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相手をソファーに横たわらせ、そばで膝をつく。彼女が差し出した右手を握り、俺は労わるように頭を撫でた。
「痛い思いをさせて悪かった」
「落ち着いてきたよ。志摩くんが半分、肩代わりしてくれてるの。だからそんな、痛そうな顔してるんだね?」
その指摘に、意表を突かれた思いをした。
「俺は……ちっとも痛くない。全部よこせばいいのに。怪我をしたのが俺ならよかった!」
「ダメだよ、これは私のもの。志摩くんは和らげてくれる。病院の先生には悪いけど、あなたがいてくれることが、いちばん効くな」
つらい思いをしたのは彼女なのに、俺の感情が崩壊しそうだ。自分に不可思議な力があって相手を癒やすというなら、精魂尽き果てても注いでやりたい。
「お前は、ほんと強いな」
「弱いよ。志摩くんが怪我をして、見守ることしかできないほうがつらい。だから、こっちでよかったなって思ってる。ずるいでしょ?」
予想外の言葉に、俺はつい苦笑した。
「じゃあ、とことん心配させろよ?」
穏やかな表情の彼女に、触れるだけのキスをした。
「あの人を責めないでほしいの」
「それは……」
難しい。ユウトを殴ることは自己満足に過ぎないと気付いたが、許してやれるほど大人じゃない。
自分をひどい目に遭わせた相手に、なぜ寛大になれるのだろう。俺の疑問に答えるように、由良アヤカは語った。
「あの人、自分の過失で誰かを死なせたみたいになったの。タクシーを呼んで病院に連れていくまでは気丈にしてたけど、私が処置室から出てきたときには、誰の声も届かない感じで。それから、この腕を見てまた泣いた。周りにたくさん人がいたのに」
彼女はひと呼吸いれて、つづけた。
「帰りのタクシーでも、ずっと『ごめん、ごめん』って、運転手さんが気味悪がるぐらい。痛々しくてかわいそうだった」
「当然の報いだ」
怪我だけじゃなく、これまで恋人をないがしろにした。苦しんで当たり前。
だが人が変わってしまうほど、あいつなりに大事だったんだろうか。
複雑な顔をする俺に、彼女はかすかな笑みを向けた。
「私、あの人をすごいと思ってた。ルックスは整ってるし、頭もいいし運動だってこなせる。人当たりがよくて誰からも好かれる。ああ、こういう人が成功者のレールを走っていくんだなぁって。でも、一週間前の件でひっくり返った」
あいつを思い浮かべているであろう眼差しが、同情を帯びる。
「ほんとうは、かわいそうな人なんだよ。それを補えずに生きてきてしまった。志摩くんは『あいつに敵わない』って言ったけど、違う。あの人はなんでも備えているように見えて、志摩くんが当たり前に携えているものを、持ち合わせていない。人として大切なこと」
小さくため息をつく。
「だからあんなに脆い。鎧を剥がされたらどうなるのかな。こればっかりは、自分でどうにかするしかないんだよね」
由良アヤカは不意にクスッと笑った。
「文字どおり、怪我の功名。最後に、別れてくれるって。いろんなことが崩れ落ちて、私どころじゃなかった。だから、こっちと関わりたくないと思うよ」
「……そうか」
彼女につきまとうのではと懸念したから、プツンと糸が切れたのは喜ぶべきか。許せないことには変わりないが。
俺があいつに絡んでいったら、決着のついた件を引きずる状態になる。彼女には早く過去にしてほしい。このくすぶる感情を除けば、ユウトはもはや路傍の石なのだ。
憐れな末路。しかし、俺たちにしてやれることはない。
「あいつに割くゆとりはない。お前を大事にするだけだ」
すると相手はまぶしい笑みを広げた。
「私、志摩くんに説教しないといけないんだけど」
「え?」
思わぬ言葉に俺は困惑した。おそるおそる尋ねる。
「……どれについて?」
彼女はぷっと吹き出した。
「思い当たることいっぱいあるんだ?」
「お前と一緒にいるときは、やらかしてばっかの気がする」
「じゃあ、ほかのことはおいおい」
冷や汗をかいていると、由良アヤカがゆっくり起き上がった。そしてこちらに腕を伸ばす。俺はそうっと抱きしめた。彼女が耳元に問いかける。
「志摩くんは、誰からも必要とされない存在?」
俺は自分についてそう語った。だがいまは?
頭に浮かんだ答えに、泣きそうになった。俺を求める相手がこの腕の中に。
「俺が間違ってました」
「よろしい」
彼女はこちらの頬にキスをし、いっそう抱きついた。
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