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*6*
式獣課の歴史は30年とまだ浅く、式獣使いの数も少ないことから、すべての都道府県に配備されているわけではない。
北海道、東北、関東、信越、東海、近畿、中国、四国、九州、沖縄――各地方都市と、東京、それぞれ一か所ずつのみ存在する。
そして、これら11か所すべての式獣課を束ねているのが、霞ヶ関の警視庁内にある式獣総本部――遥の兄のような警察官と式獣使いのエリートたちとで構成された部署だ。
総本部には、災害救助や事件捜査時、消防庁などの他機関や警察内の他部署と、各方面の式獣課の仲介を行うための通信基地があり、そこから各地へ指示を出している。
総本部から最も近く、千葉、埼玉、茨城寄りの東東京にあり、都内で唯一式獣課を持つ警察署が、彩瀬署だ。
そして、そんな特殊な署だからこその設備――地下訓練施設が存在した。
救助等に必要な体力を強化する為のトレーニングマシンをはじめ、式獣用の訓練設備も整っている。
例えば、捜索技術を磨くために人工的に作られた瓦礫の山や深い穴、トンネルを模した細長いゴムチューブ、バランス感覚を鍛えるための平均台。
打ちっぱなしのコンクリートの壁には、ロッククライミング用の小さな突起が付けられている。さらに、水難救助訓練にも使用できる可動床式のプールまでも完備されていた。
このプールは時に、式獣課員だけではなく、彩瀬署に勤めている警察官たちや、付近の消防署に属する隊員たちの訓練に使用されることもあった。
「地下にこんな立派な施設があるなんて、すごいねぇ……」
『ああ、訓練するにはもってこいの環境だな』
「……うん、そーだねー」
式獣学校時代から、訓練というものが苦手だった遥は、スピカの意見に生返事する。
「そ、そういえばさ、スッピー、もしかしてアリエスちゃんに一目惚れした?」
アリエスというのは、今朝、現場で出会った白い犬の彼女、空良の絆侶のことだ。
突然の指摘に、スピカは足を止め、目を瞬かせた。
『なんでいきなり、そういう話になるんだ?』
「だってほら……最初に会ったとき、スッピーってば彼女のこと見つめたままボーッとして、固まってたじゃない? なんかこう……運命の出会いでもしちゃいました~! って感じに見えたからさぁ」
『……いや、あれは別に』
「別に、何よ? 気になるんでしょ? 真っ白フカフカ毛並みは良いし、顔もかわいいし。あ、でも、スッピーよりちょっと大きいか。女の子の方が大きいのは、やっぱ嫌?」
犬型の式獣でも姿形は様々で、スピカのような小型犬に似たものから、アリエスのような中・大型犬に似たもの、また、犬以外にも、様々な種類の鳥、兎、猫、鼠などの姿に似たものが存在する。
『だーかーらー、オイラは別にそんなんじゃ……』
「ホント? 絆侶に嘘ついたらダメなんだからね?」
遥に詰め寄られたスピカは、弁解するのが面倒になったのか、降参とばかりに頷いた。
『まぁ……全く気にならない、と言ったら嘘になるけどな』
「ほらやっぱり~! 大丈夫、誰にも言わないから。こっそり応援してあげるよー」
遥のこういうところは、普通の女子高生のノリと何ら変わらない。
スピカは、一人できゃあきゃあとはしゃぐ絆侶を眺めながら、小さくため息をついた。
二人が地下見学を終え、そんな話をしながら一階のエントランスホールを歩いていると、突然後ろから肩を叩かれた。
「おっ、キミのことだろ? 肇ちゃんの娘さんって」
くたびれたスーツ姿に、無精ひげを生やした中年の男性――おそらく刑事課の人だろう――が、遥を見てしみじみとつぶやいた。
肇ちゃんというのは、渡月肇……遥の父親が生前よく呼ばれていた愛称だった。
亡くなる前は式獣総本部員として、その前は彩瀬署員としてココに勤務していたため、彼を覚えている人はいまだに多く残っている。
今朝、遥が式獣課の場所を探して廊下をウロウロしていた時も、肇の知り合いだという中年の女性に助けられていた。
「ええと……父がお世話になってました?」
とりあえず誰だかわからなかったので、遥は首を傾げ、疑問符付きで応えてみる。
すると男性はどこか懐かしげに目を細め、微笑んだ。
「いやいや、肇ちゃんにはこっちがよくお世話になってたんだよ。それにしても、さすが父娘だけあって、絆侶の式獣が、肇ちゃんの時とそっくりだなぁ」
「え? パールは……父の絆侶は真っ白な犬でしたけど?」
「ははっ、見た目のことを言ってるわけじゃないさ。絆侶を守ろうっていう強い意志を秘めた瞳がそっくりだよ」
「そ、そうですか?」
遥は自分の絆侶と父の絆侶が似ていると言われ、少し誇らしげな気分になって微笑んだ。
しかし、スピカは刑事の視線から逃れるように目を逸らすと、何も言わずに俯いた。
「おや、キミの絆侶は人見知りするのかな? ま、キミたちも肇ちゃんたちみたいな立派な式獣使いと式獣を目指して頑張るんだよ。おじさん、こっそり応援してるからな」
ガハハ……と豪快に笑いながら、遥の肩をポンポン叩いた刑事は、そのまま踵を返して署の外へと歩き去っていった。
ぺこりと頭を下げ、名前も知らぬ刑事を見送った遥だったが、足元で俯いているスピカの様子が気になってその場にしゃがみこんだ。
スピカは今まで人見知りなんてしたことないのに、さっきからずっと黙ったままだ。
しかも、心なしか耳や尻尾が垂れていて、落ち込んでいるようにも見える。
「どうしたの、スッピー?」
『……うーん。ただ、刑事の洞察力ってのは侮れんなと思っただけだ』
「は? まさか本当に人見知りしてたの?」
『いや、そっちじゃなくて……。ところで、オイラはどうでもいいんだが、端目にはお前一人でブツブツ喋ってる怪しい奴にしか見えないってこと、忘れるなよ』
「あ……」
遥が式獣使いだと理解できても、スピカの声が聞こえない人たちにとっては、不思議な光景に映るのだろう。
遥たちの横を通り過ぎていく署員たちの好奇の視線に気付いた遥は、恥ずかしそうに式獣課のある2階まで逃げるように駆け戻っていった。
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