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真っ赤なルージュは何色か
ほんの少し唇をつきだしながら、音にしない「あ」と口の中だけで呟いて、化粧ポーチからリップを取り出す。
洗面所につけられた鏡と面と向かい、リップの蓋を開けたとき、「うがっ?!」と男の苦しむ声と、鈍い音が開けていたドアから聞こえる。
「その唇で、誰にキスするつもりやったん?」
トン、と背後から聞こえた軽い音に、鏡越しにそちらを見やれば、洗面所の入り口の壁に手をつきながら、一人の青年がこちらを見ている。
「あら、誰だと思う?」
リップを持ったまま、背後にいる彼に問いかければ、「さてね」と彼が入り口へ寄りかかりながら答える。
「ねえ」
「あ?」
ネクタイの首元を緩める彼に声をかければ、ネクタイに手をかけたまま、彼がこちらを見やる。
「このリップ、何色だと思う?」
「どう見ても赤やろ」
くるくるくる、と回したリップケースから見えている色は、確かに赤い。
「真っ赤。どっからどう見ても真っ赤。いっそ、鏡にメッセージでも書き残せるくらいに、真っ赤なルージュよね」
「おまえ、真っ赤なルージュて言いたかっただけとちゃう?」
「違うわよ、失礼な」
呆れた顔をして、自分を見やる彼に振り向きながら言えば、彼はふうん、と興味なさそうに答える。
「これね、体温とかphによって色が変わるの」
「ふうん」
胸元のポケットから、タバコを取り出した彼が、静かに答える。
「ねえ」
「なんだよ」
「いつもは塗ると薄い色に色づくんだけど」
リップを見つめ、視線をずらし彼をじい、と見つめる。
「ホテルのスウィートに、窓から見える夜景は、二人占め。この部屋には、私と、そこに転がってるアイツしか居なかった」
アイツ、と言った視線の先には、彼に殴られて動かない一人の男。
「んなこと言うたって、依頼人とお前がこの部屋入った直後にオレもここ来たやん」
呆れたように言うけれど、彼の目元は、笑っていない。
「そうね、けど」
唇の端にあてたリップが、じわりと溶ける。
「私の唇、今は何色になると思う?」
多くは告げず。
ただ、黙ってじい、と彼を見つめた私の視界を
、彼が埋め尽くす。
痛いくらいに首の後ろから引き寄せた彼の手は、しばらくの間、私を離そうとはせず。
床にはただ、ポキリと折れたリップが、転がっていた。
「こんなんどお?」
「なんやコレ」
「次のなりきりデートプラン」
どや、と言う顔をしながら、彼を見やれば、彼が呆れた顔をしてこっちを見る。
「ちょお、待ち。そもそも、次も何も、なんかになりきってデートなんてしたこと無いやろ」
「無いから言うてんねんやろ!」
「おかしな方言使うなや」
べし、と全く痛くない強さで、頭を叩かれる。
「だって、同棲を始めたら、デートって言ったって結局は一緒にお家出て、一緒に帰ってくるじゃん!」
「…同棲してんやから当たり前やろ…」
お前なに言ってん。
そんな顔をした彼に、ぶうう、と唇を尖らせながら、文句を伝える。
「ドキドキしたいの! ワクワクしたいの! そういうの無くなったら、マンネリするって言うじゃんか!」
マンネリしたカップルの結末なんて、両極端だ。
そのままずるずるいくか、途中で別れるか。
私はそんな結果は嫌だし、そんな結果にしたくなんてない。
そう告げたくても、いまさら感が強すぎて言い出すことすら恥ずかしい。
口に出せなくなった言葉に、尖らせたままの唇で黙りこんだ私に、「あのなぁ?」と彼が呆れたような声を出す。
「お前が何にたいしてマンネリ言うてるかよう知らんけど、マンネリでもええちゃうん?」
「え……」
彼の言葉に、思わずポカン、と口が開く。
「マンネリの何が悪いん? ええやん別に。俺はお前やなかったらこんなまったりせぇへんし、一緒に住もうとも思わん。こんなワケ分からん小芝居に盛大なツッコミいれたりもせぇへんよ」
最後のほうはクツクツと笑いながら、私を見やる彼の言葉に、言われた私の目の奥がじわじわと熱くなる。
「あのなぁ。泣かんでもええやろ」
「うわぁぁぁん」
「あー、はいはい」
ボロボロと涙が零れだしたら最後。
しゃくりあげて泣き出した私に、彼はクシャ、とした笑顔を浮かべて、両手を広げる。
「ほれ、おいで」
その言葉を合図に、彼の胸元へと飛び込んでいく。
「真っ赤なルージュなんてもんは似合わんから、あとで真っ赤なリンゴでも、買いに行こか」
ぽん、ぽん、と私の頭を優しく撫でる彼の言葉に、「リップも欲しい」と鼻声で伝えれば、「我がままな姫さんやな」と彼がまた笑った。
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