第2話 冷たい雨と現実。 

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第2話 冷たい雨と現実。 

 *1*  式獣使いの仕事は、大きく分けてふたつの系統に分かれている。  一つは《本部系》といい、これは警視庁式獣総本部から直接下される任務のことだ。  事件の捜査協力、災害事故の救助応援が主な任務内容で、警視庁の刑事や警官、消防庁のレスキュー隊員などとも協力してこなす。  もう一つは《所轄系》という、各式獣課が単独で行う任務だ。  例えば、交通課や生活安全課、地域課と協力しての警ら活動、所轄刑事課への捜査協力、管轄地域にある福祉施設を巡回してのセラピー活動、式獣使いと式獣のPR活動といったものが挙げられる。  彩瀬署では、月の半分は後者の《所轄系》任務をこなしているのが現状だった。 「ただいま戻りました~」  昼休みに入った12時、(はるか)空良(あきら)は共にコンビニ袋を片手に、式獣課へ戻ってきた。  配属から一週間が経ったこの日の午前中も、遥とスピカは空良に連れられて、来週、PR活動を行う予定の小学校へ打ち合わせのため行ってきたところだ。 「二人とも、おかえりなさい。今、お茶を入れてきますね」  愁一郎(しゅういちろう)は腕時計を見やると「もうこんな時間でしたか」とつぶやきながら、給湯室へ消えていく。  しばらくして、言い合いをしながら戻ってきた香澄(かすみ)灯也(とうや)に続き、愁一郎が五人分のカップを乗せたトレーを運んできた。  愁一郎は、自分のデスクについてパンをかじっている空良にカップを手渡すと、残りの四つは会議用の大きなテーブルに置いた。  空良以外は皆、そっちのテーブルで食べているからだ。 「花島(かしま)先輩、今日のお茶は何ですか?」 「今日は、茉莉花茶(ジャスミンティー)にしてみましたよ」 「あ、私、ジャスミンの香りって好きです~」  まだ涼しい四月の気候に合わせて、今日はホットで作られている。  夏場はアイスにすると暑さが吹き飛ぶ爽やかさで、後味も良く、女性に人気のお茶だ。 「それは良かったです。おかわりもありますから、遠慮なく仰って下さいね」 「はーい!」  カップを手に取り、爽やかな香りを楽しんだ遥は、コンビニで買ってきたおむすび――焼きタラコばくだんおむすびにかぶりついた。 「なぁ、レプス見なかったか?」  給湯室のレンジで温めてきたコンビニ弁当を持って、灯也が周囲を見回している。 「知らないわよ、またこの前みたいに、アンタの書類の山に埋もれているんじゃなくて?」 「いや、そこにもいなくてさー……」 「灯也先輩、私も探すの手伝いましょうか?」 「んーまぁ、そのうち出てくるからいいや。それより、腹が減っては何とやら……」  特に心配した様子もなく言った灯也は、愁一郎の隣に座って弁当を食べ始めた。  絆侶より弁当を優先する式獣使いってどうなんだろうと、遥は密かに思いつつ、自分もまた食べ続けていた。  朝と夜、二食しか食べない式獣たちを尻目に、人間たちはそれぞれの昼食をテーブルに広げている。  遥の向かいでは愁一郎が彩り豊かな愛妻弁当を、その隣では灯也がコンビニ弁当を食べながら、時折、香澄の豪華な弁当――小さな二段の重箱にぎっしり詰められたお惣菜に、手を伸ばしては睨まれていた。 「どうせ香澄一人じゃ食えねぇんだから、いいだろ。つか、すっげぇウマいし」 「それはどうも。ウチのシェフに伝えておくわ。今度、カラシがたっぷり詰まったシュウマイでも混ぜておいてって」 「うわ、ひっでぇ……」  香澄の父親は大病院を経営している金持ちで、豪邸だという実家には専属のシェフがいるらしい。おまけにこうして毎日、豪華なお弁当を作ってくれるなんて、一般庶民の遥にとっては夢のような話だ。  遥は羨ましく思いつつ、2個めの炙りトロサーモンおむすびを食べ終えると、デザートに買った天津甘栗(てんしんあまぐり)の真空ミニパックを開けた。 「遥さん、栗がお好きなんですか? 昨日もマロン味のお菓子を食べていましたよね?」 「わ、花島先輩よく見てますねー。そうなんですよ~、私、栗が大好きで。あ、野菜ではナスが一番なんですけど」 「へぇ、では、今から秋が待ち遠しいですね?」 「えへへ、そうなんですよ~。春って栗モノのお菓子が少ないから、探すの大変で……」  と答える遥の視界の端に、アリエスの尻尾がパタパタと揺れているのが映った。  しかも、その視線の先にあるのは、遥が食べようとしていた甘栗だ。 「……アリー、もしかして食べたいの?」  アリエスだから略してアリーという、遥が付けた安直なあだ名で呼ばれた白犬は、耳をピクンとそばだてた。 『い、いえ……わたくし、甘いものは……』 「嫌いなの?」 『……はい』  空良の様子をチラリと伺ってから頷いたアリエスに、遥は不満げな表情になる。  そういえば、彼女の絆侶である空良は甘いものが嫌いらしく、遥がおすそ分けしようとした甘いお菓子の数々は、ことごとく拒否されていた。 「でも……」   今の態度はどう見ても、空良のことを気にして、我慢したようにしか見えない。  頑なに拒むアリエスに遥は納得がいかなかったが、その場は空良の目も気にして、仕方なく引き下がることにした。  また後で、空良がいない隙を狙って、アリエスにあげてしまえばいい。  