プラセンタ・ケーキ

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プラセンタ・ケーキ

「ロバート。 部屋に入っても良い?」  ノック音のあと、オレの名前――ロバート・テイト――を呼ぶ子供の声が聞こえた。 「ああ、構わないぞ」  ベッドで横になっていたオレは、上体を起こし、ドアへ視線を投げた。 「おじゃまするわよー」  と、ふざけながら言ってオレの部屋に入ってきたのは、オレたちの仲間である男の子――中条(なかじょう) (ハル)だった。 「ハル。 学校はどうした? 行ってないのか?」  オレが訊くと、ハルはため息をつく。 「今日は8月3日。 学校はまだ夏休みだよ」 「そうだったな……。 忘れてた」 「仕方ないよ。 3日も寝っぱなしなら、時間感覚も狂うだろうしね」  相変わらず子供らしくない話し方をしながら、ハルがテーブルに食事が盛られたトレーを置く。 「合成品ばっかりだけど、これでいいの?」  合成タンパクで作られた肉を使った、ゴムみたいな食感のハンバーグ。  同じく合成品の、野菜代わりらしき緑色のペースト。  それと、パンやライスの代用品である乳白色のクッキーに、粉末の卵を使ったスクランブルエッグ。  オレの食事の全てが、全て合成品で作られていた。 「ああ……これでいい」 「しっかし、よくもまあ薄味の合成品なんか食えるよね。 2020年代から食糧事情が変わったとはいえ、まだ天然モノも食えるのに」 「オレには関係ない話だな。 だって、オレの味覚は……」  そこで、ハルが押し黙った。  さすがに、オレの体について話すのはまずっただろうか?  オレは、幼い頃から味覚が鈍かった。  普通の人ならまず食べられない、とても濃い味付けでないと、やっと味を感じられないくらいに。  他の感覚は普通だったのに、味覚だけが異常で、食事を楽しめないオレを見た両親は、いつも料理の献立に苦労していた気がする。 「――ところで、今の状況は?」  オレの体質の事で、ハルを悲しませたくない。  そう思ったオレは、話題を変えることにした。 「……ロバートの仕事は、フェルディナンドがやってる。 ジョンとキャサリンさんは、支社を飛び回って物資輸送とかやってるよ」 「そうか……」  オレは、民間軍事会社(PMC)『テイラー・セキュリティ・サービス』に在籍していた。  オレと同じチームの隊員に、フェルディナンド・ケーラー、ジョン・ハンター、女性隊員のキャサリン・オボカタが居る。  そして彼――ハルは、まだ12歳の子供でありながら、TSSに籍を置いていた。  普通、子供がPMCに入るなんて事は有り得ないし不可能なのだが、彼の出自が、不可能を可能にさせた。  ハルの父親は、自然環境の再生を訴えるテロリスト集団『自然環境解放戦線(ELF)』に拉致され、母親は死んで親族は存在せず、日本人でありながら国籍はツバル、だがツバルはもう存在しない。  そんな複雑な環境をハルは利用し、TSSに入ってみせたのだ。  『父親を自分の手でたすける』――ただ、それだけのために。 「まあ、ロバートはキズの回復を優先して、そこで大人しくしてなよ」  と言いながら、ハルは冷蔵庫からリンゴを取り出していた。 「リンゴ?」 「デザートだよ。 食べるでしょ?」 「あ……、ああ」  ハルは腰のポーチからスカルペル(医療用メス)を出して、クルクルと回す。  きっと、スカルペルでリンゴの皮をむくつもりだろう。  ハルは、ELFが使う戦闘用ロボット『スケアクロウ』と戦う際、二丁のハンドガン『ギデオン/ミッチェル』と『テイラー/ヘンドリクス』、そしてスカルペルを使用していた。  体操選手並のアクロバットで敵を翻弄し、細腕で巧みに9mm口径の二丁を操り、懐に飛び込めばスカルペルで敵を刻む。  一連の流れは、実戦経験が豊富なオレたちと一緒に行動できるくらい、洗練されていた。 「スカルペルで皮をむくのは、危険じゃないか?」 「平気、平気」  たしかに、ハルは器用に皮をむいていた。  だが―― 「ハックシュ――!!」  ――くしゃみのあと、ハルが素っ頓狂な声で短い悲鳴をあげた。 「おい! 大丈夫か!?」  ぱっ、と左の人差し指を押さえたハルに訊く。 「――大丈夫。 ちょこっと切っただけ」 「見せろ!」  