咎(とが)人とされた義士

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咎(とが)人とされた義士

 尼僧は床の間から、ある義士が使用していたとする眼鏡を取り出し、渡辺の眼前へ差し出してみせた。「宝暦4(1754)年の梅雨入り前、災害で破損した堤防や猿尾などの工事が一段落しました。郡代様はこれが面白くなかった―」 山田性道尼は少し周りを見渡すと、その深層について語り始めた。「郡代様も工事が早く進むのが面白くなかったのでしょう。元々村方救済の工事で、長引けば村人も郡代にも金が入る―」。  少し感情を高ぶらせた尼僧は話を続けた「ある日江吉良村をはじめとする近在の庄屋に声を掛け、修繕した堤防の破壊を求めました。その際も金子が動いた事は云うまでもありません」と。(―証拠はあるのですか―)という問いを、渡辺は飲み込んだ。  庄屋たちが雇ったのは、地元にはゆかりがない工事事業者であったとされる。只その中には、村の百姓も加わっていたようだ。薩摩藩士が見回りを始めたその日、出来上がったばかりの復旧場所も点検していた。 前日から続く雨で水かさが増し、ややもすれば工事をやり直す必要があった為だ。相次ぐ破堤で環境が悪化した為か、近所では赤痢が流行していた。工事をやり直すには、相当な困難が予見できた。  慣れない環境で、食事も鹿児島とは異なる。藩では禁教である真宗門徒が多く、前々から不安を感じていた。「だいたいヤワだから壊れるのさ―」見回りをしていた大山市兵衛は、通りすがった人夫が発したこの一言に激怒した。  人夫をにらみつけた大山は、しばらくしてこの一言に心配し、施工現場に赴いた。だがすでにその時、堤防は決壊して川の濁流が流れこみ始めていた。怒りにまかせて人夫を追いかけ、切り捨ててしまった。別の場所でも平山牧右衛門が堰を破壊しようとしていた無頼の徒を切り捨てた。営々と行われた工事の苦労が泡となる。彼らは石田村(羽島市)にあった一の手の出張小屋へ戻り、瀬戸岩助小奉行に報告した。  翌日、村々は大騒ぎになった。水防で出かけたはずの身内が戻ってこない。破堤した堤の周りは血の跡と腐臭が漂っている。「お庄屋さんを呼んでくれ―」。悲痛に満ちた声があふれた。 江吉良村の庄屋吉兵衛は話を聞くと、出張小屋に駆け込んだ「あそこを破堤させなければ、下流で被害は甚大となり、田畑が水腐れとなった。なにも切り捨てるとは、無体な事をしてくれましたな。人足集めは難渋しております。事と次第によっては人を集める事は遠慮させていただく。」  瀬戸は理不尽な話を黙って聞く。ただ「理由もなく村人を斬ったとあれば、弁解しようがない」とわびた。上役の二階堂与右衛門に子細を報告し「堪えよ」と諭された。しかし、復旧工事を終えた8月9日、瀬戸は住職が留守にしていた清江寺を訪れ、短刀を取り上げ逆手に持ち、左手を膝に置いたまま脇腹に切先を軽く突き立てた。そして、腹をなでるように右へ引き回す。腹部を十文字に切り裂いた岩助は、うめき声ひとつ立てず事切れた。  割腹を知った庄屋たちは、郡代から命令書を受け取り、寺へ駆け込んだ。出迎えた老師に江吉良、竹ヶ鼻村の庄屋は「咎人を葬るのはけしからん。郡代様の添え状をいただいた。固く禁じておりますぞ」と披見して見せた。 それまで老師に煮え湯を飲まされてきた庄屋たちは、加えて無理難題を言い始めた。(―これで工事は沙汰止みだ―)江吉良村庄屋の吉兵衛は鬼の首を取ったような表情で、勝利を確信した。  尼僧は「ここで老師は覚悟を決めました」と続ける。話を聞き終え、しばし沈黙すると庄屋に対して一喝した。「郡代がなんと申そうとも、死人を弔うのは坊主のつとめじゃ。それに文句があるならば、寺社奉行に申し出い」。吉兵衛はそれではと「長いものにはまかれろという言葉を知らぬわけでもこざいますまい。村人を切り捨てた咎人を葬るとあっては・・・。手前どもも、村の者に檀家を変えさせるよりほかございませんな」と一歩も引かない。  その態度をあざ笑うように、老師は表情一つ変えず庄屋を罵った「末世ともなれば、全てがあべこべに見えてくる。郡代を怖がるのもほどほどにしゃっさい。せっかく出来上がった堤を壊したのは誰じゃ。いやさ、立派な武士に腹を切らせた、人殺しの張本人は誰じゃ」。  雷の如き大喝は、さしもの庄屋を震え上がらせ、平山や大山を勇気づけたという。平山は8月15日、大山は同21日に寺で相果てた。「いずれも初七日を見届けて旅立たれたと書き残してありました。老師は墓碑を用意して丁重に供養したのでございます」。尼僧の表情は全てを伝えた達成感に満ちあふれた。  ただ村人の恨みは深く、老師への報いは苛烈を極めた。寺の檀家は減り、細々と存続したが、明治時代には廃仏毀釈の影響で無住になった。濃尾震災で堂宇も倒壊し、残されたのは墓石と眼鏡だけだという。最後に尼僧は「長間村の報恩寺をお尋ねください。老師への仕打ちがよく分ります」と続けた。  渡辺は、話を聞いている内に不思議な感情が沸いてきた。この話はどこまで事実か、まるで見当が付かなかった。よどみなく諳んじた尼僧に迷いはない。ただ、村人に聞いてもそんな話は聞いた事がないという。 岐阜県上石津村で拝見した高木家には、村々からさまざまな要望があり、人足も思うように集まらなかった事は分ったが、このような事件は見いだせなかった。長間村の報恩寺は老師の隠居寺である。渡辺は複雑な表情をしながら、報恩寺を目指した。 68d9c9e5-9afc-4270-96b6-f882a322c3c1 清江寺の3義士(2013年筆者撮影)
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