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*7*
「うわーん! もう夜になっちゃったよー。どうしよう、スッピー……」
デスクに置かれたノートパソコンのキーボードの上に突っ伏した遥は、恨みがましい目つきで窓の外を眺めた。
春分を過ぎ、少しずつ陽は長くなってきているのだが、18時を回る頃ともなると、星が輝き始めていた。
なぜこんなことになったのか――。
配属初日の午後、署内の見学を終えて暇そうにしていた遥は、空良の指示によってパソコンと睨めっこする羽目になった。
曰く――やることがないなら、今朝の、一人で勝手に救助活動して二次災害を起こした始末書と、爆発事故の報告書をまとめて提出しろ、と。
始末書も報告書も書いたことがないから分からない、と反論してみたが、過去の報告書をまとめたファイルを数冊、参考に渡されただけ。
それきり、空良は愁一郎と共に任務に出てしまい、香澄と灯也もまた別の任務へと出たきり、まだ戻っていなかった。
「そこで寝てないで、助けてよー。スッピーだって勝手に行動したんだからねー?」
『忘れているようだから言っておくが、オイラは遥が救助活動に入ろうとした時、ちゃんと確認したんだぞ。いいのか? って。いい、って言ったのは遥だからな』
「むぅ……スッピーのいじわる~」
再びパソコン画面を睨みつけた遥は、デスクの上に散らばっている、事故に関する情報が書かれたメモ書きをつまみ上げた。
こうなったらもう、箇条書きでもいいではないか。提出できずに怒られるよりはきっとマシなはずだ。
ようやく開き直った遥は上体を起こすと、椅子にきちんと座りなおした。
「あ……今朝のビルの管理人さんって、昔は式獣使いをしてた人だったんだぁ。すごい、偶然だねー」
『ほぅ? で、結局、オイラたちが解体した時限爆弾はあったのか?』
スピカも気になっていたようで、むくりと起き上がる。
「うーん……それがさ、課長があの後、一応探してくれたみたいなんだけど、そんなモノは無かった、って。最初の爆発は、遠隔操作できる装置の付いたプラスチック爆弾だったんだけど、そっちの破片しか回収されてないみたいなの。無差別なのか、この雑居ビルを狙った犯行だったのかは、彩瀬署の刑事課と式獣総本部の方で調べてみるらしいわ」
スピカは遥の説明に興味を持ったのか、膝の上に飛び乗って、デスクの上に広げられたメモ書きを眺め始めた。
そこへ、朝と同じように勢いよくドアが開いて、灯也が帰ってきた。
続いて入ってきた香澄は、元気そうな灯也と正反対に、疲れた様子だ。
絆侶の式獣たちも疲れているようで、レプスは灯也の肩の上で、リラは香澄の腕の中で寝息を立てていた。
「ただいまッス~! 遥ちゃん、留守番お疲れ~っ!」
「ただいま戻りました。あぁ、今日も疲れたわ……」
「お疲れ様です! あ、そういえば、今朝言うの忘れたんですけど、お兄ちゃ……ウチの兄が皆さんによろしく伝えるように言ってました~」
皆が帰ってしまう前に一応伝えておかねば、と遥は慌てて二人に告げる。
すると、灯也も何かを思い出したようで、ポンと手を叩いて頷いた。
「ああ、そういえば、遥ちゃんのお兄さんって、渡月警視なんだっけー?」
「なんですって? あなた……涼さまの妹なの?」
「涼さまって……まぁ、そうですけど。それがどうかしました?」
「彩瀬署のこと、何か言ってらした? ほら、その、気になる人がいるとか……」
突然、疲れなど全て吹き飛んだような笑顔になった香澄は、遥に詰め寄った。
「え、いや、何も……多分、言ってなかったと思いますけど?」
勢いに押され、しどろもどろになりながら答えると、香澄はガックリと肩を落とした。
一喜一憂する彼女の様子に、灯也は渋い表情になった。何か言いたげで、しかし言わないように堪えているような感じだ。
唯一そのことに気付いたスピカは、慰めるように灯也の足元に擦り寄ると、
『へぇ、見た目によらず奥手なんだな』
