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そうして一年半かけて出来上がったアルバムの発売が間近に迫った夏の終わり、テレビ局主催の巨大な音楽フェスに出演が決まった。ここで実力を発揮できれば一人前のアーティストとして認められることになる、大事な舞台だ。
相変わらず緩めに組んでいた前日のスケジュールは午前中の音合わせだけで、午後からは本番に備えて身体を休めてもらうことになっていた。
僕は事務所で明日の最終確認やスケジュール調整をしたり雑務をこなしたりしていた。夜になって退社しようと携帯を手に取ったとき、それが震えた。彼からの着信だった。
「どうしました?」
「明日、出られないかも」
「え、何が……」
「もう、だめ……死にそう」
そこで切られた通話。
念の為にフェスに必要なものを車に積んで、急いで彼の部屋に向かう。駆けつけた僕を迎え入れた彼は、安堵したように玄関で座り込んだ。
大きめの柔らかそうなスウェットのファスナーが半分はだけられて、つい最近まで猛威をふるっていた夏の陽ざしにすらちっとも焼かれた形跡のない白い首元が覗く。上気した頬と、少し開いたままの薄い唇から漏れる苦しそうな吐息が、彼の体温の高さを表していた。潤んだ瞳が体調への不安と僕が来たことの安心との狭間で揺れている。
随分と幼い顔付きになった。
髪を短くしたのもあるけれど、昔のアンバランスなほどの危うい色気を放っていた頃に比べて、もうすぐ成人を迎える今の方が少年らしく見えるくらいだ。
隠すものがなくなってよく見えるようになった端麗な顔は、出会った頃からは想像できないほどクルクルと衒いなく表情を変えるようになって、それがどれも魅力的で目が離せない。自分だけに無防備に曝け出された感情の波はいつも、彼の心に素手で触れているかのような、ひりひりとした焦燥を募らせた。
「おでこ……失礼します」
素直に差し出された剥き出しの額に、そっと手を押し当てる。しっとりと汗ばんだ肌が掌に吸い付いた。
「熱いですね。薬は?」
「全部吐いちゃった」
覚束ない足取りで寝室へ戻るのを、後ろからついて行く。支えてあげたいけれど、未だ彼に触れることへ遠慮があった僕は、さっきの額から感じた体温が逃げてしまわないように拳を握り締めることしかできなかった。
ベッドへ腰掛けた彼に必要なものを尋ねても頑なに首を横に振って、ここに居て欲しいと強請られる。
身体が弱れば心も弱る、繊細な人。
そんなことは彼に出会ってすぐに気付いたことだけれど、果たして今回はどちらが先に弱ったのか。身体か、それとも。
「明日のこと、プレッシャーでした?」
「そんなんじゃないけど」
「けど?」
「お前、すっごく頑張って取ってきたんだろ? この仕事」
「え」
「だから、お前のためにもちゃんと歌って、佐野を悪く言う奴らを見返してやりたかったのに」
「………!」
ガン、と頭を殴られたような衝撃だった。
「そんな……。僕のためになんて歌わないで下さい。藤咲さんらしく歌ってくれることが、僕の生き甲斐なんですから」
「なんでそんなこと生き甲斐にするんだよ。そんなにまで……。俺は、お前の……なんなの?」
澄んだ大きな瞳からポロポロと、真珠のような雫が落ちる。惜しげもなく流される純粋な涙に、大きく心臓が揺さぶられた。
「あなたは……僕の……?」
何だと言われれば、何でもない。
もちろん恋人でもなければ、友人ですら、ない。
仕事上の関係と言うには心を占め過ぎていて、好きだと単純に言ってしまうには、その心が痛みに悲鳴を上げる。
……ただ、確かなことは。
「大事な……人、です」
そう口にしてみれば、抑え込んでいた気持ちが途端に溢れてくる。なぜ今まで平気でいられたのかわからないほど。
「あなたにとって僕は単なるマネージャーかも知れませんが、僕には」
後から後から溢れてくる想いが胸を苦しくさせる。
「大切、なんです。あなたが」
胸から逆流したその想いは腕を伝って、意識するより早く目の前の小さな身体を抱き締めた。
「佐野……もっと」
相当きつく抱いてしまっているはずなのに更にと促される、そんな甘い唆しを振り払うように首を横に振りながら、それでもその先を求めてしまう腕を叱咤するように言う。
「折れてしまいそうですから」
壊れる、と思った。
想いが強過ぎて、壊してしまう。
それなのに、彼は。
「いいから。壊して」
――お前なら、いい。
熱に浮かされた吐息を唇に受けて、一気に自分の体温までが上がる。
「お前に愛されてるってわからないと頑張れな、……んっ」
絡めあった舌の熱さに理性が焼き切れた。
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