星に願いを

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星に願いを

 町で人気のパン屋〈フォーベリー〉の店は、朝から大賑わいだ。 「フェイ! こっちを向いてよ」 「あの、この花、フェイに! きみに似合うと思って!」  突き出される花束や手紙にすっかり怯え、身を縮めるしかないフェイの代わりに、同僚のメアリーが一喝する。 「パンを買いにきたんだったら並んでちょうだい! レジはこっちよ!」  開店直後からはじまったこの騒動は、まだまだ収まりそうもない。  パン屋の朝はいつだって大忙しだが、それにしたって今朝の様子は異様だ。  店に詰めかけたのは、フェイを敬遠していたはずの若者たちだった。  星ひとつない夜の闇のような漆黒の髪を持つのは、この〈ラーゴの町〉ではフェイだけだ。  その昔、イルヴィスタ国では黒は不吉な色であった。  黒い犬、黒い猫……それらはすべて凶兆とされ、忌避や迫害の対象であった。そしてその対象は、黒い髪を持つ人の子にまで及んだ。  しかしそんな歴史があったのも、百年以上も前のこと。  面と向かって悪口を言われたり、意地悪をされたりするわけではない。〈フォーベリー〉の従業員をはじめとし、フェイに好意的な人たちも多い。しかし遠巻きに見られたり、ひそひそと噂話をされたり、ということもめずらしくない。四年前、この町に出てきた頃から今も続いている日常、のはずだった。  それなのにカウンターから身を乗り出す町の青年たちは、少しでもフェイの視界に入ろうと必死だ。  メアリーが行列をさばく横で、フェイは戸惑いながらも手早くパンを袋に詰めた。  一体どうしてこんなことになってしまったのだろうか?  昨日までは、いつもどおりの、変わらない日常を送っていたはずなのに――……。 【one day before…】  フェイの朝は早い。  職人たちは朝からたくさんのパンやクッキーを焼き、フェイたち若い奉公人は開店に間に合うよう店を隅々まで磨き上げ、焼き上がった商品を完璧な配置で並べなければならない。〈フォーベリー〉は町で人気のパン屋で、一年前には併設したティールームもオープンし、連日大賑わいだ。  フェイが〈ラーゴの町〉で働きはじめて――そして、十四歳まで育った家を飛び出して、四年が経とうとしていた。  この四年間で多少背は伸びたものの、十八歳という年齢のわりにフェイはまだ小柄だった。輝くサファイアブルーの瞳こそぱっちりと大きいが、顔のパーツは全体的に小作りで、年齢より幼い印象を与える。しなやかに伸びる四肢は子猫のようで、黒い髪は絹のようになめらか。肌は雪のように白く透き通り、林檎のように瑞々しく色付く唇はいっそ可憐であった。  開け放した寝室の窓から、早朝の清涼な空気を吸い込み、フェイはうんと伸びをする。  いつもの癖で早起きをしてしまったが、今日は休日だ。姉のゾーイはまだ眠っているだろう。  彼女が起きだす前に朝食の支度をしてしまおうと寝室を出たが、小さなキッチンには忙しなく立ち働く金髪の頭が見える。 「ゾーイ姉さん?」 「あら、もう起きたのね、フェイ。おはよう」  振り返った瞬間、金の髪が肩の上でドラマチックに弾む。緑の瞳を細め、ゾーイが輝くような笑顔を見せた。  幼い頃は男の子のようにちんちくりんに髪を短くしていたゾーイだが、今や町中の誰もが振り返るような美女に成長した。町の半分以上の若者がゾーイに求婚したことだろう。隣町や王都からだって、噂を聞きつけてやってきた人々がいたかもしれない。 「朝ごはんはもう少し待ってね。飲み物は紅茶でいい?」 「えっ、いいよ。ゾーイ姉さんは座ってなよ」 「誕生日なんだから、あんたこそ座ってなさいよ。それに、今日を逃したらもう当分、朝食を作ってやる機会なんてないんだからね」  ぐっと言葉に詰まったフェイは、ありもしない寝癖を直すように黒髪を撫でつけながら大人しく座ることにした。ゾーイの言うとおり、彼女がダントン夫人になってしまったら、こんな風に朝食を作ってくれることはないだろう。  二十五歳になるアンブローズ・ダントンはひょろりと背の高い、鳶色の髪の平凡な青年だ。親の興した大きな商会を継いでいて、この辺りで一番のお金持ちだが、フェイにとっては姉に求婚する大勢の男たちのうちのひとり、というだけに過ぎなかった。とびきりのお金持ちということ以外、特筆すべき特徴もない。  そんなダントン氏の求婚を、ゾーイが受け入れたのは先月のこと。  ダントン氏から『きみも一緒に暮らさないか』と提案されたとき、フェイは驚き、そして呆れた。 『自分ひとりじゃ生きていけない赤ん坊じゃないんだから。姉さんの嫁ぎ先に弟がついていくなんて、聞いたこともないよ』  そう言ってすげなく断ったことも記憶に新しい。  
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