One Week.

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 目が醒めると、何処かの知らない部屋に入れられていた。部屋の隅から天井に向かって階段が伸び、天井に接している細長い窓があるだけで、その窓からは空中に浮いているように見える枯葉と樹木と根の部分が見えた。 「地下室…?」 何となく漠然と呟いた彼女は目の奥によろめきを感じながら体を起こそうと、右手をベッドに立てたのだが、その時になって初めて自分の身体には手枷足枷がつけられ、首には首輪がつけられている事に気付いた。 「何で…」 彼女は背中に冷たいものを感じながら首輪から伸びている鎖を引っ張った。当然ながら鎖が魔法のようにするりと抜けるはずも無く、彼女が諦めたように鎖から手を離すと、彼女の首の後ろには赤い跡が残された。鎖のもう片方の端は壁に固く打ち付けられていて、接着も解除も到底人力だけで行えるとは思えなかった。ベッドの頭と鎖の片端がつけられている壁には所々に黒ずんだ跡が残されていた。ちょうど、人の血が乾いたように。  彼女は掛けられていた布団の中で丸くなり、瞳を硬く閉ざして頭を抱え、何故今自分がここにいるのかを必死に思い出した。デジタル式腕時計のカレンダーを見ると、日付は3月1日の午前11時8分になっている。彼女が家を出たのは2月28日の午前10時半のはずだ。あの坂道を下って…墓地の前を横切ろうとして…すぐ横に車が止まって…中から男が…。  その頃、バスターミナルに面しているコンビニエンスストアの店長は裏で昨日の防犯カメラの画像をチェックしていた。朝のラッシュも終わり、店員がそれぞれ寛いでいるが、彼だけは別だ。午前中にやらなければならない仕事がまだ片付いていない。時折テープを交換する時、強張った肩の筋肉を揉み解している。丁度そこへ、従業員達のマネージャーを勤めているフレッドが入ってきて、防犯カメラの映像が流れるテレビの上にある棚に置かれているペットボトルを手に取った。 「昨日の防犯カメラのビデオをチェックですか?」 「ああ…」 店長はおざなりに返事をし、巻き戻しと再生ボタンを交互に押した。 「そういえば、今朝彼女は来なかったですよ」 『よく喋る奴だ』店長は内心辟易しながらも、礼儀として返事をした。 「彼女?」 「ほら、彼女ですよ。毎朝十一前に店に来て、ジュースと適当なパンをいくつか買って、バスターミナルの八番バスを使う…」 「ああ、彼女か」 やっと店長は彼が誰を話題にしているのかが思い当たり、ずっとモニターに向けていた視線を彼に向けた。 「今日は休みなんじゃないのか?」 「そうですね…」 彼はそう言ってペットボトルのキャップを閉め、棚に戻そうとしたのだが、途端に瞳を可能な限り見開き、ビデオに記録された画像を流すテレビの一箇所に伸ばした指を当てた。 「店長、止めて下さい!!」 彼の余りにも張り詰めた声に店長は思わず反射的に一時停止を押し、彼が指差す部分を見た。レジに並ぶ客を映すように配置されている防犯カメラなのだが、そのカメラはバスターミナルとバスターミナルの向こうに伸びている坂道も映している。彼が指差している凍りついた画像では、この店の常連客である彼女が車道に止まった車に引きずり込まれていた。 「何……」 店長は心臓が凍りつくのを感じながら数分巻き戻し、スローで再生をした。  「ダドリー、課長がすぐにオフィスに来いだってよ」 安物のインスタントコーヒーを手に雑然とした自分の机に戻ってみると、相棒のジャクソンがそう言って席を立ち上がった所だった。 「警官にはコーヒー一杯を楽しむ余裕も与えられていないのか」 ダドリーは喉の奥で愚痴を零しながらコーヒーカップを机上に置き、椅子に背凭れに掛けておいた上着を羽織った。  殺人捜査課課長専用のオフィスに行くと、眉間に薄い皺を寄せている見慣れた顔と、全く見覚えの無い男が二人、待ち構えていた。殺人捜査課課長は立ち上がり、二人に椅子を勧めた。 「ダドリー、ジャクソン、彼らはバスターミナルのところでコンビニエンスストアを経営している方々だ」 「よろしく」 ダドリーはそう言ったが、ジャクソンは無言のまま二人と握手をした。  「話は少しずれるが、お前達は今この街で起こっている連続殺人事件を担当していたな?」 ダドリーは肩を竦め、自嘲的に笑った。 「そう言えば聞こえはいいですけどね、実際にはFBI連中の道具ですよ」 そう言い終わった途端、隣に座っていたジャクソンがダドリーの手を叩き、小声で囁いた。 