7人が本棚に入れています
本棚に追加
*9*
「ただいまー、遥。なんか初日から色々大変だったんだって? 彩瀬署はどうだった……あれ?」
21時を過ぎた頃、ようやく帰宅した涼がリビングで見たのは、ソファに座ったまま寝息を立てている遥だった。
絆侶のスピカはまるで彼女を何かから守るようにして、ぴったりと寄り添っている。
一瞬、そんなふたりの姿が、3年前までよく見かけた、父親とその絆侶の姿と重なって見え、涼は今にも泣き出しそうな弱々しい笑みを浮かべた。
疲れてリビングでうたた寝する親父を、いつも傍でそっと見守っていた母――もう二度と戻らない、幸せな家族の時間。
そんな想い出をかき消そうとするかのように首を振った涼は、作務衣パジャマ姿の妹を起こさないようにそっと抱き上げると、二階のベッドまで運んでやった。
遥を抱き上げた瞬間に目を覚ましたスピカも、涼の後に続いて部屋に入ってくる。
「遥……今日は本当にお疲れさま」
「むにゃぁ……待って…スッピー……」
遥の寝言に反応してピクリと耳を立てたスピカに気づき、涼はしゃがみ込んで微笑む。
「スピカ、これから大変だと思うけど……遥のこと、頼んだぞ」
『……ああ』
真っ直ぐに見つめ返してきたスピカに、涼は安心したように目を細める。
「おやすみ、遥。良い夢を」
眠る遥の髪を優しく撫で、涼が部屋の電気を消していった後、
『ああ。遥のことは絶対に守るさ。アイツとの約束だから……な』
固い決意を含んだその言葉は、誰にも聞かれることなく、静かに暗闇へと溶けていった。
***
涼が隣の自室へ入ると、タイミングを計ったかのようにスマホが短く振動した。
手早くメッセージアプリの画面を開くと、そこには久々に見る母親の名前――夕紀、と表示されている。
「……おふくろも、心配なら遥に直接メールしてやればいいのに」
メールに向かって突っ込んだものの、それが難しいことは涼だって理解している。
遥が高校受験をやめ、式獣使いになりたいと言い出した時、当然のように夕紀は猛反対した。
最愛の夫の命を奪っていった危険な仕事に、大事な娘を就かせられるわけがない。
もちろん、兄バカを自称する涼も反対した。
しかし、大ゲンカの末、遥は黙って式獣使いの選抜試験を受験し、そしてこともあろうに受かってしまった。
それ以降ずっと、母娘間の冷戦は続いているのだ。
式獣学校での研修過程や最終試験で、式獣研究所の所長を務めている夕紀と顔を合わせていないはずはないのだが、遥も夕紀も、それに関しては何も言っていなかった。
そもそも、式獣使いを認定するための最終審査に関わっている夕紀ならば、遥を落とすことも不可能ではなかったはずなのだが。
「意地っ張りだよなぁ。おふくろも、遥も……俺も」
涼はつぶやきながら、机に置かれているデスクトップパソコンの電源ボタンを押した。
スーツのジャケットをハンガーに掛け、片手でネクタイを緩めると、起動したパソコンの前に座って小さく息を吐く。
目的のファイルの上でマウスをクリックすると、開封パスワードを要求するウィンドウが表示された。が、意味を成さない十桁の英数字を涼が迷いなく打ち込むと、すんなりとファイルは開かれ、画面に文書が表示された。
――渡月肇の死に関する調査。
これは、涼が極秘裏に進めているものだった。
3年前の春、大学四年になったばかりで、既に貰っていた大手企業から内定を蹴った涼は、警察官の採用試験を受け、合格した。
国立大学卒のエリート組として、そしてちょっとしたコネも使って警察側から式獣総本部の一員となったのはすべて、父の死の真相を究明するため。
そして一年に渡る調査から見えてきたのは、式獣を巡る、警察と式獣研究所、全国の式獣課内に存在する対立構造だった。
式獣総本部員とはいえ、個人的に調査していることが発覚したらただで済まないだろう。そんなことは百も承知だ。
もちろん、妹の遥も、涼がこんなことをしているとは知らない。
「親父の無念は、俺が絶対にこの手で晴らしてやる」
涼はただその一心で、手に入れたばかりの情報を整理すべくキーボードを叩くのだった――。
最初のコメントを投稿しよう!