灯也には聞こえない声でつぶやいた。
「さてと、定時も回ったことだし、あたしはもう着替えて帰るわよ~」
「え、今日の任務報告書はどうすんの?」
「明日の朝やるわよ。アンタと違って、30分もあれば書けるもの」
「うわ、超嫌味ー。まぁ、お疲れさん、香澄」
「……じゃ、お先に失礼するわね~」
灯也に呼び捨てされたことに怒る気力もないのか、香澄はヒラヒラと手を振りながら、出て行ってしまった。
一方、遥は、報告書を30分で書けるという香澄の発言に、再びデスクに突っ伏した。
「ねぇ、スッピー、私もいつか榎木先輩みたいに、報告書を早く書けるようになるかなぁ」
『さぁな。そんなこと言ってる暇があったら、手を動かせばいいだろ』
ぐっと息を詰まらせた遥に、スピカの言葉を察した灯也が笑う。
「大丈夫ダイジョーブ! 2年目のオレだって、まともに報告書作れたことないんだから、気にすんなって! 大体さ、オレたちの仕事は事務じゃないっつーの!」
「そ、そんなもんですかね……」
微妙な励まし方に苦笑した遥は、諦めたようにキーボードを叩き始めた。
「ところでさ、遥ちゃんって何歳?」
「明々後日で、17歳になりますけど」
「へぇ、17ってことは……ウチの弟と同い年かぁ。あ、じゃあ、遥ちゃんも中卒なんだ? 親に高校行けとか言われなかった?」
「んー……式獣使いの試験に落ちたら、一年遅れでどこか受験しようと思ってたんですけど。えっと、風見先輩も中卒なんですか?」
「おう。高校は暴走族仲間と遊びすぎて退学ってやつ? ウチ、おふくろが警察官で親父が自衛官っつー、おカタイい奴らでさ。でもまぁ、式獣使いなら親父たちも文句ないみたいだし、世の中の女性や弱い者を助けられるなんて、カッコイイかなーとか思ってさー」
香澄のイスに、背もたれを前にして座った灯也は、ニイッと白い歯を見せて胸を張ると、遥に笑いかけた。
屈託ないその笑みと軽快な話し方に、遥もつられてつい笑みを浮かべる。
一見するとガラの悪い不良青年のような灯也だが、密かに彩瀬署内の女性たちに人気があるようで、「灯也くんファンクラブ」なるものも存在するらしい。
『灯也はこう言うてるけど、ホンマは……』
「げっ、なんだよレプス! お前、起きてたのかよ!」
灯也の肩で眠っているように見えたレプスが、うっすらと目を開ける。
「本当は、何なんです?」
遥は思わずレプスの言葉に反応してしまってから「あっ」と口を押さえた。
普通の式獣使いには、他の人の絆侶の声は聞こえないのに――。
「ふぅん……やっぱり、遥ちゃんって他の式獣の声も聞こえてるんだな。なぁ、その能力って、隠してた方がいいものなわけ?」
完全に気付かれてしまったことに、遥は動揺した。
式獣学校にいた頃、前例のないこの能力のことはなるべく黙っているように、研究所の人と教官に言われていたからだ。
ゆえに、この能力を知っているのは、同期で仲の良かった人と、兄の涼くらいで……。
「えっと、その……」
「まぁ、とりあえず、黙っておくけど……。でも、愁先輩たちも、多分もう気付いてるぜ」
「えっ?」
たしかに、言及こそされなかったものの、遥は今日一日だけで彼らの絆侶の声に何度が反応してしまっていた。
勘の良さそうな彼らには、バレていてもおかしくはない。
指摘された遥が苦笑していると、灯也は腕時計を見て、立ち上がった。
「じゃ、オレはそろそろ帰るよ。始末書なんてテキトーで構わないんだから、早く帰れよ? それと、オレのことは灯也でいいからな!」
「……は、はいっ。お疲れ様でした!」
パタンと灯也が式獣課から出て行き、遥とスピカふたりだけの空間に沈黙が落ちる。
『結局……レプスの言葉の続き、はぐらかされたな』
そういえば、そうだ。本当はどうして灯也は式獣使いになったのだろうか?
遥は今度また聞いてみようと思いながら、今度こそ報告書を仕上げるべくパソコンに向かったのだった。
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