オレはハルの左手首を掴んで引き寄せ、人差し指の先を見る。  ――ハルの人差し指の先からは、ほんの少しだけ血が出ていた。 「このくらいならすぐ止まるって」  キズは小さいので、絆創膏を貼るだけで済むだろう。 「――――」  だがオレは、指先に溜まった赤い滴を目の前に、ごくりと喉を鳴らしてしまう。 「ロバート。 そのまま傷を押さえててくれる? いま絆創膏出すから」  ハルは、ごそごそと自分のポーチを探っている。  "こんな美味しそうなモノを、放っておくなんてとんでもない"  オレの心の中で、そう誰かが囁いた気がする。  そしてオレは、思わずハルの人差し指を咥えてしまった。 「ちょっ――、ロバート! その止血法は……」  ハルは驚いていたが、抵抗はしない。  ただの止血と思ったからだろう。 「……」  ――口の中に広がったのは、鉄サビの臭いでも味でもなくて、とても甘いシロップの風味だった。  口の中にシロップの名残が広がっていけばいくほど、唾液が口内を満たしてくる。  ハルの人差し指の舌触りは、どこかマシュマロに似ていた。  ――胎盤(プラセンタ)。  オレが子供だった頃、味覚障害を理解しない同級生のヤツらに、ひどくいじめられた事があった。  薬を隠したり、給食に消しゴムのカスを入れられたり……。 そんないじめを受けた。  いちばん酷かったのは、いじめっ子のリーダー的存在であった男子が行ったものだろう。  アイツの家はブタを育てていて、ある日、アイツとその取り巻きが、ブタの胎盤を持ってオレの家にやって来たのだ。  ――きちんと、親が居ない時を狙って。  そして、オレは取り巻きに押さえつけられたまま、ソテーされたブタの胎盤を食わされた。  でも、それが発見に繋がったのかもしれない。  だって……あの時食べたブタの胎盤は、とても美味しかった(・・・・・・・・・)のだから。  味なんてまともに感じられなかったオレが、唯一味わう事ができた食べ物が……ブタの胎盤だったのだ。 「ロバート。 絆創膏貼るから、もう離して」  そして今、ブタの胎盤より美味しいものと出会うことができた。 「すまなかったな。 いきなり口で止血したりして」  中条 ハル。 まだ12歳になったばかりの男の子。  その体が、ブタの胎盤――いや、それよりももっと美味であると、オレの本能が告げた。  ブタの胎盤を果物ゼリーと例えるなら、ハルは極上のケーキだと言えるかもしれない。  ――オレ自身は、ケーキを刻み、すくって口に運ぶフォークだろう。 「手っ取り早く済んだんだからいいよ。 おすすめしないやり方だけどさ」  ハルは人差し指に絆創膏を貼り、一息つく。  ハルの人差し指に貼られた絆創膏を見たオレは、思わず「勿体ない」と呟きそうになった。 「ボクはもう戻るね」  そう言って、ハルは立ち上がる。 「これから、フェルディナンドと出撃するんだ」 「2人だけで大丈夫か?」 「問題ないって。 ――じゃあね」  最後に微笑んで、ハルはオレの部屋から出て行ってしまった。  そんなハルの後ろ姿を、オレは網膜に焼き付ける。  ◇  白衣のように白くて、さっぱりとした肌。  ――それは、生クリームの白さ。  声変わりしても、幼さが残る声。  ――それは、オレを誘惑するケーキの囁き。  いつも香る、少しだけ甘い匂い(フェロモン)。  ――それは、ハルの中を循環する(シロップ)の匂い。  赤いシロップの零した指をくわえた時の、あの味わい。  ――それは、とても甘いマシュマロと似た味わい。  オレをかばった時、オレの肌に触れたハルの温もり。  ――それは、よく冷やされているのに温かい、とても高級なスイーツに似ている。  オレは、ハルの持つ色香にあてられてしまった。  何度、顔を冷たい水で洗っても、あんなことばかり考えてしまう。  もう、ハルはオレの食い物として再生されてしまう。  ――ああ……オレはもう、得体の知れないバケモノになってしまったんだ……。  もう、まともな人間には戻れない。  ごめんな、ハル。  オレは……、お前が好きだ。 大好きだ。  ――めちゃくちゃにして、かぶりついて食べてしまいたいくらいに。
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