ルビーとオルゴール

1/1
0人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ
 私がそのホームページを見つけたのは、もう何年も前の冬のことだった。  当時、16歳だった私は病気を患っていた。といっても、心の病だ。  人と関わるのが怖くなり、学校に行けなくなった。そのうち外にも出られなくなり、家族としか会話ができなくなった。  親は私をろくでなしと罵った。居場所はどこにもないと思っていたが、気づけば私がたどり着いていたのはインターネットだった。  偶然見つけたとあるサイト。それは、私より少し年上の女性が書いているブログだった。  ブログの主の彼女は「ルビー」というペンネームだった。  ルビーさんのブログは一見普通だったが、目を引いたのが、書かれている文章が全部赤色で記されていたことだ。  サイトは全部赤で彩られていた。プロフィールのアイコンも、リンクのボタンも全部。ただ赤だというと鮮烈で不気味な印象にも聞こえるが、当時の私にはそうは見えなかった。  というのも、ルビーさんのブログの内容は、その全てが誰かからの人生相談だったのだ。  ブログのフォームに寄せられるらしい、多くの相談。 「恋人に愛想を尽かされたかもしれない」 「実家暮らしが辛いのに家を出ることができません」 「病気が治らないのに、どうやって希望を持てばいいのか」 「死にたいです。助けて」 「こんなことを思う自分がおかしいのでしょうか?教えてください」  多種多様であるようで、どこにでもあるような、気軽なものから重いものまで、いくつもいくつもある。  ルビーさんは、それにひとつひとつ丁寧に答えていた。  何気なく読んでいくうちに、私は今の自分の悩みと似た悩みを持っている相談者が何人もいることに気づいた。  そして、同時に回答者であるルビーさんの人柄についても気づくことがあった。彼女は、相談をしてくる人に「親身な」対応をしているけれど、けして口当たりのいいことだけ言っているわけではなく、ただ自分の判断と考えに沿ってなるべく適切に対処しようしていた。そのため、一見距離をおいたような、冷たく見える回答もあった。  それでも何故か、彼女のまるでインターネットの片田舎にあるようなそのブログには、訪れる人が絶えないようだった。  ルビーさんの言葉のなかで、いつまでも私の頭に残っているものがある。 『自分の人生は世界で一番ひどいんだ、って思ってる人も多い。けどね、やっぱりどうしても、自分のことを「かわいそう」って思ってる限りは、救われないんだよ』  それは、辛い境遇にいる人にとっては、突き放すような一言だったのかもしれない。  だけど、その言葉はきっとルビーさん本人が本心から思っていることで、彼女が人生を生きてきてそう確信したことなのだろう。  彼女の文章を読むうちに、私は自分の人生のどこが問題なのか、何が正しく何が間違っているのか、そしてどうしたら楽に生きられるのかを、知らず知らずのうちに身に着けていっていた。  しばらくして、私も自分のことをルビーさんに相談しようかと考えるようになった。相談募集のフォームを開こうとする。  しかし、その前に気づいた。  ルビーさんのブログの更新は、実は今から二年前に止まっていた。  最後に更新されたページには、「自分はもう長くはない」と書かれていた。  それを書いていた当時のルビーさんは20歳で、もうずっと病気で入院していたとあった。入院生活の片手間に、人生相談ブログをやっていたと。  そして、病気の進行が進んでいるため、もうブログは更新できそうにない、と書いてあった。  その文章の最後は、こう締めくくられていた。 『小さい頃から今までずっと、赤色が好き。でも病院は真っ白なのでつまらないなあ。  入院し始めてから、病室ではずっとオルゴールを聞いています。お見舞いにもらったオルゴール。蓋に真っ赤なきらきらのルビーがついてるの。  これを聞きながら文字を打つのも、これが最後になるでしょう。』 ***  それから数年が経った。私は大人になり、学生ではなくなり、どうにか社会で過ごしている。  気づけばルビーさんの年を追い越していて、彼女のブログのことも少しずつ記憶から薄まっていた。  けれどあるとき、「あの頃」に引き戻されるようなことがあった。  一人で下町のほうに旅行にでかけたとき、小さなアンティークショップに気まぐれで立ち寄った。  そうしたらそこに、オルゴールがあったのだ。 「蓋に真っ赤なきらきらのルビーのついた」、オルゴール。 「あの、これ……」  私が呟くと、店番をしていた若い男性がこちらを見て言った。 「ああ、それ、店長のお気に入りなんですよ。なんでも外国のとある工房でしか作られてないらしくて、一点物で」  店の男性は私の知らない国の名前を言った。どこから来たのかもわからなかったが、私はそこで迷わずそれを購入した。  オルゴールは、以来ずっと自分の机の上に飾っている。  箱の裏側のねじを巻き、蓋を開けると、静かなメロディが流れ出す。  そのたびに私は「あの頃」のことと、あのブログのことを思い出す。  私はルビーさんの本名を知らないし、彼女がどこに住んでいるかもわからないままだった。  あのあと色々調べたけど、おそらく彼女はもう亡くなっている。それも本当かどうかはわからないけれど、なんとなくそうだと思う。  もうルビーさんと繋がる手立てはひとつもない。いや、もともと「繋がり」すらなかったのかもしれない。  それでも、私はインターネット越しの誰かに助けられたという事実があった。  目をつぶると、文章でしか知らない彼女についての想像図が勝手に巻き起こる。  オルゴールの音楽と共に、真っ赤なワンピースを着たルビーさんのイメージが立ち上がる。  私の頭のなかの彼女は、椅子に座って、名も知らぬ相談者と人生について語り合っている。  首元には、赤い宝石のついたネックレスを付けているのかもしれない。  全部勝手な想像だ。本当の彼女のことなんて何も知らない。  それでも、確かにルビーさんのブログは、私の人生を構成する一部だった。 「なんで、人は生きているのでしょう」  という、誰かからの質問に対してルビーさんはこう答えていた。 『うーん、わかりませんね。なんでなんでしょうね。でも……』  そこから続く長い話が、かつてそこにあった。  そのことに、今も私は救われている。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!