「ダドリー、一般市民の前でFBIと俺達の軋轢を見せるな」 「隠す必要も無いだろう。警察とFBIの軋轢は周知の事実だ」 飄々と言い除けたダドリーは更に言葉を続けた。 「それで、何か?」 「ダドリー…いや、ジャクソン、あの事件の概要と主な被害者を教えてくれるか?」 「今更そんな事を…?」 「話せ」 少し強い調子で促されると、ジャクソンは腹を決めたように、淡々とした口調で話し始めた。 「被害者は今の所6人。全員が全員女性で、年齢は10代後半から20代前半、どの被害者も通勤通学の途中あるいは帰り道に拉致され、最短で一週間、最長で一ヵ月半は生かされ、一様に絞殺されて川あるいは湖や泉に浮かんでいる所を発見されている」 「課長、それが何だって言うんですか?」 少し苛立たしげにダドリーが口を開くと、課長は机上に置かれていたモニターを二人に向け、ビデオデッキの再生スイッチを押した。 「画面の左上を見ていろ」 ダドリーとジャクソンの二人は言われるままに画像の若干荒い映像を見た。画面の中で左上の坂道を歩いている若い女性がすぐ横に止まった車の中から誰かに声を掛けられ、立ち止まって紙を受け取ると暫く考え込む様子を見せてから画面の向こうを指差して何かを説明し始めた。多分、道を尋ねられたのだろう。画面の中で彼女は紙を車の中の誰かに返し、手を振って再び歩き出すが、彼女の背中に向かって誰かは腕を伸ばし、手に握ったそれを彼女の腰に当てた。途端に彼女はスイッチが切れたように全身を硬直させ、その場に崩れ落ちた。誰かが握っていたのは強い電流を流すスタンガンだ。彼女が地面の上に崩れ落ちてすぐに車の中から誰かが降りてきて、彼女を車の後部座席に押し込めた。 「こいつは…」 ダドリーは思わず唸った。車の中から降りてきた誰かは一昔前のホラー映画の主人公のようにアイスホッケーのマスクを被っていた。これでは性別も判別が出来ない。  課長は黙って停止スイッチを押すと、二人に向き直った。 「ジャクソン、確かあの連続殺人事件の被害者は一様にスタンガンを押し付けられた跡があったな?」 「ええ。俺達もFBIも犯人が被害者にスタンガンを押し付けて、気を失わせて連れ去ったのだと…」 「ジャクソン、ダドリー、今すぐFBIの捜査官を呼んで彼らから話を聞いてくれ」 いつものようにユージーンはこの店のオーナーの部屋に入ると頭の奥がぐらついた。彼の部屋はいつでも妙な匂いの香に満ちている。最初は頭の奥にふらつきを感じるが、暫くすると心地良さを感じてくるのもまた不思議なものだ。 「ボス」 ユージーンがそう言うと、閉ざされた天蓋のカーテンを開け、全裸の若い女が出てきた。彼女はユージーンに全裸を晒す事を気に留める様子もなく、椅子の背凭れにかけてあった薄手のバスローブを羽織り、にっと唇の片端を吊り上げて笑った。 「おはよう、ユージーン」 「…おはよう」 彼女の事は知っている。昨晩ボスが寝室に彼女と篭もる前に紹介してくれた。だが、この界隈には溢れ返っている娼婦の顔と名前などいちいち覚えているわけがないのだ。  彼女は閉ざされた天蓋のカーテンを開け、こちら側に背中を向けて眠っている男、ボスの剥き出しの背中に手を当てて揺さぶった。ボスは一度大きく息を吸い込むが、起き上がる事もなく、爪が鮮やかな深紅に染められた彼女の細い手首を掴んだ。 「…何だ?」 「ユージーンが来ているわ。起きなくてもいいの?」 今度は大きく息を吸い込み、彼女の手首を掴んだまま起き上がった。彼女はボスの肩に腕を乗せ、キスをしようとするが、ボスはそっけなく彼女を拒んだ。  一瞬だけ傷ついたような表情を浮かべた彼女を他所に、ボスはベッドの端でくしゃくしゃに丸まったよれよれのティーシャツを手に取って着た。 「お前はもう仕事に出ろ。今日もせいぜい客の上に乗って喘いでこい」 ボスはそう言って彼女の尻を叩いて追い出すと、改めてユージーンに向き直った。  「何の用だ?」 「彼女がまた来ていません」 ボスはうなだれて首の後ろを掻きながら苛立たしげに呟いた。 「あのメス犬、あれだけ躾たのにまたか」 ボスは下半身裸のままベッドから起き上がり、下着を身につけて次にジーンズを穿いた。 「あのメス犬が店にきたら真っ先に俺の所に連れて来い。二度と逆らえないような身体にしてやる」
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