恐怖心はなくなり、むしろ少しだけ大人になれた気がして、なんだか高揚感さえ感じていた。  この日を境に私はどんどん赤に支配されていった。こんなにも赤は自分を魅力的に、そしてパワフルにしてくれるのだと。初めは身に着けるものから始まった。高校生で赤い下着を買うのは少しだけ抵抗があったけれど、経皮吸収とでも言うのだろうか。身に着けるものはダイレクトにその色の持つパワーを受けやすいとどこかで聞いたことがあったが、本当にその通りだった。赤い下着をつけた日は、なんとなく行動が大胆になった。何でも挑戦出来る気がして、なんだか無敵になれた気がした。そんな私を見た友達は少しだけ驚いているようだった。  時期を同じくして、部屋の模様替えも始めた。週末に友達と買い物に行き、とにかく目に付く赤い雑貨を片っ端からカゴに入れた。友達は「最近どうしたの?やたら赤ばっかりじゃない?」と私に言った。「そうなの、ちょっとハマってて・・・」と答えたけれど、薄々自分の異変に気付き始めていた。何故なら、もう赤しか目に入らない、赤以外のものに囲まれて生活しているのが苦しくなっていた。  別の日、私は今まで貯めてきたお年玉を手に、カーテンやベッドカバーなんかを買いに一人出かけた。  部屋の中でも比較的面積の広いものを買い替えたことで、そこは理想に近い部屋となった。  母はあの口紅事件以来、私が赤に取り憑かれたようになっていることに、もちろん気付いていた。部屋に来るたび「なんだか落ち着かない部屋ね」と言い、あまり部屋に入ることはなくなった。  私は日に日に我慢が出来なくなり、学校にも真っ赤な口紅と真っ赤なマニュキュアをして行くようになった。もちろん、すぐに先生に注意を受け、母にもこっぴどく叱られた。 だんだん友達も私から離れていった。その頃には陰でRed(赤)+Holic(中毒)=レッドホリックを略した「レドリック」と呼ばれるようになっていた。エリックやパトリックみたいな外国人ネームのようでなんだか笑えたが、もうすでに学校に居場所はなかった。  それからは自宅でひきこもるようになった。母には申し訳ないが、私にとっては最高だった。 ついに私は壁紙をも真っ赤に塗った。そしてフローリングだった床にも真っ赤なカーペットを敷いた。この頃には、口にするものも赤いものしか受け付けなくなっていた。  そんな赤い部屋でのひきこもり生活が始まって間もないある夜、私は夢を見た。 夢にはあの真っ赤な口紅をした女が出てきた。女は私に向かって「やっと私の世界を理解出来る人に出会えた。私はもう一人じゃないのね」と言い、不気味に笑った。 夢の中で必死に逃げる私。どこまでも追いかけて来る赤い女。ガバッと体を起こし、夢から醒めた私は汗をかいたのか、体中がじっとりと濡れているように感じ、急いで部屋の電気をつけた。そして目にした光景。それは、赤そのものだった。私の全身の毛穴という毛穴から血液のような、赤い絵の具のような、ドロッとした正体不明の真っ赤な液体が流れ出ていたのだ。しかし、なぜか不思議と恐怖は感じなかった。夢の中ではあんなに恐怖を感じていたというのに。そして私は次の瞬間、小さく呟いた。 「コンプリート」  そう、この部屋で唯一不完全だったのは、私自身。私が赤く染まれば、ここは完全なる赤の世界。もう邪魔されない。もう苦しまなくていい。私の居場所はここなのだ。  「さようなら、この苦しい世界・・・」そう言い残し、ゆっくりと目を閉じた。  深く、深く、体がベッドに沈んでいくのを感じ、私の体は赤色に溶け込んでいくようでとても気持ち良かった。ドロドロと赤に飲み込まれるその感覚は、何物にも代え難いほどの快感だった。  そろそろ私の体が見えなくなるのではないかという頃、遠くから聞こえたのは、もう二度と会うことが出来ないであろう母の悲鳴だった。
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