裏切り 

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 かすかな物音のはざまで、甘い喘ぎが漏れてくる。  腹を立てるのも、表沙汰にするのも、ナナミと別れるのも、なにもかも面倒だ。そして気付く。  いつ振られてもおかしくないと覚悟していた。終わりが来ること前提だった。しかし俺は、関係を清算する機会を初めから失っているのかもしれない。  こちらに行動する気がなく、ナナミにとって俺が都合のいい彼氏であるならば、恋人という関係はいつまでも続く。  ことは簡単だ。あのドアを開ければ、現状は八割がた終了する。ナナミが謝って許しを請うても、突っぱねればいい。俺は解放される。  めんどくさい。なぜ自分が動かなければならないのか。悪いことなどしていないのに。  裏切ったのは彼ら。当人が事態を収束させるべきだ。  いっそ「私たちで付き合うから別れてほしい」と言ってこい。俺はすがったりしない。「美男美女だな」と祝福さえしてやるよ。  性行為を聞かされる不快感も相まって、意地になった。  なにもしてやらない。存分にスリルを味わえばいい。背徳感はさぞかし火を煽るだろう。  そのまま溺れていろ。俺は手を下さない。それが、最大の復讐だ。  耳を塞げばよかったが、それすら放棄していると、聞こえるか聞こえないかの声で「気持ちいい」とか「もっと」と流れてきた。  ひどく喉が渇く。チラッとテーブルを見ると、グラスに一口ぶんの水が残っていた。  きっと二人はまだ戻ってこない。俺は物音を立てないように起き上がって、グラスを手にした。そして中身を喉に流し込む。  殺伐とした気分に陥った。寝たふりをして朝を迎え、何食わぬ顔で彼らに接するのか。わずらわしい。だが事態を動かすのは、もっとかったるい。  テーブルにグラスを戻す。置いたとき、わずかな物音を立ててしまった。  起きていることが気取られるのでは、とギクッとした。隣に耳を澄ます。二人は相変わらず没頭している。  ホッとした次の瞬間、血の気が引いた。  ベッドで背を向けていた由良アヤカが、こちらを振り返ったのだ。相手も心から驚いた顔をする。俺と彼女は、自分の悪事が見つかったみたいに硬直した。  由良アヤカがいつ起きたのかは分からない。だが、隣のことを知らなかったら、顔を引きつらせて固まるはずがない。  ユウトとナナミは静かに行為にはげんでいたが、たまにかすかな声が漏れ聞こえたし、床が鳴ることもあった。  由良アヤカも知ってしまったのだ。彼氏と友人に裏切られていることを。  同じ状況下にあるというのに、彼女がかわいそうだと思った。気付かないままでいさせてやりたかった。知らないほうが悲劇だが。  こんなふうに突きつけられるなんて。  そのとき初めて、ユウトとナナミを憎いと思った。それなりに腹を立てていたのかもしれないが、由良アヤカの心情を慮ると、あんまりだとむかついた。  ドアの向こうの物音がやんだ。終わったのかもしれない。  あいつらが戻ってくる。どうする?  このままだと起きていたことがバレる。いまは無難にやり過ごそう、と瞬時に決断した。  俺は床に寝転ぶ。由良アヤカも背を向けた。  目をつむる。酔いの残る頭、真っ暗な世界。けれど神経だけが研ぎ澄まされている。緊張に寄り添われつつ、寝息のような呼吸を繰り返した。  ドアが開いて二人が戻ってきた。俺の隣にナナミが、ベッドにはユウトが横になる。元通りの配置。なにもなかったかのように。  行為を楽しんだ彼らは、さほど間を置かず寝入った。俺は眠ったふりをしながら、いつまでも意識を保っていた。  表向きの関係は破綻したのだ。仲のいい四人として雑魚寝していることが滑稽だった。  ユウトとナナミは愚かだ。けれど、もっとバカなのは俺だろう。  わずかに目を開いてベッドを見る。ユウトに隠れて窺えないが、向こうにいる彼女も眠れずにいるのだろうか。  異常な事態のなか、由良アヤカだけが同士のような気がした。そう考えることで、自分の心から目を逸らそうとしたのかもしれない。
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