電話

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「ねぇハルキ、来週の日曜、水族館でイベントがあるんだって。あたし見たーい!」  大学の食堂で昼食を取っているとき、ナナミが甘えた声でねだった。俺は唐揚げ定食から顔を上げてうなずく。 「そっちの最寄りで待ち合わせるか。時間は?」 「朝イチ!」 「コンビニでチケット買っとくわ」 「あたし、お弁当作ってくー。やったぁ、楽しみ」  こうしていると普通の恋人だ。俺は視線を落として、ごはんを口に運ぶ。  不意に、背後から穏やかな声が聞こえた。 「デートの約束? いつも仲がいいね」  ギクッとする。ユウトだ。ナナミが、気さくな友人にするように手を上げた。 「小瀬くんだー。お昼、いまから?」 「うん。ここ空いてるなら、お邪魔してもいい?」  振り返ると、彼はトレイに飲み物とカレーを乗せていた。こちらに対して屈託のない笑顔を向ける。  俺はあごで隣を促した。 「座れば」 「じゃ、遠慮なく」  ユウトが席に着き、美味しそうにカレーを食べ始める。表面上は平静を保ちながら、俺は胸がモヤモヤするのを感じた。  仲がいいのはお前らだろ。恋人同士の食事に割って入るどころじゃない、無遠慮さのくせに。  内心で毒づく。そのくせ、直接ぶつけることができない。  なんで俺のほうがストレスを感じるのだろう。後ろめたいのはこいつらじゃないか。どうして平気な顔で接してくるんだ。以前と変わりなく。  ふと気付く。  彼らは前から関係があった。だからずっと同じ状態だ。自分が知らなかっただけ。  二人は、きちんとサークルの友人として振る舞っている。呼ぶときは苗字。いつから親密になったのだろうと思ったが、分かったところで意味などない。  ユウトのケータイが短い着信音を鳴らし、彼は返事を打つ。すこしあとに、焼き魚定食をトレイに乗せた由良アヤカが現れた。  彼氏と待ち合わせたが、俺とナナミがいることは知らなかったらしい。一瞬どうしようかと迷う表情を浮かべる。  ナナミがまたも手を上げた。 「アヤカちゃん、一緒しよー。大勢だと楽しいよね」  言われたほうはかろうじて微笑を向け、大人しく席に着いた。  俺は唐揚げを噛みながら、ああ、味がしなくなった、とひそかに嘆息した。たわいもない会話をしつつ、それぞれ食事を進める。  現在も俺はナナミの彼氏であり、由良アヤカはユウトの彼女だ。あの夜が明けてからも変わらなかった。いや、変えなかった。  もし由良アヤカが騒ぎ立てれば、俺は巻き込まれたに違いない。だが、彼女はこちらと同じ選択をした。裏切られた事実をなかったことにしたのだ。  ナナミとユウトは、知られたと気付いていない。実のところ分かっていて、こちらの沈黙にほくそ笑んでいるのかもしれない。  どのみち、あの夜を闇に葬った以上、いまさらどうすることもできなかった。  ユウトと由良アヤカの関係は、変化していないように見える。少なくとも、ユウトが彼女に接する態度はまったく同じだ。  友人である由良アヤカとナナミの空気も、変わっていない。  ナナミは隠し事を抱えつつ、しれっと接する。由良アヤカは裏表を分けるのが下手そうだ。しかし、なにも知らない素振りを演じる。懸命に装っているのだろうか。  同情する自分に気付く。  仕方のないことだ。四人が揃うと、心の逃げ場はそこにしかない。  俺と由良アヤカは、もともと言葉を交わすことがまれだった。構内ですれ違ったときにギクシャクしようと、こうして同じ輪の中にいて、目も合わせず会話しなかろうと、周囲からは怪訝に思われない。  いちばん遠い存在と、秘密を共有か。  いや、表向きの恋人は果たして近しい存在か? 四人でわきあいあいと過ごしても、ふと、自分のそばには誰もいない気がした。  つまらない関係を維持する自分は、くだらない。けれど、ちゃぶ台返しのような真似をするのは悔しい。そんな労力を割く気になれなかったし、それをすれば負けた気持ちに陥る。しないからといって、勝つわけではないが。  怒り散らすなら、あの夜にすべきだった。また機会を逸した。いまイライラするぐらいだったら、爆発したほうがよかったのか。  食事を終えて雑談したあと、ユウトは自分と由良アヤカのトレイや食器を重ね、席を立った。 「僕たちは退散するよ。またサークルで」  女子同士が手を振り合う。ユウトは返却口へ、由良アヤカは食堂の出口に歩いていった。  ナナミがこちらに身を乗り出してニコニコする。 「あの二人ってかわいいカップルよね。高校生みたい」  そこに割って入ってるのは誰だよ、という非難を呑み込む。 「ユウトみたいな奴の彼女って気苦労が多そう」  聞きようによっては嫌味かもしれない。けれどナナミは、いつもどおりの様子で小首を傾げた。 「平気じゃない? 小瀬くんってアヤカちゃん一筋だもん。あの二人は盤石よ」  俺は頭を抱えたくなった。そんなことがないと分かっていながら言っているのか、そうだと分かっていながら横槍を入れているのか。どっちみち救いがない。  こんな話題を続けると、胃が消化不良を起こしそうだ。 「人のことはどうでもいいや」  ナナミは頬杖をついて、上目遣いでこちらを見つめた。 「うちらも盤石だよねー?」  そもそも、俺とお前のあいだになにかあったのだろうか? 初めから空っぽなら、この関係は盤石だ。 「水族館で食う弁当が美味いかどうかによる」 「またそんな遠回しに言うー。いつも美味しいって食べてくれるじゃない? 次もがんばっちゃうから期待しててね!」  俺はあいまいな笑みを返した。  ナナミのケータイが鳴り、彼女はそちらに視線を落とした。俺は手持ち無沙汰に周囲を見やる。  返却口ではユウトが女子グループに呼び止められ、なにやら話し込んでいる。俺は食堂の出口へ視線を向けた。隅で由良アヤカがぽつんと立つ。ユウトが一向に来ないので、視線を落としてため息をついた。  けれど、唐突に顔を上げる。そして、こちらへ目を向けた。ナナミはケータイを操作しているので、その視線に気付かない。  由良アヤカはじっと俺を見つめた。一緒にいるときは目を合わせないようにしたのに、いまはまっすぐな眼差しを注ぐ。そして、ほんのわずかにつらそうな顔をした。  彼女がまばたきをしたあと、ようやくユウトがやって来た。彼氏に視線を向ける由良アヤカは、かろうじて笑顔だった。  食堂を出ていく後ろ姿を見送っていると、ナナミが話しかけてきた。 「こないだ封切りの映画、超面白いんだって。これも行こー」 「いつなら都合つくっけ」 「あたし、バイト代わってもらう。ハルキに合わせる!」  俺は生返事をしたが、ナナミは大喜びでスケジュール帳を広げた。  もういちど、出入り口に目を向ける。由良アヤカが向けてきた表情を思い出すと、胸がざわついた。  俺はなんとかやってる。  しかし、彼女は大丈夫だろうか?
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