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やっとの事で何故今自分がここにいるのかを思い出し、彼女は弾かれたようにベッドから上半身だけを起こした。彼女は服の裾を持ち上げ、体を捻って背中側の腰を見ると、生々しい裂傷が残されていた。スタンガンを押し付けられた跡だ。必然的に、今世間を騒がせている連続殺人事件の事が脳裏に思い浮かんだ。十代後半から二十代前半の若い女性、幽閉、殺害後死体遺棄…。
そこまで考えた所で天井に向かって伸びている階段の一番上、地上階へと繋がるドアが微かに軋む音を立てて開き、男が入ってきた。男は片手に持っていた、食事が載せられたトレーを丸テーブルの上に置き、隠そうともしない目線で彼女を見た。だが、決して嫌な感じはしない。切れ長ではあるが大きな瞳で、どちらかといえば思慮に富んでいるような印象を受けた。確証があるわけではないが、恐らく彼が今世間を騒がせている連続殺人犯なのだろう。いや、確実だ。世間に公開されている方法と同じ手段を用いてここまで連れ去ったのだから。だが、不思議と彼女は落ち着き払っていた。
「私は丸一日眠っていたの?」
信じられないほど落ち着き払った彼女の声に彼は驚いたように表情を張り詰めさせ、動揺の色を隠し切れない声で答えた。
「ああ」
「スタンガンだけとは思えないわ。車の中で別の方法でも?」
「…睡眠薬を注射器で二本注射したから」
彼は緩慢に歩いて彼女が座っているベッドに腰掛けたが、それでも尚彼女は落ち着き払ったままで、取り立てて動揺をして見せたりはしなかった。
「…君が中々目覚めないから、睡眠薬の量が多すぎたのかと心配したよ……」
彼女はベッドに座ったまま片膝を抱いて真っ直ぐに彼を見つめ、答えた。
「心配してくれたのね。有難う」
「…名前を…聞いても…いいかな……」
彼は切れ切れな口調で尋ねた。
「何とでも好きなように。私は名前なんて無いわ」
彼は驚いたように彼女の顔を見つめた。
「…元々の名前が嫌いだから、捨てたのよ。いつも偽名を使っているわ。だから、免許も取れないの」
彼女はもう一度ベッドに仰向けに横たわり、天井を見上げて不揃いな前髪をつまみ、毛先を見つめた。
「じゃあ…君の事を……レイと呼んでも……?」
ベッドに仰向けで横たわったまま彼女は吹きだした。
「男の人の名前ね。いいわよ。あなたがそう呼びたいなら」
彼女は何となく斜め前に座る彼の横顔を眺めた。こうしてみると、中々綺麗な顔立ちだ。まだ大して喋ってもいない、大して一緒に過ごしてもいないから断言は出来ないが、言葉を交わす限り、彼が巷を騒がせている連続殺人犯だとはとても思えなかった。連続誘拐殺人犯だとは到底思えないほど彼の口調は酷く穏やかで、すこしおどおどしているような印象でさえ受けた。
「レイ…その……」
彼は単語単語の間に奇妙な間を設けながら口を開いた。
「なに?」
「食事を…?」
「食べさせてくれるの?」
「食べて…欲しいから…作った…」
「有難う」
レイがベッドから再び体を起こすと、彼も立ち上がって丸テーブルの所で手招きをした。
「鎖に繋がれたままでも、そっちまで行けるの?」
「…鎖の…長さは…地下室の中なら…どこにでも行けるように…」
「なっているのね?」
彼は緩慢に頷いた。彼女はベッドから降りて立ち上がり、重い金属と金属が擦れ合う音を立てながら丸テーブルに向かい、彼の向かいに座った。
「どうして、私を選んだの?」
レイは目の前に置かれたコーヒーに口を付けて、見上げるような目線で彼を見据えて尋ねた。
「…何となく……」
レイは目を細めて笑った。
「ねえ、類は友を呼ぶって知っている?」
口を押さえ、くすくすとレイは笑った。
「あなたが私を選んだのは、きっと私があなたに近い匂いを持っていたのね」
彼は一度身体を大きく揺らすが、何も言わなかった。
「ねえ聞いて。私、笑ったのは十五年ぶりなのよ。仕事で笑う事はあっても、表面上だけの事。心の底から笑ったのは、十五年ぶりなの」
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