そうして数分後、待っていましたとばかりに、食事を終えた空良が席を立った。  後を追おうとしたアリエスを、空良は首を振り「ついて来なくていい」と止め、一人で出て行ってしまう。 「お、チャ~ンス! アリー、今なら食べても大丈夫だよ。本当は、栗好きなんでしょ?」  空良に置いていかれたせいか、落ち込んだ様子のアリエスの前に、手の平にちょこんとのせた甘栗を差し出す。 『っ! 遥さま……あの、でも』 「我慢なんてしなくていいのに。一個くらい食べたってバレないしさ。ねぇ、スッピーもそう思わない?」 『というか、絆侶(パートナー)の好きな食べ物くらい、空良(アイツ)だって本当は知ってるんじゃないのか?』 『ですが……わたくしは絆侶として、空良さまの嫌いな物を食べる自分が許せません』 「そんなの変だよ。スッピーは、私が大好きなナスでも『変な色、味がない、マズい!』とか、ハッキリ言うよ? 絆侶だからって、好き嫌いが同じじゃなくても、別にいいと思うんだけど……」 『ま、考え方は色々だろ。食べないのが彼女なりの、奴への愛情表現なんだろ?』 「うーん……」  甘栗を食べようとしないアリエスを、納得がいかない様子で見つめていた遥は、ふと、ある事を思い出し、苦笑した。 『ん? どうした、遥?』 「いや、なんかさ、アリーって、パールに似てるなぁ……って思って」  遥は小さい頃にもこうして甘栗を食べさせようとして、なかなか食べてくれないパールの前で、座り込んでいたことがあったのだ。 『……パールさまというのは、あの有名な?』  意外にも、アリエスがパールの名前に反応して顔を上げた。 「有名……なのかな? パールは、私の父さんの絆侶だったの。休みの日にはよく一緒にお昼寝したり遊んだりして……カッコ良くて優しくて、真っ白でふっかふかの毛とか、気持ち良くて、あったかかったなぁ……」 『そう、だったのですか……』  遥の言葉に、何故かアリエスはスピカの方へ気遣わしげな視線を向ける。 『何だよ』 『いえ……』 「なぁに、スッピー? もしかしてヤキモチ焼いた?」 『ばーか、そんなんじゃねぇよ! そんなんじゃ……』  スピカが照れくさそうに遥から顔を背けた、ちょうどその時。  隣の更衣室にいたはずの香澄が、バッグを抱えて駆け込んできた。  高価(たか)そうなブランド物のショルダーバッグからは、レプスが寝顔を覗かせている。 「ちょっと灯也! なんで、レプスが、あたしのバッグの中で昼寝してるのよ!?」 「あ、お前いつの間に、そんなトコに!」 「そんなトコとは失礼ね。あたしは、なんでこの子が、女子更衣室に勝手に入れたのか、って聞いてるのよ」  アリエスくらいの大きさの犬ならばドアノブにも手が届くからともかく、レプスの小ささではどうやっても自力で更衣室のドアを開けて入ることはできないはずだ。  香澄は灯也がレプスを更衣室に放り込んだのでは、と疑いの眼差しを向けていた。 「ちょっ、誤解すんなよ。オレは何もしてないからな! 大体、レプスは女なんだから、別に女子更衣室に入ったっていいじゃねーかよ!」 「そういう問題じゃないでしょ!」 「じゃあどういう問題だよ!」  言い合う香澄と灯也などお構いなしに、当の本人、レプスはスヤスヤと眠り続けている。  愁一郎が二人の間に入ろうと立ち上がった時、タイミング良く、空良が課に戻ってきた。 「おい、昼休みはもう終わりだぞ」  渋々と引き下がる香澄たちだったが、遥だけは違った。  とうとうアリエスに食べてもらえなかった甘栗を悔しそうに握り締め、空良の前に立つ。 「どうした、渡月?」 「……あの、課長にひとつ質問したいことがあるんですが」 「なんだ、言ってみろ」 「課長って、アリーに冷たくないですか? 絆侶なのに、なんかこう、近くにいるのに、遠い感じがするっていうか……」  彩瀬署に来てからこの一週間、愁一郎とコルン、香澄とリラ、灯也とレプスのように、空良とアリエスが他愛のない話を交わしている姿は、一度も見ていなかった。 「……お前、式獣をペットか何かと勘違いしてないか? 仲良くしたいだけなら、動物園の飼育係にでも転職しろ。今からでも遅くはないぞ」 「私は別にそんな! ただ、一緒に仕事するなら、仲良くしていたほうが効率も良くなるんじゃないかなって……」 「ほう? それはつまり、俺とコイツの仕事の仕方は効率が悪いということか?」  遥は指摘されてから失言に気づき、慌てて首を振る。違う、遥が言いたかったのはそういうことじゃない。 「ええと……絆侶同士、何でも言い合えた方が、お互い気持ちよく、お仕事ができるかなって。ね、アリー?」  同意を求められたアリエスは、遥と空良、二人の視線を感じて、困ったように俯いた。 「絆侶と必要以上に親しくなるのは、任務中の気の緩みに繋がって思わぬ危険を招くだけだ。くだらんこと言ってないで、新米はサッサと地下訓練場にでも行って鍛えてこい」  反論を許さない空良の厳しい表情に、遥は何も言えなくなってしまった。 「……うん」 「なんだその友人同士の会話みたいな返事の仕方は。うん、じゃないだろ」 「あ……えっと、了解、です」  その後――遥と共に地下訓練場へ向かったスピカは、延々と空良に対しての愚痴を聞かされる羽目になったのだった。
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